もう一度出逢える日まで

桃芽3

アメリカでの公演は大成功をおさめ、その人気は次なる機会を作り、川上一座はパリ万博でも公演した。その中で芽衣は女優として開花し、絶賛を浴びる存在になっていた。
そうして二年間の巡業後、帰国した一座は翻訳劇を中心とした演目を演じ、また不在の間に発表された鏡花さんの戯曲に音二郎さんは喜び、早速上演すると連日満員御礼を博して、嬉々として鏡花さんを抱き寄せてはバイ菌を気にして叫ぶ彼に、懐かしさに自然と頬が緩む。この頃には芽衣の心の傷も癒えていた。

そんなある日、音二郎さんが体調不良を訴えた。突然お腹を押さえ、脂汗を浮かべる音二郎さんに、慌てて病院へ連れていくとそのまま入院することになり、その一週間後彼は帰らぬ人となった。突然の音二郎さんの死は一座に大きな衝撃を与えた。決まっていた公演は中止になり、今後に戸惑う団員に、芽衣もどうしていいかわからず途方にくれていた。
けれども音二郎さんと共に行っていた後進の女優を育てるための養成所を放り出すわけにもいかず、失った心の穴を埋めるように職務に励んだ。海外での成功から多くの官僚に認められ望まれて舞台にも立ち、音二郎さんの代わりに一座を率いて公演も行った。

「ふう……」

公演後、新しい座長といくつかのやり取りをしてから着替えると、化粧を落として劇場を出る。いくらか和らいだ気温に春が近いことを知る。音二郎さんが亡くなってからはとにかく必死だったため、月日を振り返る暇もなかった。

「すみません、川上一座の方ですか?」
「あ、はい」

後方からの呼びかけに振り返ると、その姿に息を飲む。相手も芽衣の姿を認めると同じく息を飲むのがわかった。

「桃介、さん……」
「芽衣、さん? どうしてあなたが……」

問いかけに逃げ出そうとして腕を捕まれる。

「待ってください! 説明してください。あなたは未来へ帰られたのではなかったのですか?」
「あの、放してください」
「嫌です。あなたが説明してくださるまでは放しません」

緩むことのない力に観念すると、数年ぶりに桃介さんを見つめる。
会いたかった人。側にいたいと望んだ人。
けれども会うことはもうないと、そう思っていたのになんという運命の悪戯だろう。込み上げてくる様々な思いを胸の内に押し隠すと、これまでの経緯を説明する。
この世界に戻ってきてからずっと、音二郎さんと行動を共にしていたこと。今は女優として音二郎さんが目指した大衆演劇を広めていること。
話を黙って聞いていた桃介さんは聞き終えると額に手をやり、深く息を吐いた。

「……あなたが戻って来ているのなら私は結婚などしなかった」
「ごめんな、さい」

苦しげな呟きには彼の苦悩が滲んでいて、謝ることしか出来なかった。二人の道を違えさせたのは芽衣のせい。あの時一度別れを選ばなければ、桃介さんが福澤先生の娘さんと結婚することはきっとなかった。けれどもすべては過ぎ去った過去のこと。いくら嘆いてももう道は重なることはないのだから。

「音二郎くんのことは本当に驚きました。今は名古屋に居を置いているので、訪ねるのが遅くなってしまいました」
「名古屋ですか?」
「ええ。木曽川に発電所を作っているんです」

桃介さんの話に、彼が電気の普及に尽力し続けていることを知り嬉しくなる。

「良かった……電気の研究は進んでいたんですね」

いまだ電気は高価なもので一般家庭には普及しておらず、行灯やオイルランプが主流だった。それを庶民にも使えるように低い費用で行き渡らせることに尽力していたのが桃介さんだった。

「やはりあなたなら……」
「え?」
「……いえ、今日は弔問だけのつもりでしたから、あまり時間がないのでまた日を改めます。あなたの都合に合わせますので、こちらにご連絡いただけますか?」

さらさらと手帳に書き付けられた番号に戸惑うと、その紙を手渡され桃介さんが立ち去る。その場に残された芽衣はそのメモに残る温もりをそっと両手で包みこんだ。
今の彼はもう妻帯者で、想ってはいけない人だった。それでも、胸に沈めたはずの想いは簡単に浮上して芽衣を惑わせる。いけないと自身を戒めるとメモをカバンの奥にしまって、家へと歩き出した。

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