月に揺れる

桃芽4

あと二日ほどで満ちるだろう月を見上げていると、今でもきゅっと締めつけられて、そっと胸に手を置く。
チャーリーさんとの約束の日に、私は帰ることを選ばなかった。桃介さんの側にいたかった。
けれども、自分で選んだのだと、そう割りきってしまえないのはやはり私が子どもだからなのだろうか。
いまだに曖昧な記憶は家族のことも思い出せてはいないのに、瞼の裏に思い浮かぶ景色が懐かしくて、どうしようもなく泣きたくなった。

「芽衣さん」

呼びかけにびくりと肩を震わせる。
今の顔を見せたくなくて俯くと、側に気配が近づいて、そっと大きな腕に包み込まれた。

「……もうすぐ満月ですね」
「……っ」
「何かを思い出したのですか?」

問いかけに首を振ると「そうですか」と、柔らかく髪を撫でられる。それは宥めるように優しい手付きで、その背に手を伸ばしてすがってしまう。

「後悔、してるんじゃないんです」
「ええ」
「ただ……」

どうしようもなく泣きたくなったのだと、自分でも曖昧な理由を告げることはできなくて、ただその胸にすがってしまう。
心配かけたくないのに、今私は幸せなのに、どうしてこんなにも心揺れてしまうのか。
欠けていることがこんなにも不安定にするのなら、すべて思い出せればこんなこともなくなるのだろうか。
けれども、記憶を失っている今がこんなにも揺らぐのなら、思い出したらもっと寂しくなって、いつか後悔してしまうのかもと思うと思い出したくない。
締めつけられる胸の痛みを堪えようとぎゅっと目をつむっていると、優しい声で名前を呼ばれて、瞼や額、頬といたわるように温もりが触れていく。

「一人で抱え込まなくていいんですよ。あなたの痛みもすべて私が引き受けると、そう言ったでしょう?」

それはあの運命の日に、揺れる私に桃介さんが告げてくれた言葉。
迷いも、郷愁も、思い出も、すべて抱いたまま揺れる私に心を沿わせて慈しんでくれる。それが桃介さんだった。

「……きっと月を見上げるたびに苦しくなることはこれからもあると思います。でも、桃介さんがいてくれたら……私は大丈夫なんです」

彼を選ぶことがその他を失うことと同意なのだと、そうわかっていても帰ることを選べなかった。それが私の明確な答えだった。

「だから、これからも私の側にいてくれますか?」
「ええ、あなたが望んでくれるのなら。望まなくても私はあなたを離しません」
「望まないなんてありませんよ」
「でしたら私があなたを離すことはないと断言しますよ」

少し茶化した物言いで言い切る桃介さんは、それが本心だと何より確かに伝えてくれるから、私は安心してその腕の中に身を委ねられる。
たとえこの先、何度と月に心揺れても、記憶が戻ったとしても――私の帰る場所はこの腕の中なのだから。
私を繋ぎ止めてくれる温もりに包まれて、安心して目をつむる。
今夜はもう月を目に映すことはない。
ただこの温もりだけがすべてだから。

20190423
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