恋人の姿を見かけなくなって三日。
けれども忙しい幹部が顔をそろえる夕飯時でさえジョーリィがいることは少なく、こうして食卓に彼の姿がなくとも気にするものはほとんどいなかった。
というのも、研究に集中すると一週間部屋にこもりきりということも少なくないからなのだが。
しかし、食事を抜くというのはやはり身体にいいはずもない。
もっとも、彼にそれを言えば他で栄養はとれていると、特製の葉巻を咥えて答えるのだろうけれど。
それでも、やはり食事は大切なものだとフェリチータは思う。
以前、食事を運んだ時はこの上なく迷惑そうな顔をされたが、それで諦める彼女でもなく、マーサに頼んで作ってもらった一人分の食事をトレイに載せると、錬金部屋へと足を向けた。
コンコン。
ガッチリと締められたドアをノックすると、ややして扉が開けられた。
「フェル……また食事を運んで来たのか。クッ……前にもそのような気遣いは不要だと言ったはずだが?」
「食事を抜くのはダメ。昨日だってまともに食べてないんでしょ?」
「私にはこの葉巻がある。……まあ、いい。ちょうど研究も一段落ついたところだ」
気だるげにフェリチータの手からトレイを奪うと、錬金部屋を出て相談役執務室へと移動する。
「研究はうまくいったの?」
「ああ。まだ観察は必要だがな……経過は順調だ」
「そう」
トレイにのせられた料理を口に運ぶジョーリィにほっとしながら、フェリチータは久しぶりに見る恋人をじっと見つめた。
アルカナ・デュエロを経て心を通わせた二人。
普段は他者に見せつけるように、人目を気にせずフェリチータに触れてくるジョーリィだったが、こうして研究に集中するとぱたりと姿を見せなくなっていた。
「私がずっと籠っていたことがご不満かな」
「…………っ」
「クッ……君は本当に分かりやすいな」
彼独特の嘲るような笑みに、けれどもフェリチータはその顔をじっと見続ける。
「どうした? 私の顔に何かついているのか?」
「……疲れてる?」
あまり感情を表に現すことのないジョーリィだが、その顔にはわずかばかりの疲労が浮かんでいた。
「……しばらく目が離せなかったからな。寝不足のせいだろう」
「寝てないの?」
「多少の寝不足ぐらいどうってことはない」
ぞんざいに答えると立ち上がり、棚のコーヒーへと手を伸ばした。
「頭の疲労にはグルコース摂取が効果的だ。君も飲むなら淹れても構わないが?」
「うん。お願い」
頷くのを確認すると、ジョーリィ専用のカップと傍らに並べられた新たなフェリチータ専用のカップを手に取った。
ジョーリィが最高だと考える( リベルタやデビトには異様に甘すぎる)配合でコーヒーにミルク・砂糖を加えて彼女に差し出し、自分の分を口にする。
「やはりこの配合がベストだな」
普段ルカが淹れるコーヒーよりかなり甘めではあるが、フェリチータも甘いものは嫌いじゃない。
だからこくりと頷き、素直にコーヒーを飲む。
「ルカに怒鳴りこまれるのは面倒だからな。君のは控えめにしておいたよ」
「うん」
以前間違って口にしたジョーリィのコーヒーとの違いには気づいていた。
それはフェリチータを気遣って、彼女のために配合してくれたもの。
そのことが嬉しくて、微笑みコーヒーを飲む。
「ああ……そういえば、リベルタが最近のお嬢様は訓練に熱心だとこぼしていたな」
「…………っ!」
「クックッ……そんなに体型が崩れることが心配ならば、私に付き合わなければいいだろう?」
「それはいや」
ジョーリィの淹れるコーヒーが常よりカロリーが高いというならば、その分身体を動かせばいいだけだと、フェリチータはリベルタやノヴァを相手に訓練で消費していた。
「君が望むならば特製の薬を作ってあげても構わないが……」
「いらない」
「クックックッ……それは残念だ」
彼の作る物の評判は、見せしめで罰として飲まされた者たちから嫌というほど聞いている。
即座に首を振ると、ジョーリィは楽しげに唇をつりあげた。
そうして久しぶりの二人きりの時間を楽しんでいると、ふと話が途切れ、ジョーリィの身体が傾いだ。
「!?」
支えようと動くより早く、ことりとフェリチータの頭へもたれかかった。
かすかに聞こえてきたのは、穏やかな寝息。
「……寝てる?」
伏せられた睫毛はぴくりとも動かず、規則正しく繰り返される呼吸にフェリチータは目を丸くした。
ジョーリィが今まで気を許していたのはモンドだけ。
このように人前で眠る彼を、きっとモンド以外は見たことがないだろう。
「…………」
起こさないように気をつけながら、視線を上へと向けて覗きこむ。
右目にスティグマータがあるジョーリィは、その能力を安易に使わないようにサングラスをかけているが、フェリチータの前では外すことも多く、今もその顔を覆い隠すものはなかった。
だからこそ見える、彼の寝顔。
ほとんど嘲笑を浮かべていることの多いジョーリィも、眠っている顔は案外幼く、フェリチータは以前ヴァスチェロ・ファンタズマ号で見た彼の寝顔を思い出した。
「……………」
胸に広がる温かな気持ち。
喜びとほんの少しの恥ずかしさと戸惑い。
けれども、こうして眠る姿をさらしてくれるのは、自分を信頼してくれている証に思え、嬉しさで胸がいっぱいになる。
伝わるぬくもりと鼓動が幸せで。
フェリチータは一人、頬を染めながらこの幸せを噛みしめた。
**余談**
「おい……聞いたか?」
「あ~……あれだろォ? オッサンがバンビーナに寄り添って鼻の下伸ばして寝てたってヤツ。……ったく、バンビーナもホント趣味悪ぃゼ」
「うっうっ……お嬢様……っ!」
「ルカちゃ~ん。いい加減、お嬢のことは諦めなよ?」
「まったく……たるんでる!」
「まあまあ、そう言ってやるな。あいつも存外人の子だったってことだろう」
「え? ジョーリィって卵から生まれたんじゃなかったのか?」
「どう考えても人間だろう。海馬鹿」
「なんだと!? このひよこ豆!」
「僕をひよこ豆と呼ぶな!」
いつものように戯れ始めた年少組をしり目に、大人たちはずずっと優雅にティータイム。
相談役とファミリーのマドンナのこの奇怪談はあっという間にファミリー中に知れ渡り、モンドが男泣きにむせたとか……。