姫君争奪戦

ヒノ望7

「帰さねえよ」
「えっ? でも……」
「バカだな。海賊が一度さらった姫君を返すわけないだろ?」
思いがけない言葉に唖然としている望美に、ヒノエはにやりと微笑んだ。

「神子の務めが終わっても、お前は俺のお姫様だ。お前を熊野に連れて行く。ずっと楽しく暮らそうぜ」

「ヒノエくん……いいの?」

「もちろんいいさ。俺が決めたんだぜ。誰が否なんて言えるんだ? それに、お前が来るのをみんな待ちわびてる。
可愛くて強くて、サイコーな姫君のお前を。野郎ども、俺の姫君に万歳三唱!」

「白龍の神子様万歳! 頭領万歳! 万歳万歳万々歳!」

「よし、熊野へ凱旋だ!」

源平の戦いに終止符を打った白龍の神子と、熊野の頭領を水軍衆が祝す。
それを満足気に見やったヒノエが、望美の肩を抱こうとした瞬間、その身体が横から掻っ攫われた。

「そうはいきませんよ、ヒノエ?」
「弁慶……っ」
「先輩! 熊野って……どういうことですかっ!?」
「え……っと」

しっかりと己の胸に抱き寄せて微笑む弁慶と、にじり寄る譲に、望美が困ったように眉を下げる。

「お前たち、いい加減にしろっ! まずは京へ戻り、兄上への報告が先だろう!」
「そうそう。今日は皆でお祝いだよ~」
「うむ」
「……そうだな」

九郎の雷に、景時がすかさず話を逸らし、
リズヴァーンと敦盛も同意。
見事な連携で、望美の熊野への嫁入りを阻止する八葉に、ヒノエはふっと鼻で笑うと不適に微笑んだ。

「どんなに邪魔しても無駄だぜ? 姫君のハートは俺のものだからね」
「ヒ、ヒノエくん!」
「本当なんですか!?」

顔を赤らめ慌てる望美に、真っ青な顔でにじり寄る譲。
そんな喧騒の中、白龍が嬉しそうににこりと微笑んだ。

「八葉が仲が良いことはいいことだね」
「……白龍、それは違うと思うわ」
「え? どうして?」

不思議そうに瞳を丸くする純粋な龍神に、対の神子である朔は深々とため息をついた。
戦に決着がついた途端、勃発した『望美争奪戦』。
共に旅する中で望美に惹かれていた八葉は、名乗りをあげたヒノエに迎撃態勢だったのである。

「せ、先輩は……こいつ……ヒノエのことが、その、好き……なんですか?」
「え、えっと……その……」
「もちろん」
「お前には聞いてない!」
真っ赤な顔で口ごもる望美を代弁するヒノエに、譲の怒りが爆発した。

「私も神子が好きだよ。神子もそうだよね?」

「え? あ、うん」

「……望美」

「あ、ゴメンっ! えっと、白龍のことは好きで、皆のことも好きで、でもヒノエくんももちろんす……」

「僕も望美さんが好きですよ。君もそう思っていてくれたなんて嬉しいな」

「俺も望美ちゃんのこと好きだよ~」

「……うむ」

「その……私も……神子のことが……その……」

次々と上がる告白に、ヒノエの眉がキリリとつりあがる。

「往生際が悪いぜ? 姫君が想いを寄せる男は、俺一人なんだよ」

「それは違うよ、ヒノエ。私と神子は繋がっている。私は神子が好きだし、神子も私が好きだよ」

純粋であるがゆえに意固地な白龍に、ヒノエは大きくため息をついた。
戦が終わり、天女を天に帰さず、己の熊野へ連れ去ろうとしていたところでの壮絶なる邪魔。
七人の男たちの悪意ある横槍(白龍は別だが)に、怒りがふつふつと湧き起こる。
そんなヒノエの嫉妬の炎に油を注ぐのは、天然ゆえに罪な天女。

「えっと、戦が終わったばかりだし、皆ともゆっくり話したいし、とりあえずは京へ戻らない?」

「……姫君は俺と2人きりで過ごすより、あいつらといる方がいいみたいだね」

ヒノエらしからぬ刺々しさを露わにした言葉に、望美が慌てて否定する。

「そ、そんなことないよ」

「そうかい?」

「それはそうですよね。今まで生死を共にしてきた仲間なんですから、別れ難いのは当然ですよね」

「え? あ、そうですね」

「……望美」

「あ! えっと……」

「朔殿が呼んでますよ。そういえば、今日は譲くんがご馳走を作ってくれるそうです。なんでも望美さんの世界の料理だとか……」

「え? 本当ですか!?」

食い意地のはった少女の心のメーターが見事ご馳走に偏ったところで、ヒノエはがくりと肩を落とし、忌々しげに叔父を睨んだ。

「弁慶……この借りは必ず返すぜ?」
「ふふ、どうぞ?」

返せるものなら返してみろ、とばかりの微笑みに、ヒノエが心底嫌そうに眉をしかめた。
勝ち戦に麗しき天女。何にも勝る宝を手に入れ、悠々と熊野への凱旋を思い描いていたというのに、木っ端微塵に打ち砕かれた現実。
に、しかしヒノエはにやりと不敵な笑みを浮かべた。

「――俺を焦らした罪は重いぜ? 姫君?」

ふふふ……と、腹黒と称している自分の叔父
よりも黒い笑みを浮かべたヒノエは、神子姫奪還の策を講じるのであった。

* *

戦の勝利を祝して、杯が交わす。
そんな賑わいの中で、一人ヒノエは憮然とした顔をしていた。

「少しは場の空気を考えてはどうです?」
「……あんたがそれを言うのかよ」
「ふふ」

いけしゃあしゃあとした態度に、ヒノエの機嫌がさらに下降する。
清盛を倒し、愛しの神子姫様を手に入れ、晴れて熊野へ凱旋を……と思ったところでの、八葉による壮絶なる邪魔。

二人きりになろうとすれば、誰彼かが望美を呼び。
肩を抱こうとすれば、乱入され。
カタール片手に、あわや乱闘かという騒ぎにまで発展した争奪戦。
その見事なまでのヒノエを除いた八葉の連携に、京に戻る船の中で、何度となく苦汁を舐めさせられたのである。
思い出されたその時の光景に、ヒノエはますます眉間のシワを深めた。


「潮風は冷たいだろ? さあ、俺のう……」
さりげなく腕の中へ引き寄せようと、肩を抱きかけたその横から掻っ攫う黒い影。

「望美さん、これを」

「弁慶さんの外套? でも、私がこれを着たら、弁慶さんが寒くなっちゃうんじゃ……」

「ふふ、大丈夫ですよ」

「そんなの纏ったら、姫君に腹黒さが移るぜ?」

愛しの姫君の肩をさりげなく抱き寄せる叔父に、ヒノエが忌々しげに呟いた途端、素早く薙刀の柄でみぞおちを小突かれ蹲る。

「ヒノエくん?」

「ああ、潮風に当たりすぎてお腹の調子でも崩したのでしょう。さあ、望美さんも中に入りましょう。薬湯を作るのを手伝ってもらえますか?」

「はい! ヒノエくん、すぐに弁慶さん特製の薬湯持ってくるから待っててね!!」

弁慶の言葉を真に受け、勘違いした望美が、さりげなく弁慶に肩を抱かれて船内に行くのを、的確に急所を突かれ身動きの取れないヒノエは、唇を噛みしめ怨念のこもった瞳で見送った。
いっそ船を転覆させて掻っ攫ってやろうかと、殺気を滲ませながら半ば本気でヒノエは考えていた。


「あの時の薬湯……実は毒が入ってたんじゃないのか?」

「もしそうなら、君がこの場にいることはなかったでしょう?」
ああ、でもそうした方が良かったかもしれませんね。
にこりと笑って言いのける腹黒い叔父に、ヒノエが苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。


あの時の薬湯の味といったら、それはもう想像を絶する味だった。
望美に与える時などは、飲みやすいようにと味を調える配慮がなされているが、ヒノエに渡されたそれにはそんな配慮は一切なく、むしろ飲めないようにわざと酷い味にしたのではないかという代物だった。
本当ならば投げつけたいぐらいだったが、心配して持って来てくれた望美の好意をむげには出来ず、また飲まないことで弁慶にあれこれ言われるのが嫌で、必死の思いで飲み込んだのだ。
そのおかげで本気で体調を崩して、京に着くまでほぼ寝たきりの状況に追い込まれたのだが。

ごごごごご……と異様な空気をかもし出す二人に、すぐ傍に座っていた敦盛がおろおろと慌ててとりなしにかかるが、火花を散らすこの二人に適うはずもなく。
朱雀2人の瘴気(?)に当てられ、敦盛が儚くなりかけているところで、救いの神・望美が現れた。

「ヒノエくん? 弁慶さんも……どうかしたの?」
「望美さん」
「いや? 何もないよ」
「ええ。可愛い甥と語らっていただけです」

先程ヒノエに向けられていたものとは打って変わった弁慶の態度に、ヒノエが内心「誰が語らってたって?」と毒づく。

「このお酒、とっておきなんだって九郎さんが言ってましたよ。さ、弁慶さんもどうぞ」

「君が注いでくれるんですか? ふふ、嬉しいですね」

「姫君。俺には?」

「……ヒノエくんって私と同い年だよね?」

元の世界では未成年で、自ら飲むことのない望美は、同い年だというヒノエに薦めることを躊躇った。

「姫君の世界ではダメでも、こっちじゃ普通だぜ?」
「う~ん……じゃあ、はい」
杯を差し出すヒノエに、望美は戸惑いつつも酒を注ぐ。

「ふふ、姫君に注いでもらった酒は格別だね」
「……さすがは熊野」
揃って甘い囁きを贈る二人に、望美が照れたような呆れたような声で呟く。

「こんな奴と一緒にしないでくれるかい?」
「同感ですね」
「二人とも息バッチリだよ?」
「とんでもない。ヒノエと僕は、同じ人を想う恋敵ですから」

さらりと告げられた言葉に、しかし恋事にはとんと疎い望美は理解できず、きょとんと瞳を瞬いた。

「そうです! 先輩! 本当に元の世界に
戻らないんですか!?」

弁慶の言葉を受け、譲が船上での出来事を蒸し返す。
それに一瞬だけヒノエに視線を移すと、望美ははっきりと頷いた。

「うん。私はヒノエくんと一緒に熊野に行くよ」
「先輩!?」
「本気か!?」

次々と上がる驚愕の声にたじろぎながらも、しっかりと肯定する。
船の上では照れくさくてつい口ごもったがために、ヒノエの機嫌を損ねてしまったからだ。
そんな騒動の中、一瞬目に入ったヒノエの顔に望美は驚いた。
うっすら染まった目元。
わずかに開いた、驚愕を象った口。
それは普段ならば見たことのない、素の彼だった。

「ヒノエ、くん?」
呼びかけると、普段通りに戻ったヒノエが、優越感を滲ませながら望美の肩を抱き寄せた。

「そういうわけだから、俺の奥方殿に手を出すなよ?」
「お、奥方っ!?」
「……望美さん、早まってはいけませんよ」

眉を潜める弁慶に、しかし彼の想いなどわかっていない望美は、残酷なまでに華やかな笑顔で首を振った。

「早まってなんかいませんよ。ヒノエくんが攫ったんじゃなくて、私が望んだんですから」

きっぱり言い放った望美に、ぱたりと倒れた譲。
密かにうちひしがれる九郎と敦盛。
神子姫様の鶴の一声で、一気に勝者に輝いたヒノエは、満足げに望美に口づけた。
そのヒノエの行動ににわかに殺気立つが、恥ずかしさのあまり望美が突き飛ばしたことによって、その場は収まったのだった。
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