あなたと歩む未来-3-

ヒノ望6

あの日の出来事は、二人の間にわずかな溝を作った。
今、ヒノエが愛するのは自分だけだと信じているのに、拭えない悲しみを抱く望美と。
消せぬ過去が望美を傷つけてしまったことを悔やむヒノエ。
結婚を間近に控えてのこの事態に、ヒノエは大きなため息をついた。

二度と会えなくなることなど考えられなくて、望美に生まれ育った世界を捨てさせ、熊野まで連れてきたのはヒノエだった。
なのに、そんな犠牲を払ってくれた彼女を傷つけてしまった己の不甲斐なさが腹立たしかった。
視線の先には純白の衣。
それは以前譲から聞いて、密かに用意していた物だった。

しばらくそれを見つめていたヒノエは、意を決して立ち上がると廊下へ出る。
静まり返った廊下をゆっくりと歩いて行くと、望美の部屋の前で立ち止まった。
通常なら寝ている時刻であったが、起きているという確信があった。

「望美」
そっと扉越しに声をかけると、一瞬息をのむ気配。

「……ヒノエくん?」
「入ってもいいかい?」
少しの間をおいて呟かれた名に、ヒノエは部屋に入る許可を願う。
今までなら何も言わずに入っていたが、今はそれが出来なかった。

「いいよ」
望美の同意を得て部屋に入ると、窓の傍に座った望美の姿が目に入る。
月明かりだけの室内はほの暗かったが、それでも望美の姿はまるで彼女自身が光り輝いているかのように、ヒノエの目にはっきりと映し出された。

「こんな夜更けに悪いね」
「起きてたから大丈夫」

そっと微笑む望美に、胸がチクリと痛む。
夜も更けているというのに、月を眺めていたという望美の心情がわかり辛かった。

「どうしたの? 何かあったの?」

夜遅くに訪ねてきたヒノエに、望美は何かあったのではないかと彼を気遣う。
先日の出来事はショックではあったが、それでもそのことでヒノエを嫌いになどなれるはずもなく、それよりもいつにない硬い表情をしていることの方が気になった。

「いや……ただお前に会いたくなっただけだよ」

切なげな笑みに、ヒノエもまた自分を傷つけたことをひどく悔やんでいることがわかり、胸が痛む。

「ヒノエくん、あの……」
言葉を紡ごうと開かれた唇を、しかしヒノエの指が止める。

「俺に先に言わせてくれないか?」
望美が頷くと、ヒノエは瞳をまっすぐに見つめて話しだす。

「あんなことの後で信じてもらえないかもしれないけど、さ。俺は望美が好きだ。こんなにただ一人に焦がれることなんてなかった」

思いがけないヒノエの告白に、望美は驚き紅の瞳を見つめ返す。

「お前だけは絶対に手放せない。だからもう一度言うよ。俺の……ただ一人の女になってほしい」

まっすぐに向けられた双眸は真剣で、言葉を失っていると、左手に冷たいものが通される。
驚き見ると、それはきらりと輝く銀の指輪。

「ヒノエくん……これ」

「お前の世界では、愛する女に銀の指輪を贈って永遠の愛を誓うんだろ?
前に将臣から聞いて作らせといたんだ。お前が俺の想いを受け入れてくれたら渡そうと思ってね」

確かに望美の世界では指輪に永遠の愛を誓う、結婚の儀式があった。
でもそれはこの世界にはない習慣で。
ヒノエが望美を熊野に誘ったあの時よりもずっと前から、自分を愛してくれていたのだと、指輪が伝える真実にヒノエの胸に飛び込んだ。
涙が頬を流れていく。
でもそれは悲しみの涙ではなく、喜びのものだった。

「ヒノエくん……ありがと……っ」
「俺の求愛を受け入れてくれるかい?」
「うん……私もヒノエくんのこと、大好きだよ」

頬を伝う雫を唇ですくって、そのまま彼女のそれに重ねる。
溢れる想いを温もりに変えて、何度も何度も重ねて伝える。
ヒノエが伝える想いは、望美の胸に重く突き刺さっていた悲しみをゆるやかに溶かしていき、そうして後にはただ愛しく思う気持ちだけが溢れ、望美の中を満たしていった。

* *

数日後の結婚の儀は、盛大かつ厳かに行われた。
三山を治める別当の結婚ということで、列席しているそうそうたる面々に望美は終始緊張し、感動に浸る間などなく必死に覚えたしきたり通りに儀式をこなしていった。
そして一通りの儀式を終えた頃には感動よりも疲労が勝り、望美はようやく戻れた自室で、ぐったりと脇息にもたれて大きく息を吐いた。

「疲れたかい?」
「うん……ちょっとね」
言葉と裏腹のかなり疲労した姿に、ヒノエが苦笑する。

「お疲れのところを悪いけど、もう一つやることがあるんだぜ?」
「えぇっ!」

朝からずっと追われていた儀式がようやく終わったと思っていた望美が泣きそうになる。
そんな彼女に、ヒノエは髪を一房手に取るとふふっと微笑んだ。

「心配しなくても大丈夫だよ。今度のは内輪だけのものだからね」
「内輪?」

不思議そうに首を傾げる望美に、ヒノエは口の端をつりあげ外に控えている者に声をかける。
それを合図に開かれた扉を見て、望美は驚きの声を上げた。

「……朔!?」
「久しぶりね、望美」
「え? どうして朔が?」

京にいるはずの朔が目の前にいることに、望美は戸惑いヒノエを見た。

「朔ちゃんもお祝いに駆けつけてくれたんだよ」
「おめでとう、望美」
「ありがとう……っ」

決して近いとはいえないこの熊野までお祝いに駆けつけてくれた親友に、望美の瞳に涙が浮かぶ。

「じゃあ、早速準備を始めましょうか」
「……え? 準備?」
にっこり微笑む朔に、望美が目をぱちぱちと瞬く。

「じゃあよろしく」
「ええ、任せて頂戴」
「え? え? ヒノエくん? 朔?」

?マークだらけの望美に、ヒノエは片目を瞑って去っていく。

「さあ着替えましょうか」
「着替えって……どういうこと?」

わけがわからず戸惑う望美に、朔が微笑みながら奥の部屋を指差す。
その指先を追って視線を奥へと移した望美は、驚きの声を上げた。

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