CDを聴かせてもらったり、コンサートに招待されたり、練習を共にしたりと、あの夜から冥加と過ごすことが増えていた。
それはいつも彼からの誘いで、断る理由のないかなではいつもその好意に甘えてしまっていた。
それでも時折感じるヴァイオリンの音色に込められた想いは、切なくかなでの心を揺さぶって。
驚き見上げても、その顔には少しもその想いはにじみ出ていなくて。
かなでの戸惑いは日に日に増していっていった。
* *
課題を終えてノートを閉じたかなでは、ふと机の上に飾られたサモワールを見た。
以前、眉間にしわが寄っている冥加を心配してPC眼鏡を贈った際に、返礼として送られてきたそれはとても上質で、普段使いするにはもったいなく飾り物として机に置いていた。
物を恵んでもらういわれはない――そう言ってかなでが何かを贈っても、いつも何かしらの返礼を送ってきた。
「お礼をするのは私の方なんだよね」
冥加の誘いはかなでが心惹かれるものばかりで、行くたびに楽しませてもらっているし、何より気まずい日常から気を紛らわせてくれたので、失恋の痛手から少しずつ立ち直ってきていた。
「何かお礼ができないかな」
カレンダーを見ると今は2月。
「そういえばバレンタインデーが近いんだ」
昨年までは当たり前に響也にあげていた。
その時はいつも傍にいた異性の幼馴染に自然とあげていただけで、深い意味などなかったけれど。
さすがに今年はあげることはできないので、バレンタインの存在自体忘れていた。
スマホを取りだすと、冥加に14日に会えるかをメールで問う。
間もなくきた返信に、かなでは材料の買い出しを計画した。
* *
14日。天音学園を訪れたかなでは、勝手知ったるになりつつある理事長室の扉をノックした。
「入れ」
簡潔な承諾に扉を開くと、いつものように机に向かっている冥加が、ちらりとこちらに目をやった。
「お邪魔します。お仕事中にすみません」
「お前から日時を指定されたのは初めてか。何用だ?」
「あ、ちょっと待ってくださいね」
促され、かなではヴァイオリンを傍らに置くと、一緒に持っていた紙袋から綺麗にラッピングした箱を取りだした。
「今日はバレンタインデーなので、日頃のお礼を込めてチョコを作ってきました」
「……………」
「もしかして、甘いものは嫌いですか?」
「……ああ」
「ごめんなさい!ちゃんと好み聞いておけばよかった……」
よもや甘い物嫌いとは思わず、かなでは自分の浅慮に落ち込んでいると、スッとその手からチョコが消えた。
「え?」
「食べ物を粗末にするなど言語道断。これは俺が処分しておく」
「あ、枝織ちゃんが食べれますよね。良かった……。冥加さんには改めて甘くないものを作ってきますね」
「その必要はない。貴様から施しを受けるいわれは……」
「あります。私ばかり冥加さんに良くしてもらってますから、せめてもと思ったんです」
「……いらぬ気遣いだ」
「私、料理は得意なんです。だから楽しみにしていてくださいね」
いくら冥加が拒否しても全く通じないのがかなでの強みで、冥加は眉間にしわを寄せると内心ため息をつく。
と、突然伸びてきた腕に、反射的にその手を掴んだ。
「何の真似だ?」
「冥加さん、また目が疲れてるんじゃないですか? 眉間のしわ、すごいですよ」
だからほぐそうと思ったと、悪気なくあっさり言ってのけるかなでに、冥加は無言でその手を引き寄せ、指先にかすかに触れる程度に唇を寄せた。
「み、冥加さん?」
「目の前にいる男が自分にどのような想いを抱いているのか、知っていての行動なら大した悪女だな。褒美を与えれば尾でも振ると思ったか? ずいぶんなめられたものだ」
「そんなこと……」
「ないならどんなつもりでこれを持ってきた?愛を乞う哀れな男への慰めか」
「そんなんじゃない!」
自虐的な笑みを浮かべる冥加に、かなではその言葉を否定するとキッと彼を見上げた。
「私の行動が冥加さんをバカにしたように思えたのなら謝ります。でも私はただ、ずっと私を気遣ってくれた冥加さんにお礼がしたかったんです」
辛い時に手を差し伸べてくれた。
冥加の行動はあの時のぬくもりと同じにあたたかくて、かなでの冷え切った心をあたためてくれたから。
だからこそ、何かお礼をしたいと思ったのだ。
「俺に礼など不要だ。こちらの勝手で行ってるにすぎん」
「だったら、私も勝手にやります」
売り言葉に買い言葉なのか、ムキになっているようにも見える態度に戸惑ったのは冥加の方で、かなでは立ち上がるとヴァイオリンを手に扉へ向かう。
「好みがわからなかったので、普通のミルクチョコとビターとあるので、もし食べれそうだったら食べてみてください。あ、でも、差し入れはまた後日持ってきますからね」
では、と冥加が反論する前に去っていったかなでに、取り残された冥加は机の上の箱を見る。
一見してわかる、自身で包んだラッピングを解くと、中に入っていたのは売り物と遜色ない出来をしていて、ついと1つつまんだ。
「甘い……」
歪んだ眉は甘さにか、チョコの存在そのものにか。
自分をこれほどまでに揺れ動かすのは彼女だけだと、冥加は改めてその存在の大きさを感じ、目を細めた。
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