とけてまた、積もりゆく

朔3

深夜――。
寝所を出た朔は庭に降り立つと、一人空を見上げた。
今日は朔月。
月の輝きのない空は闇に覆われていた。
そっ、と胸に手をあてる。
黒龍を失ったあの日から、朔の心には消せぬ深い傷が刻まれた。
だけどその痛みすら、大切なあの人に繋がるから。
心を凍らせ、他の人を立ち入らせず、痛みと共に生きてきた。
だけど―――。

「神子」
闇の中から聞こえた声に、朔は驚き奥を見た。
そこには闇よりも深い、しかしその存在を飲み込まれることなく佇む漆黒の少年がいた。

「黒龍。どうしたの、こんな遅く?」
「神子の声が聞こえた」
「私の?」
こくりと頷く少年に、朔は困惑した。
目の前にいるのは、京を守護する龍神の半身。
朔の愛した黒龍の新しい姿だった。

「神子の……泣き声……私を――前の龍を求める声が」
「っ……!!」
少年の言葉に呼吸が止まる。

「私……は……」
何とか紡ぎ出した声は、しかし震えていた。

「私はあなたの愛した龍ではない。だが私は私の神子を……あなたを愛しいと思う」

「黒龍……」

「あなたの苦しみを取り除きたい。だが私ではあなたを癒せない……」

少年は年若き自分に悔しさを滲ませる。
そんな彼を、朔は抱きしめた。
この子は私を愛した――私の愛した龍とは違うかもしれない。
だけど、私を神子と呼んでくれる。
触れることが出来る。

「いいえ。あなたは暗い闇に沈んだ私を救い出してくれたわ」
「私は……」
「あなたは黒龍。黒龍だわ」

朔の想いが分からず、少年は困ったように彼女を見る。
その姿にかつての龍の面影が重なって。
違うけれど同じなのだと、ふわりと心が温かくなる。

幻でも会いたいと、そう望み求めていた。
だけど、あの人は厳島で消えてしまった。
だけど……残っている。
消えると言った思慕の念が。
瞳に、声に、過去の想いを感じるから。

「私は今、幸せよ」
「何故だ?」
「あなたが……黒龍が傍にいるから」

朔の言葉に少年は戸惑う。
だけど、それは偽りじゃないの。
未来は続くのだと信じられるから。
以前は自分が見上げていたのに、今は彼の方が自分を見上げてる。
そのことが可笑しくて、くすくすと肩を震わす。

「な、なぜ笑うのだ」
「ごめんなさい。嬉しくて」

顔を赤らめそらす仕草が愛しくて、朔はもう一度その小さな身体を抱きしめる。
誰よりも愛しいあなた。
幻でもいいから会いたいと思っていたその願いは叶い、今あなたはここにいる。
だから、もう泣かなくていいの。
何度も絶望して、それでも諦められなくて、心を凍らせるしかなかった過去の――私。

「あの子の『大丈夫』は本当に大丈夫だから」

いつも隣りで『大丈夫』と、くじけそうになる朔を励ましてくれた、今は遠い時空にいる対の神子。
望美のおかげで、私は今の幸せに辿り着いたから。

「黒龍。あなたの聞いた嘆きは過去の私。今の私ではないの」
「そうなのか? ……人間は難しいな」
「ふふ、そうね」

考え込む少年に微笑んで、空を仰ぐ。
この暗い闇夜にも、再び月は満ちると今は信じられる。
想いはまた積もる、と。
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