「フェル」
「なに?」
「書類にミスがあるぞ」
「え? どこ?」
驚くフェリチータに書面のある箇所を指し示すと、あ! と小さな呟きの後に正しく訂正される。
「クックッ……まだまだドンナは初々しいようだ」
「仕方ないでしょ? まだ半年もたってないのよ?」
「それは自分が未熟であることを認めるということか? ずいぶんと面の皮が厚いらしい」
相変わらずの皮肉にムッと眉を寄せるも、言い分は正しく、フェリチータは一つ息を吐いて苛立ちを吐き出すと、再び目の前の書面に取りかかる。
ルカとアッシュ・エルモの研究によってジョーリィが視力を取り戻して半年。
今ではこうしてドンナとなったフェリチータの補佐役としてファミリーに復帰していた。
「大丈夫なの?」
「いつまでも父親がニートでは、示しがつかないだろう?」
「それはないと思うけど……」
「クックッ……君はもう少し周りの声に耳を傾けた方がいい」
「そんなこと、皆言ってないでしょ?」
「どうかな」
陰口をたたくような仲間はいないと信じているが、きっとそれはジョーリィなりの自尊心なのだろう。
一時は視力を失ったことで責務を果たせなくなり、フェリチータと共に旅をする日々を送っていたのだ。
「……髪の色は戻らなかったね」
「フェルは黒い方が好みだったのか?」
「ううん。そんなことない」
「では……年老いたパートナーでは不満だと……?」
「違う」
「クックッ……冗談だ」
ジョーリィはタロッコを封印した際、ウィルの制裁を受けた直後で生命力が低下している中で能力を行使したため、その負担は身体のみならず髪の色素を奪う影響を受けた。
研究の果てがウィルの姿だというのなら、彼もまた生命力を失った『生きる屍』というべき存在なのかもしれない。
だがそう考えると、髪の色素を失うだけですんだことを喜ぶべきなのだろう。
「……フェル。手が止まっているぞ」
「! ごめん……」
「集中力が途切れた状態では無意味に時間を費やすだけだ。……行くぞ」
「どこへ?」
「そろそろルカがドルチェの支度をしているだろう。君に付き合わされて、私の脳もグルコースを必要としている」
「うん」
差し出された手をとって執務室を出ると、二人並んで歩いていく。
「パーパ! マンマ!」
「いい子にしてた?」
「うん! ルカとお人形で遊んでたの」
「やれやれ……お嬢様では飽き足らず、妹までも少女思考に染める気か?」
「女の子が人形遊びをするのは当然でしょう。私は特にそのような教育をしているつもりはありません」
「どうだかな……」
「ジョーリィ。どうしてそうやってルカをいじめるの?」
「いじめる? 人聞きの悪い……私はただ、自分の娘の未来を憂いているだけだ」
「お人形遊びはダメなの?」
「本はどうした? この前、買い与えただろう?」
「……あれは難しいよ。エルモがくれた絵本の方が好き」
「エルモ……お前もか……」
ふう、とタバコの煙を吐き出すと、親子三人食卓につく。
「今日のドルチェはリモーネパイですよ」
「わぁい! ルカのリモーネパイ大好き!」
「ふふ、ありがとうございます」
「……私の取り分は明らかに2人と違うが?」
「気のせいじゃないですか?」
「もう、お茶の時間ぐらい2人とも喧嘩しないで」
「そうだよ、パーパ。リモーネパイ、もっとルカに作ってもらおう?」
「クックッ……それはいい。ルカ、『お嬢様』のご要望だ」
「まったくあなたときたら……わかりました」
ぼやきながらも結局は要望を受け入れてくれるルカに苦笑して、フェリチータは娘の口元を指で拭った。
「口の周りにいっぱいクリームがついているわ」
「仕方ないよ。だってマンマよりもお口が小さいんだもの」
「小さく切って食べればいいでしょう?」
ああ言えばこういう、というところはジョーリィに似たのだろう。
苦笑をこぼすと、頬に伸ばされた指に振り返った。
「ジョーリィ?」
「人のことを言う前に自分の行いを見返すんだな。クリームがついているぞ」
「え? ……んっ」
カッと頬を赤らめた瞬間影が差して。
離れる合間に、ついでとばかりにぺろりと唇の端を舐められ、フェリチータは眉をつりあげた。
「ジョーリィ!」
「大丈夫よ、マンマ。私、次は弟が欲しいの」
「クックッ……君よりよほど聞きわけがよいようだ」
「もう……っ」
子どもの前でキスすることさえ躊躇わないジョーリィに、それでも喜んでしまっている自分は人のことを言えないのだろう。
「相変わらず仲がいいよね」
「エルモ」
「はい。君が欲しがってたお人形の飾り」
「わぁ! ありがとう、エルモ!」
「どういたしまして」
「錬金術で作りだしたペリドットか……クッ、妹に甘いのはルカだけではないらしい」
「当たり前だよ。僕の可愛い妹なんだから」
そう言って柔らかく微笑むエルモの姿が嬉しくて、ありがとうと笑みを向ける。
一時は仲違して離れたこともあったジョーリィとエルモだが、今ではこうして共に過ごす『家族』。
愛しい夫と、優しい息子、そして愛しい人の血の流れる娘を得て、フェリチータはこの上ない幸福に包まれていた。
「マンマ。おじいちゃんも孫はいっぱいいていいって言ってたよ?」
「パーパ……」
「クックッ……モンドにまでせがまれているのなら、本格的に考えなくてはならないようだな」
「ジョーリィ!」
「はいはい。そういうのは子どものいない時に話そうね」
「どうして?」
「ふふ、どうしてだろうね。リモーネパイ、僕にも一口くれる?」
「うん。あーん」
「あーん」
すっかり兄らしく落ち着いたエルモは、妹の隣りに腰を下ろすと差し出されたフォークを食む。
「ねえ、マンマ。王子様がいっぱいいる時はどうすればいいの?」
「え?」
「エルモもルカも、リベルタもノヴァもデビトもパーチェもダンテもアッシュも……いっぱいで選べないよ」
「やれやれ……母親に似て貪欲なことだ」
「ふふ、ダンテも王子様だなんて、彼が聞いたら喜ぶんじゃない?」
「……馬鹿馬鹿しい」
「あれ? ダンテにはお嫁にあげないの? それとも、自分以外の誰にもダメ、なんて言わないよね」
「……………」
「図星? モンドパーパのこと、笑えないね」
「エルモ……」
「あ、ルカがきた。ルカ、僕の分もカッフェ淹れて」
「はいはい。わかりました」
ジョーリィの怒りを巧みにかわすエルモに笑むと、じとりと向けられる視線。
「今夜が楽しみだな……」
「!!」
「ジョーリィ! 子どもの前でそういうことを言うのはやめてくださいと、前にもいいましたよね?」
「覚えがないな」
「ジョーリィ!」
矛先がルカに移ったことに胸を撫で下ろすと、動揺を隠すようにリモーネパイを食む。
『家族』がもう一人増えるのも、そう遠くない未来。