その心が再び恋を知るまでは

冥かな3

■冥加慰め告白後のお話になります。響也に振られたところに冥加が来て……という慰め告白の状態なので、 響也←かなで←冥加の状態にご注意ください。

ジルベスターコンサートを終えたあの夜、響也に想いを告げ……ふられた。
油断していた――冥加にそう評された通り、響也なら受け入れてくれると、どこかで思っていたのかもしれない。
それでも髪に触れられた瞬間、思いが昂ぶり混乱して……自分たちは恋人にはなれないのだと、そう響也に言わせてしまった。
違うと、すぐに反論したかったけれど、幼馴染でいようと一方的に終わらされて、その場を逃げ出す以外他に出来ることはなかった。

胸が痛かった。
悲しかった。
涙が溢れて止まらなかった。
届かなかった想いも、勘違いされた想いも、すべてが苦しくて、でももう終わってしまった過去ではどうにもならなかった。
その事実が深く胸に突き刺さり、かなでは涙が枯れるまで泣き続けた。

寒い――そう感じたのは、どれぐらいそこで泣いた頃だろう。
コンサートの時のドレスのまま飛び出したため、冬の寒さに気づいた時には唇が青ざめるほど身体が冷え切っていた。
帰ろう、項垂れながら入り口に歩き出した時、耳に届いた低い声。
驚き見上げれば、そこには先程まで共に演奏していた冥加がいた。

「冥加さん……?」
「ひどい顔だな」

嘲るような言葉に、しかし裏腹にその響きは優しくて唖然とすると近寄ってくる大きなシルエット。
冥加と接する時は、いつも自分が声をかけていた覚えしかなく、だからこんなふうに彼からかなでに近寄ってきたことにひどく驚いた。
そんなかなでに触れる手。
頬に伝わるぬくもりが、冷え切ったかなでをあたためて。
その後に続いた言葉を、かなでは信じられない思いで聞いた。

* *

「ふぅ……」
練習を終え、ヴァイオリンをしまうと漏れたため息。
ジルベスター前から小倉の先生である弥勒院に目をつけられていた響也は、その勧めで出ることになったコンサートの一次に通り、ジルベスター後はそちらの練習に追われていた。
そのおかげで顔を合わさずに済んでいることは幸いだったが、同じ寮に住んでいるので気が抜けず、かなでは逃げるように学校に練習に来ていた。
無心にヴァイオリンを弾いている時は忘れられる――そう思っていたのに、思うようにはいかなくて、かなでの音は千々に乱れてしまっていた。
恋を知りたい――そう天宮は言っていたが、恋は音楽を輝かせるだけではないことを、かなでは身をもって知った。

「帰ろう……」

このまま学校に居続けるわけにもいかないし、早く帰らなければ響也と顔を合わせてしまうかもしれない。
まだ面と向き合う勇気は持てないかなでは、いつもは軽やかに持ち上げるヴァイオリンを気だるげに持つと、門の方へと歩きだした。と、門の外の黒塗りの車に気がつく。

「お早いお帰りだな」
「冥加さん? どうして……」
「以前、アンリ・デュボワのセミナーに参加していたな」

アンリとは以前、冥加の出演していたコンサートに招待された際に紹介された有名な指揮者で、その縁でセミナーに誘われ、参加したことがあった。

「アンリ・デュボワが指揮した2001年のニューイヤーのラデツキーに興味はあるか?」

「え?」

「日本では未発売のゲネラルプローべの音源も入った完全版CDがある。今、来るのならば聴かせてやろう」

思いがけない誘いはあまりに魅力的で、気づくと車に乗り込み、彼の隣りに座っていた。

「フッ」
目の前に餌をつられ飛びついた犬よろしくの行動を鼻で笑われ、赤くなる顔。
それでも背に腹は代えられず、かなでは冥加に連れられるままに天音学園を訪れた。

* *

「……どうだったかなどと聞くまでもないな。目は口程に物を言うとはいうが、貴様は言葉にせずともわかる」

「だって、すごいじゃないですか! あんな……しかも日本未発売なんですよ?」

興奮気味に語るかなでは会った時とは違い、キラキラと目を輝かせていて、冥加は内心で胸を撫でおろした。
あの夜、かなでを寮まで送り届けた冥加は、ずっとその様子を気にかけていた。
だが元々の多忙にもかかわらず、かなでの週末合奏団へ参加していたことで仕事はたまり、ここ数日は天音に縛り付けられていた。
ようやく時間を作り様子を見に行けば、案の定彼女は意気消沈しており、冥加は考えていた彼女の気を引く手段を行使した。

涙に濡れて、打ちひしがれていたあの日のかなで。
その姿は冥加の心を深く切り裂き、そして捕らえた。
いや、その前からすでに冥加のすべてはかなでに占められていた。
だからこそあの時、放っておけなかった。
矜持も捨て、ただ乞うた。
お前を愛することを許してくれ、と。

「あ、すみません!」
「俺が飲むついでだ」
「それでもありがとうございます」

コーヒーを差し出すと嬉しそうに微笑む姿に、どうしようもなく心が揺さぶられる。
小日向かなでが愛しい。
彼女の音も、心も、そのすべてが冥加をこんなにも捕らえている。

「それを飲んだら送っていこう」

「え? いいです。冥加さん、お忙しいんですよね? ここからなら自分で帰れます」

「連れてきながら捨て置くほど礼儀知らずではない。それに俺も今日は家に帰る。貴様はそのついでだ」

素直に送ると言えないのは、今までの関係性故。
理由をつけねば共にいることができない事を歯がゆく思いながら、冥加はカップを持ち上げた。

「あ、カップは私が洗います。洗わせてください」

施されてばかりなことに気が引けたのだろうかなでに、冥加は素直にカップを委ねると、いそいそと洗う姿を見守った。

* *

「かなで!」
冥加に送られ、菩提樹寮の前で降りたかなでは、呼びかけにびくりと肩を揺らした。
駆け寄ってくる姿に身を強張らせていると、ぐっと肩を引き寄せられた。

「……冥加? お前がなんでかなでと一緒にいるんだよ」

「駄犬がキャンキャン騒がしいな。貴様が口を挟む必要はない」

「くそ……っ、かなで、こっちにこい!」
伸ばされた腕に思わず身を引くと、驚く響也。

「かなで?」

「あ……その、冥加さんにCDを聴かせてもらってたの。遅くなってごめん」

「なんだよ、そういうことか」

「小日向」

ぐっと肩を掴む力が強まって見上げると、離れるぬくもり。

「欲しいCDがあれば天音に来るといい。大概のものは揃っている」
「あ、ありがとうございます」

身を翻し、車に消えた姿に、消えたぬくもりに寂しさを感じる。
あの夜、頬に触れたあたたかな手。
それは心まで冷え切っていたかなでを救うぬくもりだった。
失恋にいっぱいいっぱいで、あの夜冥加に言われたことをまだ飲みこめずにいる。
夢だったのではないかとさえ思ってしまう。だって、あの冥加が自分で妥協しろなんて言うなんて。

幼い頃、誤った優しさで深く傷つけてしまって以来、そのショックでかなでがその時の記憶を失っている間も、冥加はずっとかなでを恨んでいた。だから彼に冷たく接せられても文句は言えなかった。
それでも、あの夏の大会で少し冥加のかなでに対する認識が変わったようには感じていた。
はねのけるような態度を取りながら、週末合奏団に参加してくれたり、美術館に連れていってくれたり、コンサートに招待してくれたりと、その優しい一面に触れていたから。
――それでも、冥加に好かれているなんて思いもしなかった。

「慰めてくれただけ、だよね、きっと」

あの夜、打ちひしがれていたかなでに手を差し伸べた冥加。
今思えばずいぶんひどい言い様だった気もするが、それでもあの時の彼は優しく、かなでをすくいあげてくれた。
突然気づいた想いに戸惑う心。
かなでの心が再び恋を知り、動くのはもう少し後――。

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