芽吹きのとき

ジョリフェリ25

「みんながあなたの答えを待ってることは、忘れないであげてね」

そうスミレに告げられてからずっと、フェリチータは想いを寄せてくれる彼らのことを考えていた。
みんなが自分を大切に想ってくれていることはわかっている。
けれども自分はドンナで、ファミリーすべてを統べる者。

*  *

「……まだ起きているのか」
「ジョーリィ?」

軽いノックの後に開いたドアに顔をあげると、タバコのにおいがして。
まっすぐに歩いてくる姿に、手にしていた書類を置く。

「どうかしたの?」
「この部屋の窓から光が漏れているのが見えてね。過労のドンナを諌めに来たところだ」

ジョーリィの思いがけない言葉に目を丸くすると、黒い手袋に覆われた指先が目元に伸ばされる。

「若い女性が目の下にクマをつくっている姿はどうかと思うが? ……クッ」

「そんなに目立つ?」

「ああ。君の忠実なる従者が熱心に肌にいい塗り薬を研究する程度に、ね」

「ルカ……」

今日は珍しく傍にいないと思ったらそんなことをしていたとは。
呆れつつもルカの優しさに感謝していると、指先が存在を主張するように頬を撫でる。

「何事も無理をしては余計な不利益を生む。程々、という言葉を覚えるんだな」

「ジョーリィに言われても説得力ない。……でも、心配してくれてありがとう」

いつも遅くまで起きて研究をしているジョーリィに苦笑するも、それが彼なりの気遣いなのだとわかっているから、フェリチータは素直に礼を述べる。

「君がうちあげたレガーロ島の新事業は、島の内外からも好評価を受けている」
「よかった……」

ドンナとなってフェリチータが初めて手がけた大きな事業が、レガーロの学問都市化。
もっと魅力あふれる街にと、そう思い、始めたのがアカデミア開校だった。

「だが、ドンナが疲弊しているのでは意味がない。もっと人を使うことを覚えるんだな」

「でも、みんなにはもうじゅうぶん苦労を強いてる」

「それこそ、余計な心配だ。我々はファミリーの長であるドンナの意向にそって動いている。もちろん、自分の意思でね」

「……ありがとう」

辛辣な言葉に隠された思い遣りにフェリチータは微笑むと、机の上の書類に手を伸ばす。

「……君は私の言った言葉が理解できていないようだな」

「これだけやったら眠る」

「ダメだ。この案件なら今夜中に片付けなければいけない内容ではないだろう?」

「でも、中途半端なのは嫌」

「まったく……強情なお嬢様だ」

 呆れたように呟くと、フェリチータの手から書類を奪い取る。

「ジョーリィ?」
「これは私がやろう。それなら問題はないだろう?」
「……いいの?」
「でなければ、このようなことは言わないが?」
「ありがとう」

素直な礼にふっと微笑むと、目を通して必要な指示を書きこむ。

「ジョーリィはやっぱりすごいね」

フェリチータが一つ処理する間に、彼ならばいくつも処理してしまうのだろう。
そしてそれは決して手を抜いたからではないことを、フェリチータは知っていた。

「仕事の要領など数をこなすうちに身につく。それよりも前に倒れてしまっては意味がない」

「うん。気をつける」

「ああ、せいぜい気をつけることだ。そうでなければ、あらゆる手を尽くしてでも君をベッドに寝かしつけなくてはならないからね」

「?」

「君が望むのならば、今すぐにでも寝かせてあげるが?」

「遠慮しておく」

「クックッ……それは残念だ」

ちっとも残念そうでない声音にため息をつくと、ずっと座りっぱなしだった椅子から立ち上がる。……と。

「………っ」
「……どうやら本当に君をベッドまで運ぶ必要があるようだな」
「大丈夫。ちょっと眩暈を起こしただけ」
「眩暈を起こすことが問題だと思うが? ドンナ?」
「……お願い」
「フッ……ドンナの仰せのままに」

今の状態ではいくら言ってもジョーリィに勝つことはできないと悟ると、フェリチータは素直にその身を任せる。
フェリチータを抱き上げた腕は思っていたよりもたくましく……優しく。
執務室を出ると、悠然とフェリチータを抱きかかえたまま、廊下を歩いていく。

「ありがとう」
「役得だった、と伝えておこうか」

ベッドに下ろされたフェリチータが礼を述べると、クッと笑みを象る唇。
彼女の羽織っていた上着を椅子にかける姿をなんとはなしに見守る。

「ああ、そういえば対価をまだ貰っていなかったな」

「対価?」

「ああ。君の仕事を代わりにこなしたこと、そしてここまで君を運んできたことへの対価だ」

錬金術師に等価交換は絶対。その原則を知っているフェリチータは、何が妥当かを考える。

「何かジョーリィの希望はある?」
「私の望みを叶えてくれると?」
「うん。私に出来ることなら」
「それでは……」

フェリチータの答えに、彼女に歩み寄るとマットに沈む身体。
押し倒されたのだと、そう気づいた時にはジョーリィの顔が近くにあって。
触れるぬくもりに、キスをされたのだと知る。

「レガーロのみならず、ノルディアの次期総督、はてはタロッコまでも魅了したドンナの唇ならば十分な対価だな」

「……そんなのでいいの?」

「おやおや……初めてのキスがそんなものとは、ずいぶんと安くでる」

「………っ」

顔を真っ赤に染めるフェリチータに微笑んで、ゆっくりと指で顔の輪郭をなぞる。

「王子様を夢見るお嬢様の、その権利を得たのだからな……十分な対価だろう?」
「……ジョーリィが王子様になってくれるの?」
「クックッ……君が望むならばな」

言葉遊びのように誘えば、一瞬の迷いの後に振られた頭。

「……考えておく」
「フッ……では良い答えを期待しておこう、お嬢様?」

『その芽はもう、あなたの中にあるはずだから』
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