「ふぅ……」
弓をおろすと、心地良い疲れを身体に感じる。
「お疲れ様です。コンディションは問題ないようですね」
「ありがとう。ごめんね、居残り練習につき合わせちゃって」
「構いませんよ。久しぶりに夜久先輩の弓を見れて僕も嬉しかったです」
差し出されたタオルを礼を言って受け取り汗を拭うと、静かな弓道場を見遣る。
イベントには殊更力を入れる不知火の元で、現在生徒会主催のクリスマス準備に追われている月子は、あまり弓道部に顔を出せなくなっていた。
けれども部の活動もおろそかにしたくないと、何とか時間を作って終わるギリギリの時間に顔を出した月子は、遅れを取り戻そうとそのまま居残り練習をすることにし、梓がそれに付き合ってくれていた。
「金久保先輩が引退して引継ぎして間もないのに、休んでばかりでごめんね」
「夜久先輩が生徒会の仕事で忙しいのはみんなわかってます。でもやっぱり夜久先輩がいないと寂しいです」
「ありがとう」
「それに、金久保先輩に部を任されて、宮地先輩の気の入りようがすごくて。夜久先輩の笑顔がないと潤いがなくて困ります」
「宮地君も部長になったばかりで大変だよね」
「夜久先輩、気にするところはそこじゃないです」
「え?」
申し訳なさに俯くも、梓の指摘に顔を上げると抱き寄せられて、一気に縮まった距離に顔が赤くなる。
「夜久先輩は僕に会えなくて寂しくなかったですか?」
「そんなの……っ、寂しいに決まってるよ」
「良かった。僕だけだったらどうしようかと思いました」
にこりと微笑む梓に、ドキドキと激しく高鳴りだした鼓動にギュッと目をつむる。
夏の大会が終わって梓と付き合うようになってから、彼を見るとドキドキしてしまい、どうしていいかわからず逃げ出したい衝動に駆られるようになった。
そのことで避けてしまい、梓を拗ねさせてしまってからは、彼の言う逆療法で何とか対応しようと試みているが、一向にドキドキが収まらず今に至っていた。
「梓君……近いよ……っ」
「そうですか? 前に言いましたよね? ドキドキしている時にドキドキすることをして、麻痺させてしまえばいいって」
「無理だよ。今もドキドキして、どうしていいかわからないもの」
「じゃあ、離れますか?」
「……ううん。ドキドキするけど、でも梓君に傍にいて欲しい」
「はい。離れませんから安心してください」
離れた方がいいかと聞かれれば、離れたくはなくて首を振ると嬉しそうに笑われて、ちゅっと額に唇が触れた。
「あ、梓君……っ」
「触れても触れなくてもドキドキするなら、触れてドキドキしてくれる方が嬉しいです。それに、僕も夜久先輩に触れたいので」
ちゅっと、今度は頬に、そうして唇に口づけられて、月子は全身赤くなる。
梓からのキスも、心臓が張り裂けるんじゃないかというぐらいドキドキするが、嬉しくて幸せだと感じるようになってからは、ドキドキしても離れたくないとそう思うようになった。
だからきゅっと彼の胸元を掴む。
「……いつまでもこうしていたいですが、そろそろ鍵を返しに行かないと陽日先生に怒られちゃいますね」
「あ……っ!」
呆けていた頭が梓の言葉に一気に覚醒すると、慌てて立ち上がって片付けに走る。
「急いで掃除を終わらせなきゃ!」
「あまり慌てると転びますよ」
「大丈夫だよ」
道具を片して雑巾を手に取り、引き返そうとした瞬間、つるりと足が滑り体勢を崩す。
あ――と、冷たい床の感触を覚悟するも、衝撃は一向に訪れず、恐る恐る目を開けた月子は、梓がすんでのところで支えてくれたことに気づいた。
「本当に先輩は目が離せませんね」
「ごめんね。さっき注意してくれたばかりなのに……」
「そうですね。まだ時間はありますし、二人でやればすぐ終わります。慌てて転んで怪我をしたなんて言ったら、宮地先輩に怒られますよ」
「うん、ごめんね」
不手際にしゅんと項垂れると抱き寄せられ、梓を見る。
「急いでいたのは屋上庭園に行くためですか?」
「うん……。今日は居残り練習したから、あまり時間ないかもって思って……」
「夜久先輩、可愛すぎます」
ちゅっと再び口づける梓に、きゅっとその胸元を手繰る。
梓と付き合うようになって初めて知った想い。
毎日会って、声が聞きたい。
そして、こうして抱きしめてほしい。
これがきっと梓に恋しているということなのだろう。
「夜久先輩、好きです」
「……うん、私も、梓君が好き」
「嬉しいです」
想いを告げてくれる梓に同じように返すと嬉しそうに微笑んでくれて、その笑顔が本当に嬉しくて幸せになる。
明日も明後日も、一年後、その先の未来も梓とずっと一緒に過ごせたら……そんな思いを胸に、再び降り落ちた唇を受け止めた。
2017/08/12