「……大丈夫?」
「すみません……少し飲みすぎたようです」
いつもの時間になっても顔を出さないルカを不思議に思い、部屋を訪ねたフェリチータは、ぐったりとベッドに横たわる姿に驚き駆け寄った。
昨夜、デビト・パーチェの幼馴染に連れられ、いつものようにバールに出かけたルカはそこで飲みすぎたらしく、ジャケットを脱ぎネクタイを外した姿は、常にきちんと身だしなみを整えているルカにはとても珍しいものだった。
「次の日も具合が悪くなるほどなんて珍しいよね?」
というより初めて? と瞳を瞬くと、ルカは青ざめた顔で目を伏せた。
「みっともない姿を見せしてしまいました……」
「はい、お水。ダンテが二日酔いの時には水分をいっぱいとって、早くアルコールを外に出すのがいいって。レモンも入れておいたから」
「ありがとうございます」
情報収集に走り、手早く水など必要な物を用意してルカの部屋へと引き返したフェリチータは、水差しからそそいだコップを手渡した。
「ちょっと待ってて。胃に優しい食べ物用意するから」
「そんな、お嬢様にそんなことを……」
「いいから。二日酔いの人は大人しくしてること」
こんな時でも従者魂の抜けないルカを睨みつけて黙らせると、フェリチータは厨房へと足を向けた。
二日酔いの時は気分が悪く、食欲もないらしいが、適度な塩分をとることで水分の吸収も良くなると、マンマに二日酔いに最適だという料理を教えてもらったのだ。
「まずはご飯を火にかけて……」
用意した食材を並べると、手際良く調理していく。
三十分ほど煮て柔らかくなったのを確認すると冷めないうちにとルカの部屋に戻り、小さな器にとりわけ手渡した。
「これは……ジャッポネのおかゆ、ですか?」
「うん。マンマが二日酔いの時にはこれが一番よ、って」
「懐かしいですね……。お嬢様が小さい頃、熱を出された時にマンマが作っていたのを思い出しました」
「好みでこの梅干しと三つ葉、ゴマを入れて?」
「はい。では、いただきます。……うん、美味しいです。とても優しい味がします」
「食べられそう?」
「はい。正直あまり食欲はなかったのですが、これならさっぱりしていて食べられます」
「よかった」
微笑んでおかゆを口に運ぶルカに、フェリチータはもう一つ用意していたお茶をカップに注いだ。
「ローズヒップ。これも二日酔いにいいって」
「お嬢様……っ! ありがとうございます!」
じーんと感動しているルカはいつもの調子が戻ってきていて、くすりと微笑んだ。
「本当にすみません。お嬢様にこのようなことをさせてしまって……」
「いいの。いつもは私がルカに面倒かけてるから、少し嬉しい」
「面倒だなんてそんなこと……っ」
「だから、いいの。具合が悪い時ぐらい、甘えて?」
「お嬢様……っ! はい! ありがとうございます」
幸せです、と全身に表れているルカに、フェリチータは自分のカップに口をつけながらふと浮かんだ疑問を投げかけた。
「ねえ、ルカ。どうしてそんなにお酒を飲んだの? お酒、弱いわけじゃないよね?」
「まあ、デビトやパーチェほどは飲みませんが、弱いということもないと思います。ただ昨夜はちょっと……」
「ちょっと?」
言葉を濁すルカをじーっと見つめると、基本彼女に隠し事の出来ないルカは観念したように話しだした。
「二人に色々問い詰められて、まあはずみでつい……」
「何を聞かれたの?」
「私とお嬢様の仲について……です」
「私とルカの仲?」
自分たちの仲を聞かれて飲み過ぎたという状況がいまいち理解できず、フェリチータは怪訝そうに眉をひそめた。
「ルカはなんて答えたの?」
「かわりないですよ、と。そうしたら二人してレガーロ男じゃないとか、このままだとお嬢様が他に目を向けるとか……うっうっ」
「それはない」
どうしてそうなるのかよくはわからなかったが、最後の言葉を否定すると、パアッとルカの表情が輝いた。
「お嬢様……!」
「かわりないとダメなの?」
「それは……確かにあまりかわらないのも寂しいといいましょうか、切ないといいましょうか……」
「? ルカはかわりたいの?」
「……お嬢様はどうですか?」
問いに問いで返されて、フェリチータはふむ、と考えた。
ルカとの関係は恋人。
けれど関係が変化してから一週間が過ぎたが、確かに恋人だからと何かかわったところはなかった。
「恋人になるとどんなふうにかわるの?」
「そうですね……まずは名前で呼び合うんじゃないでしょうか」
「名前……。呼んでみて」
「お嬢様?」
「違う。名前で」
「名前って…………フェリチータ?」
「!」
ルカの口が名をつむいだ瞬間、どくんと鼓動が跳ね上がった。
「どうかしましたか? 顔が赤いですね」
「……っ、なんでもない!」
「そう、ですか?」
きょとんと小首を傾げるルカから赤らんだ顔を背けると、そっと胸に手をあてた。
どくんどくんと早鐘を打つ。
「ほ、他には?」
「そうですね……休日を一緒に過ごしたり、買い物に行ったりとか」
「それは今までもしてる」
「……ですよね」
恋人論争に力なく笑うルカに、ふと昔読んだ絵本を思い出した。
「お嬢様? ………んっ」
「……またお嬢様って言った」
「すみません……。ですが、急にどうしてキスを……」
「王子様とお姫様は最後に必ずキスを交わしていたでしょ?」
「ああ」
フェリチータの突然の行動の意を理解したルカは、ふふっと微笑んだ。
「小さい頃に読んだ絵本ですね」
「うん」
家族のキスは頬。
唇は……愛しい人に。
だからこれは、フェリチータが恋人に贈る初めてのキス。
「フェリチータ。私からもキスをいいですか」
こくんと頷くと、優しい指先が頤を持ち上げて、ルカから恋人のキスが贈られる。
触れるだけの優しいキス。
けれども家族にではない、そのキスはフェリチータの頬に熱をはらんだ。
「ふふ……顔が真っ赤ですね」
「……っ!」
「待ってください! 今日は蹴りは勘弁してください!」
思わずいつもの調子で踏み上げた足を下ろすと、ぷいっと顔を背ける。
初めてのキスに、フェリチータばかりがドキドキしているみたいで悔しかった。
「私の王子様は優しくない」
「そ、そんなことありませんよ。ただフェリチータがあまりにも可愛くてつい……」
「……つい?」
「すみません。調子に乗りました」
これ以上機嫌を損ねさせてはいけないと、素直に謝るルカにふう、と息を吐き出した。
「ねえ、ルカ。何か私に足りないものがあるなら言って欲しい」
「そんな、フェリチータに足りないものなんて……」
「あるから、二人が聞くんでしょ?」
「それは……」
問いに口ごもると、ルカは惑う視線を向けた。
目は何かを求めているのに、口はそれを伝えてくれない。
それがもどかしくて、フェリチータはアルカナ能力を発動させた。
(これ以上を求めて嫌われたくないんです……)
「!」
「……! フェリチータ、もしかして私の心の中を……?」
「…………」
ルカの秘められた声に顔を上げると、ぎゅっと抱きついた。
「私はルカの何?」
「貴女は……私の大切な」
「大切なお嬢様のまま?」
「……いいえ。誰より大切で……愛しい私のアモーレです」
「だったら、我慢しないでもっと私を求めて」
恋人となってからも、自分に対してルカはどこか一歩引いている。
それに改めて気づいたフェリチータは、きゅっと唇をかみしめた。
「もっとだなんて、そんなことを言っていいんですか?」
想いはとどまることはない。
絶えず溢れ続けている。
それをすべて注いでしまったら、きっと溢れてフェリチータを壊してしまう。
「私は壊れない」
「フェリチータ……」
心を読んだのか、付き合いの長さでわかったのか、ルカの想いにフェリチータはまっすぐ目をそらさない。
そんな彼女にルカは泣きそうな笑みを浮かべると、噛みしめていた唇を指で撫で、ちゅっと額にキスを落とした。
「やっぱり、はもう聞きませんよ?」
「取り消すならルカを選んでない」
ぐらぐらと揺れる想いを掬い、受け止めてくれる幸せ。
そのことに眩暈に似た喜びを感じながら、再びその唇を食んだ。
一度、二度。
労わるように軽く触れたものから、段々と想いを増したキスに、フェリチータがわずかに眉を歪めた。
「……今日はここまで、ですね。せっかくのおかゆが冷めてしまいます」
「……う、ん……」
ふわりと微笑み離れたルカに、ぼんやりと頬を染めながら頷く。
唇に残る、ルカの感触。
それが面映くて、フェリチータは顔を上げられなかった。
「では私はもう少し休みますね。お嬢様、ありがとうございました」
「うん……」
食べ終えたおかゆの器やカップをカートに乗せると、フェリチータはそそくさと部屋を出た。
「ふう……」
ドキドキ、ドキドキ。
名前を呼ばれたこと、唇を重ねた感触。
それはとても面映ゆいけれど……高鳴る鼓動は嫌じゃない。
「私、嬉しいんだ……」
ルカに名前で呼ばれること。
キスを交わすこと。
求められる、こと。
「もっと……」
もっと、もっと。
「これが……恋」
ルカを求める心。
リ・アマンティが求めた恋心。
自身の変化に、フェリチータはそっと胸に手を当てた。
「ルカ……」
とくん、とくん。
思うだけで高鳴る鼓動。
その優しい幸せを、フェリチータは大切に抱きしめた。
* *
「二日酔いでへばってるって聞いてた割には元気そうじゃねえか」
「っていうか、なんか顔が蕩けてる?」
寝込んでいるという親友を見舞えば、頬を染めハイテンションな姿に瞳を丸くするパーチェと、舌打つデビト。
「今までの人生の中で、こんなにあなたたちに感謝した日はありません。ありがとうございますデビト、パーチェ!」
「これはまたバールで話を聞かせてもらわないといけねえようだなァ?」
「賛成~! おいし~いラ・ザーニアを食べながらルカちゃんののろけ話を聞こう!」
「いえ、お酒はしばらく控えます」
「そんなの許されるわけがねえだろうが!」
ピンク色の幸せオーラを振りまくルカを見れば、フェリチータとの仲が進展したことは一目瞭然。
再び問い詰められ、二日酔いになるのはこの数日後。
今度はフェリチータが見舞うことはなかった。