笑顔を永久に焼きつけて

リズ望3

『ある日目覚めたら、そこは見知らぬ世界でした。』
そんな出だしで始まるおとぎ話のような現実に、望美は目の前にいる男をまじまじと見つめていた。

「……神子か。しかし、お前は私の神子ではない。何者だ」
肯定の否定の追及に、望美はこんがらがった頭を必死に動かし、答えようと試みる。

「えっと……私は確かに『白龍の神子』で、でも『あなたの神子』ではないですね。そんでもって、春日望美……と言います」
一気に彼の望んでいるものであろう答えを告げると、無表情だった顔に不快の色が浮かんだ。

「白龍の神子……確かにお前が纏うのは神気。神子で相違ないだろう」

「はぁ……」

「しかし、私の神子はお前ではない。『春日望美』、お前はどこから来た?」

「……私にもわかりません。起きたらここにいたんです」

そう、昨日は確かに京の、リズヴァーンの隣りで寝ていたはずなのだ。
なのに起きてみると、そこにいたのはリズヴァーンではなく、見知らぬ緑の髪の細身の男だった。

「私は安部泰明。京の陰陽師だ」
「陰陽師? じゃあ、景時さんのお知り合いですか?」
聞きなれた単語に反応すると、帰ってきたのは否のそっけない返事。

「景時という者に覚えはない」
「……そうですか」
ようやく接点が見出せそうと思ったところでの否に、望美が力なく肩を落とす。
そっと室内を見渡すが、やはり見覚えのない部屋で。

(どうして私、こんなところにいるの~!?)

心の中で叫ぶと、目の前に座った『泰明』と言う陰陽師が、またもや眉間にシワを寄せた。

「うるさい」
「え? あ、ごめんなさい」
とっさに謝るが、ん? と首を傾げる望美。

(あれ? 私、今声に出してたっけ?)
「私は神子の心の声を聞ける。ゆえに、お前の声も聞こえる」
望美の疑問にあっさりと答える泰明に、望美はボッと顔を赤らめた。

「え? こ、心の声が聞こえるっ!?」
「そうだと言っている」
何度も同じことを言わせるな――そう言外に告げられ。
しかし、望美がそれに同意することは出来なかった。

「ちょ、ちょっと待ってください! 神子の声が聞こえるって、どうして!?」

「私は師の術によって作られたもの。人あらざるものゆえに、虚ほな身に声は響く」

難しい言い回しにどこか懐かしさを感じながらも、あまりにも驚く内容に、望美が混乱する。

「えっと、作られたもの? 師の術でって……あなたは人じゃないんですか?」

「そうだ。人を模したモノに過ぎぬ」

「そ、そんなこと出来るもんなんですか!?」

「わが師・安部清明は、京でも随一の陰陽師。師に不可能はない」

きっぱりと言い切られては、望美は頷くしかなかった。

「――じゃあ、思ったことは全部口に出した方がいいってことですよね。うん、わかりました」
自己完結する望美に、泰明はまたもや眉間のシワを深めたが、結局は何も言わなかった。

「えっと……泰明さん?」

「なんだ」

「どうして私が白龍の神子だって分かったんですか?」

「先程も言ったはずだ。お前は神気を纏っている。そのような人間は、神子ただ一人」

言いながら、泰明がわずかに顔を曇らせたのに気づく。

「――さっき『私の神子ではない』って言ってましたよね?」

「ああ。私の神子はただ一人。天へと帰った『元宮あかね』という神子だけだ」

「元宮あかね……天へと帰った?」

泰明の言葉を反芻する望美に、端的に是と答える。

「神子は龍神を呼び出し、京を救った。ゆえに役目を終えた神子は、天へと帰った」

「龍神を呼び出したんですか? 始めから一緒にいなかったんですか?」

「龍神は神。本来、人前に現れることなどない存在だ」

泰明の説明に、望美は以前自分を慕っていた幼き龍神の姿を思い出す。

「私の龍神は、ずっと傍にいました。人の姿を模して」
「龍神が人を模す? ……ありえぬ」
「でも本当なんです」
信じようとしない泰明に、望美はムッと言い返す。
望美の元に龍神――白龍が幼き姿で共にいたのは、本当のことであったからだ。

「でも、今ので一つ分かりました。ここは私のいたところとは違う時空なんですね」

「……そのようだ。お前の周りに、異界への狭間が見える」

「陰陽師ってそんなことまでわかるんですか!?」

「師の弟子でわかるのは、私ぐらいだ」

泰明の言葉に、彼が実は相当優秀な陰陽師だと言うことを知る。

「陰陽師ってすごいんですね。私の傍にいた景時さんは、どちらかというと武士って感じだったもんな」
かつての仲間を思い出し、望美がふふっと微笑む。

「お前が先程から口にしている、その景時という者は陰陽師なのか?」
「はい。安部家で修行したって言ってました」
望美の言葉に泰明は考え込む仕草をする。

「……今まで陰陽寮にもそのような者は存在していない。やはりお前は異なる時空の神子なのだな」

「そうみたいですね。出来れば私、元の時空へ帰りたいんですけど、泰明さん方法わかります?」

「わからぬ。時空を越えるなど人の理では不可能だ」

「……そうですか」

そう簡単にはいかないだろうとは思っていたが、やはり落胆の色は隠せない。

「あ~……先生、急に私が消えて心配してるだろうなぁ」
「先生?」
「私の剣の師で……大切な人なんです」
望美の答えに、泰明が口をつぐむ。

「お前も私の神子と同じく、異世界より龍神に招かれたのであろう?」
「あ、はい。そうです」
「なのに、元の世界へ帰らなかったのか?」
「はい。だって、先生の傍にいたかったから」
望美の眩い笑顔に、泰明が苦しげに眉を潜める。

「泰明さん?」

「……お前は元の世界へ帰りたいとは思わなかったのか?」

「思いましたよ、始めは。でも、皆と一緒に旅したり、戦ったりしているうちに、帰ることよりも大切なものが出来たんです」
「それがお前の師か」

「はい」

望美の顔には迷いがなく。
彼女が心からその者の元へ残ることを願ったのだと、窺い知れた。

「神子も……この世界に大切な者がいれば、帰ることはなかったのだろうか?」
その声には拭えない痛みが宿っていて。
彼が『あかね』と言う神子を、どれほど大切に思っていたか望美にも分かった。

「きっとね? その『あかねさん』も、泰明さんや皆のこと、大切に思っていてくれたと思いますよ?」
「なぜだ?」
怪訝な顔で問う泰明に、望美はにこりと微笑み、言を紡ぐ。

「だって、大切だと思ったからこそ、龍神を呼び出したんだろうから。皆を守りたくて――」
望美の言葉に、泰明が目を見開く。

「そうか……確かに神子は京を救った。神子は私たちを……私を大切に思ってくれていたのだな」
「はい。きっとそうです」
頷くと、泰明の顔に初めて笑みが浮かんだ。
瞬間、望美の身体が眩い光に包まれる。

「戻る時が来たようだ」
「え?」
泰明の言葉に、周りが急速に色あせていくのを感じた。

「お前の本来の時空へと戻るのだろう。――お前を待つ者の元へ」
笑顔で見送る泰明に、望美はこの時空から引き離そうとする力にほんの少しの間だけ逆らい、必死に声を張り上げた。

「泰明さんはちゃんと『人』ですっ! 作られたものなんかじゃない……ちゃんと痛みがわかる。人を愛する気持ちを知ってるんですから!」

望美の言葉に、微笑んだ泰明の顔半分を覆っていた鼠色が、ふっと消えて行くのが見えた。



「……こ……みこ……神子」
「ん……せんせ……い……?」
目を開けた望美は、目の前にリズヴァーンの姿を見つけ、嬉しそうに微笑んだ。

「神子、目覚めたな」
「はい。無事、帰ってこれたみたいです」
望美の身に何が起こったのか、把握しているらしいリズヴァーンに、望美はにこりと笑んで頷く。
先程の出来事が、何者の力によるものなのかはわからなかった。
それでも。

「笑ってくれたんです。すごく嬉しそうに……」
「そうか」
分からない話を告げる望美に、しかしリズヴァーンは優しく頷く。

私の居場所はここ。
私が愛したこの人がいる、この時空だけだから。
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