声が聞きたい

梓月3

インターハイを有終の美で飾り引退した私たち三年生は、本格的に受験に専念するようになった。
今まで部活に力を入れていた分、遅れを感じずにはいられず、毎日時間を見つけては受験勉強に励む日々。
梓君はといえば、引退後部長となった小熊君を副部長として支え、弓道部を盛り上げることに頑張っていた。

「ふう……」

ペンを置いて時計を見ると11時。
夕飯後、ずっと机に向かっていたので、強張った身体をほぐすように伸びをすると、ふと携帯に目をやる。
受験勉強に励む月子を気遣ってか、梓から連絡が来ることは稀になり、以前のように毎日部活で顔を合わすことも出来ず、寂しさを感じていた。

「今じゃ遅いよね……」

少しだけ梓の声が聞きたいと、そう思ったけれど、遅い時間に躊躇い、メモリから呼び出そうとしていた指を下ろす。
ここ最近、こうして携帯を手にとってはかけずに下ろすことが続いていた。

「……わわっ! ……え?梓君?」

突然鳴り出した携帯に驚きディスプレイを見ると、そこに表示されていた文字は梓君の名前で。
慌てて通話ボタンを押して出ると、聞きたいと思っていた声が耳に届く。

『先輩、こんばんは。遅くにすみません。今、大丈夫ですか?』

「うん。ちょうど休憩してたところだから」

『それは良かったです。受験勉強の調子はどうですか?』

「この前の模試の結果がギリギリで……もう少し頑張らないとって気を引き締めてたところだよ。それよりどうしたの?  こんな時間に電話なんて珍しいよね」

『どうしても先輩の声が聞きたくなって、お忙しいとは思ったんですが我慢できずにかけちゃいました』

「梓君……」

『すみません』

「ううん。私も梓君の声が聞きたかったから……嬉しい」

梓の声が聞きたいと、そう思って何度も手にしては置いていた携帯。
その思いは自分だけではなかったことを知って、胸の奥が熱くなる。

『僕の声が聞きたくなったら、いつでもかけてきてください。どんなに遅い時間でも大丈夫ですから』

「そんな……梓君に迷惑だよ」

『迷惑だなんてそんなこと思いません。恋人が自分の声を聞きたいと思ってくれるなんて、嬉しいに決まってるじゃないですか』

「……ありがとう」

月子の我が儘を許してくれる優しい声が嬉しくて、幸せで。
携帯をぎゅっと握りしめる。

『会いたい時はいつでも言ってください。少しの時間でも、先輩と会えるのは僕も嬉しいです』

「ありがとう。私も梓君に会いたい。会って……抱きしめて欲しい」

『ふふ、会えない時間が愛を育むって本当ですね。先輩からそんな言葉が聞けるなら、我慢した甲斐がありました』

「梓君ったら」

『今度会った時は先輩が放してほしいと言っても放しませんから、覚悟していてくださいね?』

「うん」

『……先輩、可愛すぎます。そんな幸せそうな声で言われたら、今すぐ会いに行きたくなっちゃうじゃないですか』

「ご、ごめんなさいっ」

『謝らないでください。明日、夕飯の前に少しだけ抜けられますか?』

「うん、大丈夫だよ。でも、梓君、部活は?」

『もちろん、終わってすぐに駆けつけます。だから僕と会ってください』

「うん、私も梓君に会いたい」

『じゃあ、明日会えるのを楽しみに、今日は我慢しておきます。先輩、頑張りすぎて無理しないでくださいね』

「うん。ありがとう。おやすみなさい、また明日」

名残惜しい気持を堪えて通話を終わらせると、携帯を胸に抱きしめる。
明日梓に会える……それを糧に再びペンをとると、受験勉強に励むのだった。
一方、通話を終えた梓は携帯を握りしめたまま苦笑をこぼした。

「……本当に、先輩は可愛すぎますよ」

梓に会いたい、会って抱きしめて欲しいと、そう告げた月子。
受験勉強のためとはいえ、会えない日々を切なく思っていた気持ちが、彼女のその一言で吹き飛んでしまったのだから、どれだけ彼女に惚れているかが自分でもわかる。

「先輩の望み通り、明日は放しませんよ」

抱き寄せて、この腕の中に彼女の存在を確かめたい。
そう思う欲求は日々募っているのだから。
ロードワークを終え、程良く疲れた身体をベッドに沈めると、そっと瞳を閉じる。
明日会える自分だけの女神を思い浮かべて。
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