ぬくもりを抱きしめて

桃芽8

無理をしている自覚はあった。けれども彼女を失った今、彼女の語っていた未来の景色に少しでも近づけたくて……そうすることで彼女にも手が届きそうな、そんな願望を夢見てしまうほどにその存在を求めてあがいて、結果体調管理を見誤った。
気だるい身体をなんとか動かし、必要な案件を片付け松永に指示を出し終えたところで気力も尽き……気づくとベッドに寝かされていた。
辺りを見渡し、ここが自宅の私室だと確認すると、熱い呼気を吐き出す。こうして寝込むほどに体調を崩したのは子どもの頃以来かと、目をつむるとあの頃のことが脳裏に浮かぶ。

子どもの頃はあまり身体が丈夫ではなく、季節の変わり目などにはよく風邪をひいて、母に心配をかけていた。きっと実母は彼が魂依であるということ以外にも、そうした点が気がかりだったのだろう。自分の友である物の怪に彼を頼むほど、頼りない存在だったのだと今更ながらに自覚して、気だるい身体にもどかしさを覚える。

二度母を失ってからは、甘えられる存在はもういないのだと、強くあろうと努力した。身体を鍛え、病を得た時にも他者や家族にも悟られないようにコントロールする術を覚えて、病弱だった身体も克服していった。
己を管理することには自信があったし、またそれをこなせていたのに今、体調を管理出来なかったのは一重に己の弱さからだ。
大切な彼女を失い、心の穴を埋めることに没頭した結果、体調管理を怠ってしまった。
こうして昔のことを思い出すのもそれだけ心が弱っている証だと、我知らず自嘲する。

(母に誓ったんじゃなかったのか……)

母を物の怪に奪われたと、そう勘違いしていたあの時。物の怪を消し去ると誓い、強くあろうと誓った。なのにこうも簡単に安定を崩した自分のなんたる弱さか。
せめて一刻でも早く回復しようと目をつむると、深い眠りへ誘われる。こうしてベッドで眠るのも久しぶりだと、眠りに誘われる中で思い出した。

* *
「ん……」

目が覚めると部屋には夕陽が差し込んでいて、時間の経過を悟る。体調をはかろうと布団から身を起こそうとして、ぽとりと額から落ちた手ぬぐいを見つめた。

「手ぬぐい?」

眠るときにそのような物を用意した覚えもなく、また使用人の出入りもないはずだと訝しんでいるとドアが開いて、現れた少女に目を見張る。

「芽衣さん……?」
どうして彼女がと、一瞬事態を把握できずに布団を翻すと、慌てて駆け寄ってきた彼女がダメですよと布団をかけ直す。その手を取ると、大きな栗色の瞳が桃介を見つめて、「桃介さん?」と小首を傾げる様を不思議な心地で見つめていた。

「どこか苦しかったりしますか? 熱は……」

桃介の様子に具合が悪化したのではと気遣う芽衣に、段々と意識がはっきりしてきて、ああそうかと詰めていた呼気を吐き出した。
一度、芽衣は彼女の世界に戻っていった。けれども、自分と同様に桃介のことを忘れられずに戻ってくれた。それが今だった。

「大丈夫です。昔の夢を見ていて、少し混乱したようです」
「昔の夢ですか?」
「ええ。私は病弱で、子どもの頃はよく体調を崩して寝込むことが多かったんです」
「桃介さんがですか?」

病弱というキーワードが彼女の中の自分と結びつかないのだろう、大きな瞳をさらに丸くする芽衣に苦笑すると、ええと肯定して話を続ける。

「季節の変わり目には必ず風邪をひいて、熱を出しては母に心配をかけていました。もっとも母が亡くなってからは兄弟助け合って生きていかなければなりませんでしたから、体調など崩してはいられないと身体を鍛えました。なので、こんなふうに体調を崩したのは、子どもの頃以来ですね」

そう話して聞かせると、彼女の眉が下がっていることに気がついて、握ったままだった手に力をこめる。

「このような姿を見せるなど情けない男で驚かせてしまいましたね。看病までさせてしまってすみません」
「そんなこと……桃介さんが元気になってくれるのならいくらでも看病します」
「ありがとうございます」

微笑み礼を述べると、顔を曇らせたままの彼女を見つめて、「あなたがいてくれるから私は甘えられるんです」と伝える。

「こんな姿もあなただから晒せる。あなたがいてくれて、本当に良かった……」
「桃介さん……」

一度は手放した。彼女の幸せを願い、けれどもその存在を失って、自分の決断を後悔したのはあれが初めてだった。
もう触れることはかなわなかった彼女に、もう一度触れられるのは互いの想いゆえ。求めて、求められて得た奇跡だった。だから握った手を繋ぎ直すと引き寄せて、ベッドに座った芽衣の身体を抱き寄せる。
伝わる忙しない鼓動に、確かに彼女が目の前にいることを感じて安堵する。

「私はずっと桃介さんの傍にいます。だからお願いです、無理をしないでください。桃介さんがいなかったら私がここにいる意味がなくなってしまうんです」

震える声は桃介の身を気遣っているのと、彼が体調を崩した原因が自身にあることに気づいてのものだろう。彼女が一度彼の前から消えてから、桃介がどう過ごしていたのかは音二郎をはじめとした面々から聞き及んでいることは知っていたから、心優しい芽衣が心痛めていることはわかっていた。
まだまだ未熟だと自身を改めて戒めると、抱き寄せた芽衣の背を宥めるように撫でる。

「いなくなりませんよ。あなたを不幸にするつもりはありません」
「はい」

きゅっと胸元を手繰り寄せる指先が、彼女が桃介を求める証に思えて胸があたたかくなる。不甲斐なさを感じながら、同時に喜びも感じているなど、彼女に知られたら呆れられるだろうと思いながら、それでも溢れる喜びは抑えきれない。

「傍にいてくれますか?」

こめた想いを彼女がどこまで理解したかはわからないが、確かに頷いたのを見て布団に横たわると、繋いだ手に目をつむる。
この後はもう夢にうなされることはないと確信して、彼女のぬくもりに誘われて眠りに落ちた。

20190530
Index Menu ←Back Next→