てのひらの幸福

琥月6

ご飯支度を始めた琥太郎さんに、私もやりたいと願い出て。二人並んでキッチンに立つ。
リズミカルな包丁の音を横目で見れば、「どうした?」と視線を向けられ、「なんでもないです」と慌てて手元に意識を戻した。

琥太郎さんは料理が上手だ。本人いわく、一人暮らしで自然と覚えたらしい。
一方の私はというと、幼馴染二人に揃って止められるほどその手つきは危なっかしいもので。

「………ッ!」
「指切ったのか? 見せてみろ」

まな板に落ちた紅に、慌てて手を取る琥太郎さん。

「深くはないな。こっちに来なさい」
さっと水で流し傷口を確認して、手早く処置を施された指に、申し訳なさと情けなさで俯いた。

「……すみません……」
「気にするな。お前の料理の腕が壊滅的だなんて今更だろ?」

琥太郎さんの軽口に、普段なら「どうせ!」と不貞腐れるのだが、今日は反論も口に出来ずもう一度すみませんと小さく謝った。

「料理は慣れだ。そのうちお前にもできるようになるよ」
「でも……」

こうして二人でキッチンに立つのは今日が初めてじゃない。
卒業して一人暮らしを始めた私に、琥太郎さんは以前約束したとおりに料理を教えてくれた。
何とか錫也に教えてもらって琥太郎さんの誕生日は手料理を振る舞えたけれど、その後はと言えば失敗ばかりでいくらやっても火を使うところまで至れず、まな板をえぐったり今日のように指を切るのが関の山だった。

「大丈夫だ」
頭を撫でる優しい手に、堪えていた涙が零れ落ちる。

「へこたれずに何でも前向きに頑張るのが、お前のいいところだろ? できなければ何度でも教えてやるさ。だから泣くな」

「……はい……」

優しい言葉に頷くと、柔らかな唇がそっと重なる。

「棚から皿を出してくれ。スープ皿と……」
「サラダ用もですね」
「ああ」

私の返事に微笑んで、出来た料理を盛り付ける。今日のお昼は、ピラフにサラダ・スープ。
本当はせめてサラダぐらい盛り付けたかったけど、絆創膏を貼った指に次回におあずけ。

「美味しい……」

悔しいぐらい、琥太郎さんが作る料理は美味しくて、野菜もまともに切る事も出来ない自分が情けない。
今度また錫也のところに教わりに行こうと、料理上手な幼馴染の顔を思い浮かべていると、こーらと軽くデコピンされた。

「いたーい! 何するんですか」
「お前、今、東月に頼ろうと思ってただろ」
「え? どうしてわかったんですか?」

驚き目を瞬くと、はぁと深いため息。

「どうして俺を頼らない?」
「え?」
「料理なら俺が教えてやる。だから東月のところに行く必要はない」
「でも……」

ただでさえ忙しい琥太郎さんの手を煩わせるのが申し訳なくて眉を下げると、大きな掌がくしゃりと頭を撫でた。

「甘えていいんだよ。俺を思い遣って遠慮するお前の気持ちは嬉しいが……俺はお前に甘えて欲しいんだよ」

「……じゃあ、よろしくお願いします。琥太郎さん、ありがとう」

琥太郎さんの優しさが嬉しくて微笑むと、よしよしと幼子を慰めるように頭を撫でられる。

「ところで……戻ってるぞ」
「え?」
「敬語」
「……あ!」

恋人なのだからと、卒業した時に敬語を改めるように言われたのだが、ずっと先生として接してきたためどうしても抜けず、気を抜くとこうして昔の癖が出てしまっていた。

「お仕置きだな」
「琥太郎さん? …んん……っ」

聞き返している途中で唇を塞がれ。
ちょっと大人なキスに意識がまどろむ。

「続きはまた後でな。ご飯が冷めちまう」

くすりと微笑み、身を離した琥太郎さんに、急速に恥ずかしくなって、赤らんだ顔を誤魔化すようにいただきますと匙を進めた。
傍にいて笑い合える毎日。
そんなささやかな、かけがえのない毎日が嬉しくて幸せで、自然と頬が緩んでしまう。

「どうした? 顔がにやけてるぞ」
「琥太郎さん、好きです」

溢れる想いを言葉にすると、琥太郎さんの瞳が驚いたように大きく見開かれた。

「いきなりどうしたんだ? ……まったく、自分で言って照れるなよ」

「だって……」

「本当にお前は可愛いやつだな」

ちゅ……っと、おでこにキスされ耳まで赤くなる。

「ほら、食べろ。早くお前を抱きしめたいからな」

匙を進めながら微笑む琥太郎さんを、赤らんだ顔で上目遣いに睨んで。
お昼ご飯を少しだけ急いでかきこんだ。
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