
【この作品は帰還後、明治に戻るまでに時間がたっていた場合の『君を、愛するから、共に』のIF物語として考えた、史実ベースの話になります。 音二郎さんの死ネタが含まれるためご注意ください】
目を開けると周囲の暗さに辺りに目を凝らす。 外灯のない風景。それは一度は記憶の奥に封じ込めようとしたもので、立ち上がると自然と足が駆け出す。
(もし本当に戻って来られたのなら……!)
戻ったことを後悔して、何度忘れようとしても忘れることができなかったあの人。もしもう一度会えるなら今度こそと走り続けてたどり着いた、高台に建つ煉瓦造りの西洋風な校舎。桃介さんがいるところで真っ先に浮かんだのがこの慶應義塾だった。
早鐘を打つ鼓動に息を整えると、その校門をくぐり抜けようとしたところで声をかけられる。
「あれ? 君は確か……」
「松永さん」
振り返ると、そこにいたのは桃介さんの同僚の松永さんで、ああやっぱり明治の世に戻って来られたのだと喜びがわきあがる。
「芽衣さん、でしたよね。お久しぶりです。いつ故郷からこちらへ戻られたのですか?」
「あ……」
松永さんの言葉に、こちらでの自分の立場を思い出し、唇をきゅっと噛むと話を合わせる。
「その、今日、戻ったんです」
「そうだったんですか。ああ、もしかして岩崎さんのお話を聞いたんですか?」
「え? 桃介さんの?」
「ええ。ついに福澤先生の娘さんとのご結婚が決まったんです。ずっと岩崎さんは渋っていたんですが、熱心な説得に先月ついに結婚を承諾されたんですよ」
そう嬉しそうに語る松永さんに、頭が真っ白になる。
結婚。桃介さんが、福澤先生の娘さんと?
「岩崎さんは今日は福澤先生とのお食事会でこちらには戻られませんが、芽衣さんがいらしたことは伝えておきますね」
「……いえ、私とは会わなかったことにして、桃介さんには伝えないでください」
「え?」
「すみません、私、帰ります!」
「芽衣さん!?」
引き留める声に、けれども振り返ることはできなくて、とにかく足を動かしその場を離れる。
結婚。桃介さんが――結婚。
「…………っ」
がらがらと足元が崩れていく錯覚に足がもつれて道に転ぶ。擦れた足が痛みを訴えるが、それよりもずっと胸の方が痛かった。
何を期待していたというのだろう。
彼の手を振り切って帰ったのは私。
それでも彼は待っていてくれると、そう思っていた自分が情けなくて、次から次へと涙が溢れてこぼれ落ちる。
「うっ……ふ……ぅ……っ」
あの日から半年の月日が流れていた。その間に彼が心変わりしていようと、私には責める権利なんてない。いない女にいつまでも心捕らわれ続けるなんて、そんな残酷なことを強いれるわけがない。
それでも、もう一度彼との日々を取り戻せたらと、そんなことを望んでしまっていたのだ。
泣いて泣いて、それでも抱きしめてくれる腕はもうどこにもなくて。
涙も枯れ果てた頃、ふらりと立ち上がり空を見上げた。
浮かぶ空には、あの日と同じストロベリームーン。
あの日と同じ、ひとりぼっち。
このままここにいても仕方ないとわかっているけど、動く気力が起きずにただ空を見続ける。もう現代に帰ることも出来ないのに、この世界で私を受け入れてくれる人もいない。
(どうしていいのかわからない……何も考えたくない……)
絶望しか浮かばなくて、ただ呆然と立ち尽くしていると「なんだ、どうした?」と後ろから声がした。けれども振り返る気力もなく黙りこんでいると、「おい」と肩を掴まれて、覗きこんできた人が驚き目を見開いた。
「お前、芽衣か?」
「……音二郎、さん」
ピンストライプのスーツの長身の男性は見知った人で、私だとわかると慌てて両肩を掴んでその身を案じる。
「おい、どうした? 何があった!?」
私のただならぬ様子に心配してくれる音二郎さんに、再び涙が溢れてきて。その胸にしがみつくと声をあげて泣いてしまった。
→2話へ