戸惑いノッテ

ルカフェリ7

ベッドに横たわっていたフェリチータは、風の音にびくりと身を震わせた。
ルカが就寝の挨拶をして出ていったのは一時間ほど前。
普段ならもう眠りについているところなのに、日中に聞いた話が悪かったのか、些細な物音が妙に気になって眠れずにいた。

「だめ……」

いくら寝ようとしても睡魔は訪れてはくれず、フェリチータは諦めて身を起こした。
眠くなるまで本でも読んで過ごそうか?
そう思った瞬間、風で揺れた窓にびくりと身をすくめてしまう。

怪談が怖くて眠れないなど子どものようだと笑うものもいるだろう。
けれど、フェリチータは昔からそういった類が苦手なのだ。

「ルカ、起きてるかな……」

従者で、年の離れた兄のようであり……フェリチータの恋人であるルカ。
幼い頃のように彼のベッドにもぐりこむのは情けないが、恐怖心は振り払えず、ベッドを抜け出すとそっとドアを開けて廊下に出た。

真夜中ということもあって館の中はシン……と静まり返り、昼間の賑わいの陰はない。
長い廊下を歩いて目的の部屋にたどりつくと、軽くノックをしてみるも反応はなく。

「ルカ? ……入るよ」
断りを入れてから開けると、すでに彼は就寝していた。
幼い頃から慣れ親しんだ姿に、ほっと安堵が広がる。
しかし、風がまたしても窓を揺らし、その物音にびくりと肩を震わせた。

 **

「……カ………ル………ルカ……」
「……ぅ……ん……」
「ルカ。ルカ」
「……ん………お……嬢様……?」

沈んでいた意識に働きかける声に、ルカは重い瞼をこじ開けた。
ぼんやりとした視界に映るのは、ルカが誰よりも大切にしているフェリチータ。

「ルカ」
「……どう……して……ここに……? ああ……」

どうして自分の部屋にフェリチータがいるのだろう?
……そんな疑問が浮かぶが、寝ぼけた頭がすぐにこれは夢なのだと結論づける。

「……フェリチータ……」

手を伸ばすと、傍にうずくまっている少女を抱き寄せて。
その身体を引き上げ、ベッドへと引きずりこんだ。

「……身体が冷えてしまってます」

ひんやりとした身体は夢とは思えないほどリアルで、ぬくもりを分け与えるように、そっと腕の中に囲う。
記憶の中の少女は小さく、ルカの腕にすっぽり収まってしまうほどだったが、今腕の中に抱く彼女の四肢は覆えないほど長く、立派な一人のシニョリーナだった。
指を伸ばせば絡まる赤糸。
十三年間毎日丁寧に彼が梳いている髪は滑らかで美しく、その感触にうっとりと頬を寄せた。

「ルカ?」

不思議そうな声。
いつも耳にしている愛しい声。
少しだけ離れると、きょとんと見上げている少女にゆっくり口づけた。
柔らかな、唇。
ずっと触れたいと思って、でも長年触れられなかった唇に自分のそれを重ねて。
極上のドルチェのように甘い唇を、何度も何度も食んで味わう。

「……ん……ふ……ぅ……ん…」

拙い喘ぎ。
逃げようとそらされる唇を執拗に追いかけては食んで。
こぼれ落ちる吐息に、どうしようもなく欲情した。

 **

一方フェリチータは、突然の事態に理解が追いついていなかった。
昼間聞いた怪談が怖くて眠れず、ルカを頼って彼の部屋を訪れた。
彼はすでに床についていたが、それでも自分の部屋に戻って一人で眠れるとは思えなくて、仕方なしに呼びかけ起こそうとした。

開いた瞼から覗く紫水晶はどこかぼんやりとしていて、その反応に戸惑っていると急に腕を引かれてベッドに連れ込まれた。
ベッドの中はルカの体温で温まっていてほっとする。
昔はよくこうやってルカの布団にもぐりこんでいたよね、とそんなことを考えていると髪を弄ばれて。見上げたら、突然唇を塞がれた。

(私、ルカとキス……してるの……?)

あまりにも急すぎて、事態が飲み込めない。
それでもルカのキスは優しくて……気持ちよくて。
つい、抗うこともせずに受け入れてしまった。
けれどルカの唇はいつまでも離れることがなくて、執拗に続けられるキスに段々と苦しくなってきて、逃げようと足掻いたが逃げられず唇を食まれ続けた。
意識がぼんやりとしてきたところに、不意に胸に掌の感触を感じた。

 **

ルカの胸に押しつぶされていたふくらみに手を伸ばすと、それは彼が考えていたよりずっと柔らかくて豊かだった。
普段はきちんとボタンを閉めたスーツの中に隠されている豊かな胸を、そっと包み込んでこねるように感触を味わう。

「……っ! ルカ!」

少し焦った声。戸惑いと怒りと照れと……そんないくつもの感情が入り混じった声。
そんなふうに感情が豊かになったことを嬉しく思いながら、少しずつ固くなり始めた頂に指を伸ばした。

「ぁ……っ」

これは今までにルカが聞いたことのない声。
それでも彼を煽るには十分すぎるほど甘く、艶やかで。
もっと聞きたいと、その想いが行動をさらに大胆にさせた。

 **

「フェリチータ……」

少し掠れた声は、フェリチータが今まで聞いたことのない声で。
今まで感じていた安堵が、とたんに変化した。
向けられる瞳が違う。
いつもの暖かく見守る兄のような穏やかなものではなく、これは……フェリチータを求める男の瞳。

「!!」
瞬間、恐怖が身体を支配した。

「やっ……!」

身をよじって逃げようとするが、抑え込まれた右手はわずかも動かせない。
怖い。
ルカに一度も感じたことのない恐怖が、フェリチータを焦らせた。

「ルカ!」

思わず声を荒げると、びくりと震えた身体。
ぼんやりとしていた紫水晶の瞳に確かな光が宿り、そして。

「……お、嬢様?」

茫然とした声は普段耳慣れたルカの声で。
フェリチータはほっと強張った身体から力が抜けおちる。

「え……? あ、あの……私、何を……」
「いいからどいて」
「え? あ、はい!」

端的な言葉にハッと身を起こしたルカの腕をすり抜けて、ベッドから逃げるようにドアへと駆けていく。

「お嬢様っ」

焦った呼びかけに、けれど振り返ることは出来なくて、フェリチータはそのまままっすぐ自分の部屋へと逃げ込んだ。

「はぁ……はぁ……っ」

どくんどくんと早鐘を打つ胸。
そこに触れていたルカの感触を思い出し、フェリチータはぎゅっと目を閉じた。
彼女に触れていたルカは……ルカは。
男の人、だった。

「――お嬢様」
「!」
ドア越しに聞こえた声に、びくりと肩が震える。

「お嬢様、どうかお話を……」
「話すことなんてない」

喰い下がる声をむげに払うと、息が詰まる気配がして。
続く沈黙に、動揺する。
どうしていいのかわからない。
どうしてあんなことになったのか?
ぐるぐると、定まらない思考が余計に彼女を混乱させた。

「先程は……本当にすみませんでした。寝ぼけていたとはいえ、私はなんてとんでもないことを…」
落ち込んだ声に、でもどう答えればいいのか分からない。

「お嬢様。ドアを開けてくれませんか?」
懇願に、けれど従うことは出来なかった。

「…………っ。……明日の朝、いつもの時間に伺います。ブォナノッテ、フェリチータ」

沈んだ声。
去っていく気配に、フェリチータはずるずると崩れ落ちるようにドアの前に座り込んだ。
明日の朝、どんな顔で会えばいいのか?
その日はとても長い夜だった。

 **

「おはようございます、お嬢様」

シャッとカーテンの開く音に目を覚ますと、そこに立つ姿に息を飲んだ。
フェリチータのそんな様子に、ルカは気まずそうに帽子のつばを引くと、視線を合わせず言葉を紡ぐ。

「……昨晩は申し訳ありませんでした」
「……ううん。ルカの部屋に行ったのは私だもの」

何も考えずに夜、ルカの部屋を訪れた。
それが過ちだったのだと、一晩考えた頭がそう導き出した。
安直だったフェリチータが悪いのだ。

「昨日、何かあったのですか?」
「…………」
「……すみません。思い出したくありません、よね」

沈んだ声に、昨夜の驚いたルカの顔が重なって、フェリチータはぎゅっと目を閉じた。

「――しばらくお嬢様のお世話はメイド・トリアーデに頼もうと思います」
「え?」

突然の提案に驚き顔を上げると、困ったように目を伏せるルカ。

「……私はお嬢様を怖がらせてしまいましたから。だから、少し距離を取ろうと思います」
「……ダメ!」

ルカの言葉を、反芻する間もなく却下する。
こういうことが前にもあった。
フェリチータを大切に思うあまり惑い、離れようとしたルカ。

「その……ルカが嫌いなんじゃないの。ただ、驚いて……」

想いを交わし、恋人になって。それでも表面的には何ら変わっていなかった。
ルカの知らなかった一面に触れてただ驚いたのだ。

「……私はお嬢様を……男としてお慕いしています。けれどその想いが貴女を怯えさせるのなら、私は……」
「いや!」
「フェリチータ?」

このままでは自分から離れていってしまうだろうルカに、フェリチータはすがるようにその裾をつかんだ。

「嫌じゃ、ない。ルカに……キス、されるの」

恋人になって時折交わすようになったキス。
少し苦しくて、でも気持ちよくて。
ルカでいっぱいになる感覚は嫌いではなかった。

「ありがとうございます。でも、いつか溢れて貴女を壊してしまうのではと……それが怖いんです」

それは以前にも聞いた言葉。
想いの深さが彼女を壊すというのなら。

「私は壊れない」

以前と同じ言葉を、今度は確信を持って告げる。
キスの先に何があるのかは分からないけれど。
それでもルカから与えられるものならきっと、自分は受け止められるから。
背伸びをして、ルカの頬に手を添えて。
自分から彼にキスをする。

「……ん……フェリチータ……?」
「私はルカが好き。だから……少しずつ、教えて」

今はまだ、少し怖いと感じてしまうけれど、あなたの傍にずっといたいから。
その想いをこめて唇を重ねると、わずかな躊躇いの後に優しい腕がフェリチータを抱き寄せた。
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