君の温もりにまどろんで

那千9

「戸締りを忘れずに……あまり夜更かししてはいけませんよ?」

「うん、わかってる」

「那岐、千尋を頼みますね。明日の夜には帰れると思います。それではいってきます」

「いってらっしゃい。頑張ってね!」

泊りがけの出張で風早が出かけたのが、今朝のこと。
にこやかに見送った千尋は、いつものように学校に行き、授業を全て受け終え帰宅していた。

「なんか変な感じだね」
「なにが?」
「いつもは風早と3人でしょ? ご飯作る時も、2人分ってなんだか少なくて」

3人分の用意になれているせいか、逆に2人分というものの量がわからず、苦戦した千尋。

「多く作らないですむんだから楽じゃないか」
「……那岐は作ってないでしょ」
何かにつけ面倒がる那岐は、買い出しだけ付き合うと、さっさと自室にこもってしまったため、今日の夕飯は千尋が一人で作ったのである。

「どうせなら美味しいものの方がいいだろ?」
「すぐにそう言って逃げるんだから」
一見褒め言葉のようであるが、それは那岐の逃げ口上だと分かっているので、千尋は頬を膨らませた。

「片付けは那岐がやってよね」
「え~? めんどくさいな……」
「作ったのは私なんだから、片付けは那岐の当番!」
びしっと指を立てて主張すると、那岐がやれやれと小さくため息をついた。

那岐が洗い物をしている間、居間でテレビを見ていた千尋は、落ち着かない気持ちを持て余していた。
普段ならば、風早と一緒に洗い物をしているか、ここで那岐と二人でテレビを見ていた。
それが一人となると、いつもと同じことをしているはずなのに、妙に落ち着かないのである。

「那岐? 終わった?」
そわそわと台所を覗くと、エプロンをつけた那岐は振り返らずに返事だけを返す。

「もう少し。暇なら代わる?」
「やだ。今日は那岐の当番だもん」
頑なに断ると、那岐が肩をすくめながら洗い物を片付けていく。

「……なんか静かだね」
「そう? 変わらないんじゃない?」

普段ならば必ずどちらかが側にいたので、物音が気になることなんてなかった。
なのに、今は風が吹く音さえ、大きく感じられた。

「……風、強いね」
「台風が近づいてるとか、天気予報で言ってたよ」

中古の借家である3人の家は、さすがに台風で壊れるということはなかったが、それでも風が強く吹くと、ぎぃぎぃときしむ音を立てた。
その音に顔を不安げに曇らせると、千尋はそろそろと近寄り、那岐と背を合わせた。

「ちょっと、重いんだけど」
「ごめん」
「……怖いの?」
「……うん」
軽く体重を預ける千尋に、那岐は肩越しに覗くと、そのまま文句を言わず、洗い物を続ける。

幼い頃、千尋は意味もなく夕日を怖がっていた時があった。
さすがに今では、怯えて泣くようなことはないが、それでも追い立てられるような焦燥感は残っていた。
その時に感じる不安な気持ちが、少し胸に蘇る。

外は雨が降り出していた。
風に煽られ、窓を打ちつけ始めた雨が、千尋の不安を大きくする。
――ドーンッ!!
大音響が鳴り響いたかと思ったら、突然室内が暗闇に包まれた。

「えっ? 停電?」
驚く千尋に、さらにドーンっと落雷の音。

「きゃあっ!」
慌てて那岐にしがみつくと、そっとぬくもりに包まれた。

「この辺りはみんな停電みたいだね」
外の明かりがないことを確認すると、那岐は腕の中でかすかに千尋が震えていることに気がついた。

「……怖い?」
「うん。だってこんな真っ暗で、雷はすごい音で……」

千尋が答えている間に再び雷鳴が鳴り響き、びくんと大きく肩を震わせる。

「当分戻りそうもないね、電気」
「……」
近隣一帯が停電状態だということは、復旧にはしばらくの時間が必要だろう。

「こう暗くちゃ何も出来ないし。寝るかな」
「え? 那岐、寝るの?」
「だって何も出来ないじゃないか」
那岐の返答に、千尋は困って黙り込む。

「……一緒に寝て欲しいの?」
「う……。……いい?」
しばらく逡巡する間の後に、千尋が上目遣いで那岐を見る。

「本気? いくつだと思ってんの?」
「だ、だって……怖いんだもん」

暗闇の中でも千尋が縋りつくような目をしているであろうことは、ぎゅっと服を握った手からも分かり、那岐ははぁ~っとため息をついた。

「……千尋が眠るまでだからね」
「ありがとう!」
仕方なく了承すると、千尋の声に明るさが戻る。
手探りで部屋まで辿りついた2人は、暗闇の中でベッドを探り当てると、もそもそと潜り込んだ。

「服のままだね」
「どこにパジャマがあるか分からないんだから、仕方ないだろ?」
「そうだね」
何事もきちんとすることを好む千尋は、しかしやむをえない状況に諦めた。

千尋のベッドはシングルで、当然ながらそこに2人で寝ているのだから、自然と身体が密着しあうわけで。
千尋は身近なぬくもりに安心しつつも、それとは別に落ち着かなさも感じ始めた。

「ちょっと、もそもそ動かないでくれる?」
「ご、ごめん」
少しでも距離をとろうかと身悶えた千尋は、那岐の苦情におとなしくなる。

「……意識した?」
「……っ! ち、違う!」
からかうような響きに、千尋は顔を染めて否定した。

「千尋って柔らかいよね」
「~~~わざと言ってるでしょ?」
千尋が照れていることを分かっていて言う那岐に、唇を尖らせる。

「千尋があんまりにも無防備だから悪いんだろ?」
「那岐は家族だもん」
人より少し幼い千尋は、中学に進学した頃まで那岐と風呂に入りたがった。
さすがにそれは勘弁で、必死に逃げた那岐だったが――。

「僕だって男なんだけど?」
言うや、ついっと膨らみに触れる。

「な……っ! 那岐っ!?」
「あんまり油断してると知らないからね」
動揺している千尋に、軽く頬に口づけるとぎゅっとその身体を抱き寄せる。

「早く寝なよ。起きてると変な気起こすよ?」
「わ、わかった」

伝わってくる普段よりもずっと早い千尋の鼓動に、苦笑が漏れる。
思いがけず共に暮らすことになった少女。
姫と呼ばれていた彼女と、那岐に接点はなかった。
あの日、時空の狭間に共に落とされたということ以外。

それまで、ずっと他人との接触を避けていた那岐に、突然目の前に存在するようになったぬくもり。
それに戸惑っていたはずなのに、いつの間にか側にいることを心地良く感じている自分に、那岐は驚いていた。
すーっと聞こえてきた、安らかな寝息。

「千尋、寝たの?」

静かに問うが、返事はなく、指に絡んだ金の髪が、さらさらと零れ落ちる。
鼻腔に届く、甘い香り。
コロンなどつけていないはずなのに、千尋の身体からは甘い香りが漂い、それに誘われるように、那岐は髪に口づけた。

「……本当に、そんな無防備な姿さらしてると知らないよ?」
小さく呟くと、薄い唇にそっと口づけて、那岐は自分の部屋へと戻って行った。

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