君の温もりにまどろんで-2-

那千9

「千尋を頼みますね」
そう言って、風早が泊りがけの出張に出かけたのが、今朝のこと。
にこやかに見送る千尋の後ろで、那岐は顔をしかめていた。

(夜は千尋と2人きり……か)

この異世界に来てから共に暮らすようになった少女を、異性として意識するようになったのはいつからだろう?
人を避けてきた自分の胸の内に、いつの間にかするりと入り込んで。
彼女は居座ってしまっていた。

「なんか変な感じだね」
眉を下げた千尋の言葉に、那岐は箸を動かしながら視線だけを向けた。

「なにが?」
「いつもは風早と3人でしょ? ご飯作る時も、2人分ってなんだか少なくて」
3人分の用意になれているせいか、逆に2人分というものの量がわからず、苦戦したという千尋。

「多く作らないですむんだから楽じゃないか」
「……那岐は作ってないでしょ」
「どうせなら美味しいものの方がいいだろ?」
「すぐにそう言って逃げるんだから」

唇を尖らせる千尋に、那岐は黙々とおかずを口に運ぶ。
この家では食事は当番制で、今日は風早の番だったのだが、出張でいないために千尋が代わりに作ったのである。
もちろん、那岐が手伝うはずもない。

「片付けは那岐がやってよね」
「え~? めんどくさいな……」
「作ったのは私なんだから、片付けは那岐の当番!」
びしっと指を立てて主張する千尋に、那岐は肩をすくめると残りのご飯を口に運んだ。

かちゃ、かちゃ。
洗剤で食器を洗いながら、そっと後ろを見ると、千尋が居間でテレビを観ている姿が目に入る。
全くといっていいほど、普段と代わらない千尋。
2人きりという状況にドキドキしているのが自分だけだと思うと悔しくて、那岐は乱暴にスポンジを汚れた皿に押しつけた。

(完全に男扱いされてないよね……)

彼女の無防備さは、那岐を家族と信頼しているからだった。 それはつまり、千尋にとって那岐は家族以外の何者でもないということで。
小さく息を吐くと、さっさと片付けて寝てしまおうと、洗い物に専念する。
――と。

「那岐? 終わった?」
どこかそわそわとした、落ち着かない声で問う千尋に、那岐は振り返らずに返事だけを返す。

「もう少し。暇なら代わる?」
「やだ。今日は那岐の当番だもん」
さりげなく押し付けようとすると、それを感じ取った千尋は頑なに断る。

「……なんか静かだね」
「そう? 変わらないんじゃない?」
「……風、強いね」
「台風が近づいてるとか、天気予報で言ってたよ」

他愛無い言葉を交わしながら、千尋が心細く思っていることを那岐は悟った。
普段ならば風早と3人で、必ず千尋はどちらかの側にいた。
孤独が苦手な千尋は、居間でさえも一人でいることに耐えられなかったのだろう。
そんなことを考えていると、不意に背に温もりが重なった。

「ちょっと、重いんだけど」
「ごめん」
「……怖いの?」
「……うん」
肩越しに見ると、軽く背に体重を預けた千尋が小さく頷く。

幼い頃、千尋は意味もなく夕日を怖がっていた時があった。
さすがに今では、怯えて泣くようなことはないが、それでも時折不安そうな顔をすることがあった。
何気なく窓を見ると、雨が降り出したことに気がつく。
風に煽られた雨が、窓を激しく打ち始めた時、轟音が鳴り響いた。
瞬間、室内が暗闇に包まれる。

「えっ? 停電?」
驚く千尋に、さらに落雷の音。

「きゃあっ!」
慌ててしがみついてきた千尋を、振り返って反射的に抱き寄せる。
それは、物心ついた頃から彼女を守る習慣が身についているゆえだった。

「この辺りはみんな停電みたいだね」
外の明かりがないことを確認すると、那岐は腕の中でかすかに千尋が震えていることに気がついた。

「……怖いの?」
「うん。だってこんな真っ暗で、雷はすごい音で……」

千尋が答えている間にも再び雷鳴が鳴り響き、びくんと大きく肩が震える。

「当分戻りそうもないね、電気」
「……」
近隣一帯が停電状態だということは、復旧にはしばらくの時間が必要だろうと、冷静な頭が告げていた。

「こう暗くちゃ何も出来ないし。寝るかな」
「え? 那岐、寝るの?」
「だって何も出来ないじゃないか」
那岐の返答に、黙り込んでしまう千尋。

「……一緒に寝て欲しいの?」
「う……。……いい?」
しばらく逡巡する間の後に、千尋が上目遣いで那岐を見る。

「本気? いくつだと思ってんの?」
「だ、だって……怖いんだもん」

暗闇の中でも千尋が縋りつくような目をしているであろうことは、ぎゅっと服を握った手からも明らかで。
那岐は内心で、思いっきり眉をしかめた。

(一緒にって……何考えてるんだか……)

いくら怖いとはいえ、同い年の男と寝たがるというのは、あまりにも年頃の女の子としての自覚がなさ過ぎた。
その無垢すぎる様に、那岐ははぁ~っと心からのため息をつく。

「……千尋が眠るまでだからね」
「ありがとう!」
仕方なく了承すると、返ってきた明るい声に、那岐は本気で頭を抱えた。
手探りで千尋の部屋に辿りくと、暗闇の中でベッドを探り当て、もそもそと潜り込んだ。

「服のままだね」
「どこにパジャマがあるか分からないんだから、仕方ないだろ?」
「うん。そうだね」

何事もきちんとすることを好む千尋の言葉に、那岐がため息をつく。
千尋のベッドはシングルで、当然ながらそこに2人で寝ているのだから、自然と身体が密着しあうわけで。
那岐が必死に煩悩を祓おうとしていると、千尋がもそもそと蠢いた。

「ちょっと、もそもそ動かないでくれる?」
「ご、ごめん」
「……意識した?」
「……っ! ち、違う!」
からかい半分で問うと、明らかに動揺した声が返り、悪戯心が芽生えてくる。

「千尋って柔らかいよね」
「~~~わざと言ってるでしょ?」
顔を真っ赤に染めているであろう、千尋の唇を尖らせている顔を思い浮かべて、くっくと肩を揺らす。

「千尋があんまりにも無防備だから悪いんだろ?」
「那岐は家族だもん」

さらりと返された言葉。
それは那岐が想像していた通り。
しかし、それが面白いはずもない。

「僕だって男なんだけど?」
言うや、ついっと膨らみに触れると、びくんと大きな反応。

「な……っ! 那岐っ!?」
「あんまり油断してると知らないからね」

動揺している千尋に、軽く頬に口づけぎゅっとその身体を抱き寄せる。
滑らかな肌。
鼻腔をくすぐる甘い香り。
それらは那岐の鼓動を早めさせるもので、必死に自分を宥めて、それ以上の干渉を避ける。

「早く寝なよ。起きてると変な気起こすよ?」
「わ、わかった」

伝わってきたのは、自分と同様に普段よりもずっと早い千尋の鼓動。
ようやく意識してくれたのだと思うと嬉しい反面、非常によろしくない現状に那岐はそっと目を瞑った。
意識がうとうととまどろみかけた頃、すーっと安らかな寝息が耳に届く。

「千尋、寝たの?」

静かに問うが、返事はなく。
抱き寄せていた指に絡んだ金の髪が、さらさらと間から零れ落ちた。
コロンなどつけていないはずなのに、千尋の身体からは甘い香りが漂い、それに誘われるように、那岐はそっと髪に口づけた。
自分と同じ黄金色のそれに。

「……本当に、そんな無防備な姿さらしてると知らないよ?」

小さく呟くと薄い唇にそっと口づけ、身体に灯った火照りを冷まそうと、那岐は自分の部屋へと戻って行った。
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