my sweet

郁月4

「きゃっ!」
驚き悲鳴を上げた月子を抱き寄せて、すん……と鼻を動かす。
彼女から漂う、甘い香り。

「美味しそうだね」
「い、郁っ?」

違う意味に捉えたのだろう、顔を赤らめる月子に微笑んで、勘違いを理由に唇を食む。
……甘い。唇からも同様の甘さ。

「ねえ……僕に何か隠してる?」
「! べ、別に隠し事なんてないよ」

目をそらして否定する月子に、バレバレだよと内心で苦笑しながら「ああ、そう?」と素知らぬふりをして身を放した。

「あ……」
「なに? もっと抱いてて欲しい?」
「……っ。………うん」
「……君は……まったく」

隠し事をしていることが面白くなくてちょっといじめてやろうと思ったのに、こうも素直に認められるとこちらの方が恥ずかしくなって、「おいで」と腕を広げた。
ぽすん、と腕の中に身をすり寄せる月子に愛しさが募る。
けれど鼻をつく甘い香りが、神経を苛立たせた。

「そういえばお風呂が沸いたんだよね? お先にどうぞ」
「………」
「なに? もしかして、一緒に入りたい?」
「ち、違うよ……っ。入ってくる!」

慌てて風呂場へ駆けていく月子を見送って、姿が見えなくなったところで小さく息を吐く。
月子から香るにおい……それはチョコレート。
それが意味するところは、一月後に迫ったバレンタインだろう。

「お腹、壊さないといいんだけど」

優等生の月子の唯一ともいえる欠点が料理。
ただの緑茶でさえ、どうやったらあそこまで渋みを引き出せるのかというぐらいまずい茶を入れるのだ。
何度か食べた手料理も、苦笑が絶えないものだった。

「まあ、たぶん……」

よぎった想像に眉が寄る。
自分のためとはいえ、面白くない。
けれど必死に頑張る彼女の好意をむげにしたくなく、行き場のない憤りをため息にして吐き出した。

 * *

それから数日後。
珍しく出来た暇に会おうと月子に電話をかけると、一瞬の間の後「ごめんなさい」。
急ぎの課題があって今日は時間を作れないという返事に、この前の苛立ちが蘇った。

「へえ……課題って男と料理を作ることなんだ?」
『……え? 郁、どうしてそのことを……!』

かまをかけると焦った月子の返事に、自分の想像が当たっていたことにどろりとした嫉妬が奥底からこみ上げてきた。

「彼氏の誘いを断って他の男と会うんだ?」
『それ、は……』
「君が僕のことをどう思っているのかよくわかったよ。じゃあね」
『郁、待っ……!』

月子の返事をきかずに電話を切ると、辛辣な言葉を浴びせた罪悪感に襲われた。

「本当に最低だね……」

月子がどうしてそうしているのか知っているのに。
誰のためにそんなことをしているのか、知っているのに。
それでも自分の誘いを断って、チョコ作りを優先することが悔しくて、つい八つ当たりをしてしまった。

重い息を吐き出すと、携帯電話のコール音。
画面を見なくとも分かる。
その着信音は彼女のものだから。
出ようか迷っている間に、コールは途絶えた。

「はぁ……」
後悔に前髪をかきあげると、再びコール音が鳴り響いた。

「…………はい。なに?」
『郁、今どこにいるの?』
「別にどこだっていいんじゃない? 【課題】があるんでしょ?」

またしてもつく悪口に顔をしかめると、「教えて」と月子が言い募った。

「……大学のそば、だよ」
『大学……って、私の?』
「そう」

矢継ぎ早に居場所を確認する彼女に、ぞんざいに告げて電話を切ると、五分もたたないうちに息を切らして駆けてきた。

「はぁ……はぁ……」
「そんなに慌てなくても逃げやしないよ」
「そ……そういう……ことじゃ……」
「とりあえず喫茶店にでも行かない? 喉、乾いたでしょ?」

優しくしたいのに素直になれず、手を差し伸べることもできずに身を翻した。

 * *

コーヒーと抹茶ラテ。
注文した品をテーブルに運ぶと、二人用の席に腰を下ろす。

「はい。こっちは君の分だよ」
「ありがとう」
ようやく息が整った月子は、しかし抹茶ラテには手をつけずに郁を見つめた。

「……ごめんなさい」
「なにが?」
「課題があるっていうのは……嘘なの」

わかってはいたがこうして肯定されるのはやはり面白くなく、郁は「そう」とだけ呟き自分のコーヒーを口に運んだ。

「それで? 嘘をついてまでやろうとしていたことはいいの? 今日も約束、してたんでしょ?」

「錫也も、今日は郁の方に行きなって言ってくれたから大丈夫」

「…………」

錫也……予想通りの名前に眉が釣り上がる。
彼女が頼るとしたら幼馴染の東月しかいないと思っていたからだ。

「へえ……人の彼女に手を出しておいてずいぶんとえらそうだね」
「私が錫也にお願いしたの」

だからそんなふうに悪く言わないでほしいと、月子が眉を下げた。

「平気で彼氏以外の男を部屋に招き入れるなんて、君って結構軽い子だったんだね」
「…………っ」

辛辣な言葉を浴びせると、月子は唇を噛んで俯いてしまった。
こんなふうに傷つけたいわけじゃない。
やっぱり会わなければよかったと、電話で素直に居場所を伝えたことを後悔した。

「私が嘘をついたから、だから郁が怒るのは当然だと思う。本当にごめんなさい……」

「別に僕は怒ってるわけじゃ……」

「どうしても郁に美味しいチョコを作りたかったの」

月子は料理が得意ではない。
それは菓子作りも同じで、そんな時彼女が頼るのは、料理上手な幼馴染の東月。
幼い頃からずっと共に過ごしてきた東月を頼るのは、月子にとっては当たり前のことだった。

「……あのさ。君が僕のためにチョコを作ってくれようとしているのは嬉しいよ。でもそれより、練習に費やしてる時間を僕に使ってくれる方がずっと嬉しいんだけど?」
「うん……ごめんなさい」

素直に頭を下げる月子に、はぁとため息をつくとようやく目を合わせた。

「……行こう」
「え? どこに?」
「僕の家……よりは君の家の方が近いか」

いい? と問うとこくりと頷くのを確認して店を出る。

「はい」
「あ……」
「いらないならしまうよ」
差し出した手をポケットにしまおうとすると、慌てて繋ぐ月子に微笑んで並んで歩いた。

 * *

月子の部屋は几帳面な彼女らしく、不意の訪問にもかかわらずきちんと整えられていた。 そして――。

「練習の後、ね……」
「あ」
きちんと洗われた食器置き場にチョコレートの型を見つけ、郁は小さく息を吐いた。

「い、郁……」
「座るよ」

断りベッドに腰かけると、気持ちを落ちつけようと目をつむる。
それでも、こうして東月もここに座ったかもしれないと思うと面白くなく、苛立つ気持ちが抑えられなかった。

「郁? ……きゃっ!」

傍に寄ってきた月子の腕を引くと、ベッドに押し倒して唇を塞ぐ。
突然のことに驚いた気配はしたけれど、それでも郁を拒絶することのない月子に少しだけ荒立つ心が凪いだ。

「…………ごめん」
「ううん。嘘をついた私が悪いから……郁は謝らないで」
「でも……ごめん」

月子がどうして嘘をついたのか、それをわかっていてもなお苛立たずにはいられなかった自分を恥じいるように、郁はそっと目を伏せた。
そんな郁を柔らかな腕が包み込む。

「郁を傷つけて……ごめんなさい」

過去に人に裏切られ、郁は大きな心の傷を負った。
それがいまだに彼を苦しめていることを月子は知っていた。
知っていて、自分の浅はかな思いで再び傷つけてしまった。

「……あのさ。この体勢はちょっとまずいんだけど」
「え?」
「ここ。どこだかわかってる?」

郁の指摘に改めて状況を見て、月子の顔が真っ赤に染まった。

「ご、ごめんなさい……っ」
「ダメ」

慌てて身を起こそうとする月子を抱き寄せて、そのまま二人で身を寄せ合う。
愛しいぬくもり。
手放すことのできない、唯一のぬくもり。

「まさかとは思うけど、幼馴染とこんなことまでしたりしてないよね?」
「……っ、そんなことするわけないっ」

分かっているのに問うのは、はっきりと言葉で否定して欲しいからだと、子どものような独占欲に内心で苦笑して「当たり前だよ」と腕の力を強めた。

「でも男を部屋に不用意にいれることにはお仕置きが必要だね」
「え?」
「君って本当に罪作りだよね」

大事に、大事に守られてきたお姫様。
自分を守るナイトたちの想いに、月子はまったく気づいていない。
けれどナイトたちがそうとは限らないのだ。

「チョコなら僕が教えてあげるよ」
「え? 郁、チョコの作り方わかるの?」
「さすがに作ったことはないけど、君よりは器用だと思うよ」
「う……」

そんなことないとは言い切れない残念な腕前は本人も重々承知しているようで、それでも悔しいのかほんのり頬が膨らんだ。

「だから、料理教室はもうおしまい」
「でも……」

贈ろうとしている相手に教わるのはやはり不満なのだろう。
それでも、郁だって譲るわけにはいかない。

「君がそれでも東月に教わりたいっていうなら……僕も一緒に教わろうかな」
「え? 郁も?」
「なに? 都合悪いの?」
「……ううん! すごく……嬉しい……」
「……君、それ、反則だから」
「?」

そんなに幸せそうに微笑まれたら嘘だなんて言えなくなるだろ?
そう小さな抗議をこめて、もう一度甘い唇に口づけた。
チョコよりも甘い、唇。
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