暗闇の中に千尋はいた。
辺りを見渡すが人の気配はおろか、かすかな光も見えない。
完全なる闇。
「私、死んじゃったのかな……?」
脳裏に甦る先程の光景。
人質となってアシュヴィンの身を危険に晒したくなかった。
アシュヴィンの死と自分の命、どちらかしか選べないのなら、千尋は迷わずアシュヴィンが生きることを選んだのだ。
「剣も鍛錬すれば良かったな」
そうすれば自らの身を投げ出すのでなく、相手の剣を奪って突破するという道も作れた。
しかし、あの時の千尋にはその力はなく、愛用の弓も持っていなかった。
「アシュヴィンにも心配かけちゃった……」
身を投じる直前に聞こえた、緊迫した固い声。
振り向いた先には、顔を強張らせた彼の顔があった。
死にたかったわけじゃない。
ただ守りたいものを選んだだけだった。
と、突然頭上から光が差し込む。
その光を見上げた瞬間、懐かしい声が耳に届く。
『神子』
「遠夜……?」
『神子、そこにいてはダメだ。そこは黄泉に繋がる黄泉平坂』
遠夜の言葉に改めて周囲を見渡すと、ごつごつとした岩肌と先に続く暗い道が目に入る。
『神子、こっちへ――神子を呼んでる』
私を呼んでる?
疑問が頭に浮かぶと同時に、心を揺らす誰よりも愛しい声が名を紡ぐ。
『千尋! 目を覚ませっ!!』
「アシュ……ヴィン……?」
誰よりも愛しくて、心を蕩かす声――男性。
「アシュヴィン!」
死にたくない。
アシュヴィンの傍にいたい。
アシュヴィンに触れて、そのぬくもりに包まれたい!
千尋が強くそう願った瞬間、光が彼女を包み込んだ。
* *
『神子が戻った』
ふわりと微笑んだ遠夜に、アシュヴィンは寝台の千尋を見つめた。
瞼がわずかに痙攣し、ゆっくりと瞳が開いていく。
「目が覚めたな」
掠れた声に、千尋が緩慢な動きで傍らのアシュヴィンの姿を捉える。
「アシュ……ヴィン?」
「ああ」
返された言葉に戸惑いながら、ふと右手のぬくもりに気づく。
「手……ずっと握っててくれたの?」
「ああ。お前を黄泉の神に連れて行かせるつもりはなかったからな」
「黄泉……」
呟き、ずきっと疼く胸の痛みに顔を歪めた。
「動くな。傷に障る」
労わるように額を撫でる大きな手に、そっと瞳を閉じる。
「暖かい……」
心地良さげな千尋に、アシュヴィンがふっと口元を緩ませる。
そんな二人の様子に、土蜘蛛の二人はすっと姿を消した。
「あれからどうなったの?」
千尋の問いに、アシュヴィンはわずかに眉をしかめた。
「あいつらは即座に捕らえ、牢の中だ。本当は切り捨てても良かったのだがな」
「アシュヴィン」
「わかってる。殺してはいない。他にも仲間が潜んでいないか、聞き出さなくてはいけないからな」
咎めるような千尋の声に、アシュヴィンが苦笑いする。
「……傷は痛むか?」
「ううん。大丈夫だよ」
心配をかけまいと、無理に微笑む千尋に、アシュヴィンが唇を噛む。
「すまない。叛徒の宮内侵入を許したのは俺のミスだ」
「ううん。私も宮内だからって油断してたの。ごめんなさい」
服の合間から覗く包帯が痛々しく、アシュヴィンは顔を歪めた。
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