千尋がアシュヴィンと結婚してから、一年の月日が流れた。
常世の国の后であると同時に中つ国の女王でもある千尋は、相変わらず中つ国と常世を行き来する多忙な日々を過ごしていた。
だが『平和で豊かな国にする』という共通の目的が、離れている時も二人の想いはひとつなのだと信じることが出来た。
それはアシュヴィンも同様で、千尋を愛しく思うが国もまた大事であり、天秤にかける事などできぬ存在だった。
そんな千尋が久しぶりに常世に滞在することとなり、アシュヴィンは朝から上機嫌だった。
そうしていつも以上の早さで政務をこなし片付けると、久しぶりの空白の時間を過ごそうと碧の斎庭へ足を向ける。
途中『后妃』という言葉が聞こえ、アシュヴィンは柱に身を隠して会話に耳を立てた。
「后妃は本当に我が国の至宝ですな」
「ええ、もともとお美しいお方でしたが、
眩い金の御髪を結い上げられるようになられてからは、まるで少女の靴を脱ぎ捨てられたかのように気品溢れるお美しさで……まさに大輪の花が開花したようですからね」
千尋を揃って褒め称える文官達に、アシュヴィンの口元が自然とつりあがる。
禍日神との戦いで、千尋自ら切り落とした麗しい金の髪も、一年がたった今では結いあげられるくらいの長さに伸びていた。
彼女はどうやら髪をきちんと結い上げることが好きらしく、出逢った頃同様に高く結い上げて綺麗にまとめていた。
「あのようにお美しいお方を后妃に迎えられた皇が、本当に羨ましいですな」
「そうですね」
なおも褒め称える文官達に、段々とアシュヴィンの顔が不快気に歪んでいく。
自慢の后を褒め称えられるのは嬉しくもあるが、反面彼らの憧れの対象となっていることが腹立たしかった。
アシュヴィンは気配を殺していた柱から姿を現すと、驚く文官達の目の前を大股でずかずかと横切る。
後ろで文官達が慌てる気配を感じながら、アシュヴィンは振り返らずに碧の斎庭へと歩き去った。
『碧の斎庭』の名の通りすっかり豊かな緑を取り戻した庭で、しかしアシュヴィンは仏頂面でその光景を眺めていた。
忙しい政務の中の珍しい憩いの一時であると言うのに、おおよそくつろいでいるとは思えぬ主の態度に、お茶を届けに来たリブは困ったように問う。
「や、どうされたのですか? 久しぶりにくつろがれる時間が出来たのでは……?」
「……………」
自分の入れた香草茶を、相変わらずの仏頂面で飲むアシュヴィンに、リブが小さくため息をつく。
政務を終えた時は、久しぶりの千尋の滞在に上機嫌だったと言うのに。
そんな主の急降下の理由が分からず困っていると、入り口に人の気配があり続いてととと……と可愛らしい足音が聞こえてくる。
それが誰のものか、姿を見ずともわかったリブの顔がほころぶ。
碧の斎庭に一際眩く差し込む金の光。
それはこの常世の国の后妃・千尋だった。
「お帰りなさいませ、皇妃」
「ただいま、リブ。急いで駆けて来たから喉が渇いちゃった。私もお茶お願いしてもいい?」
「はい、少々お待ちください」
絶妙なタイミングで現れた千尋に、リブは快諾すると不機嫌な主を彼女に任せて、香草茶を入れるべく根宮に引き返す。
「どうしたの? アシュヴィン?」
「……なにがだ?」
「なんかものすごく機嫌悪そう」
アシュヴィンの前に座り、きょとんと彼を見つめる千尋に、内心で舌打つ。
本来ならば久しぶりの再会を、千尋を胸にかき抱いて喜ぶ予定だったのだ。
それが会った早々の仏頂面では、千尋が驚くのも無理はなかった。
「何かあったの?」
そっとアシュヴィンの頬に触れた細く美しい指を握り返すと、苦々しげに口を開く。
「お前を褒め称える文官達の会話を聞いた」
「え?」
「最近のお前は、まるで大輪の花を咲かせたかのように美しい、と」
アシュヴィンの言葉に、千尋が頬を赤く染める。
「そ、そんなこと……」
照れる千尋の手を己の口元に寄せると、そっと唇を押しつける。
「確かにお前は以前よりもっと美しくなった。やつらが見惚れるのも当然だろう」
――だが面白くない。
不機嫌さをそのまま言の葉にのせると、千尋がぱちぱちと瞳を瞬かせた。
「もしかしてアシュヴィン……焼きもち?」
バツが悪く視線をそらすと、千尋の嬉しそうな気配が伝わってくる。
「……何を喜んでいる?」
「ごめんなさい。でもアシュヴィンが焼きもち妬くなんて初めてだったから、ちょっと嬉しかったの」
久しぶりの再会を勝手な焼きもちで台無しにしたアシュヴィンを責めるでなく、喜ぶとはどういうことなのだろう?
そんな思いが伝わったのであろう、千尋は花開くような可愛らしい微笑を浮かべアシュヴィンを見つめた。
「だって妬いてくれるってことは、それだけアシュヴィンが私のこと愛してくれてるから……でしょう?」
――だから嬉しいの。
本当に心から喜んでるのが分かるその笑顔に、アシュヴィンは苦笑をもらすと立ち上がって千尋を抱き寄せた。
「ア、アシュヴィン!?」
「……本当に我が后は俺の喜ばせ方を心得ているな」
顎を捉えてそのまま口づけ、久しぶりの甘い感触に酔う。
舌を絡め、情熱的なキスをかわした後、アシュヴィンに寄り添いながら千尋が呟く。
「もし私が前よりも綺麗になったのなら……それはアシュヴィンのおかげだよ」
「俺のおかげ?」
「うん」
不思議そうに瞳を見開くアシュヴィンに、千尋が幸せそうに微笑む。
「だってアシュヴィンに愛されて私がとても幸せだから。だからきっとそんな想いが溢れてるからだと思うの」
「まったく……お前には本当にかなわんな」
千尋の言葉に、アシュヴィンは苦笑をもらす。
大輪の花は己のために開いたもの。
そう臆面もなく告げる千尋が愛しくて、アシュヴィンはもう一度唇を重ね合わせた。