「第9のカード『レルミタ』」
「ああ」
「第11のカード『ラ・フォルツァ』」
「いるよ」
「第14のカード『ラ・テンペランツァ』」
「ここに……」
「そして私……第18のカード『ラ・ルーナ』」
円卓の間に集まったデビト・パーチェ・ルカの三人に、ジョーリィは自分のカードを目の前に置くと、本日の懺悔を宣言する。
「今宵の罪人は――『レルミタ』」
「はあぁ? なァんでオレが懺悔しなきゃなんねーんだよ」
「先日のオーガ・ブランコの一件で、『レルミタ』は金貨のコートカードの依頼で部屋を訪れたお嬢様に、写真たてを投げつける暴挙を働いた。裁きは当然だと思うが?」
「その件ならもう罰を受けて終わってるよなァ?」
「今回の裁きはお嬢様に対するものではない。――そこにいる『ラ・フォルツァ』と『ラ・テンペランツァ』に対する懺悔だ」
「あァ?」
ジョーリィの指摘に、何のことだと顔を歪めたデビトに、パーチェとルカは揃って頷いた。
「お嬢様に向かって写真を投げつけるなんて絶対許せません!」
「だから、その件はお前のふざけたカクテルを飲まされて済んでんだろうが!」
「それだけじゃありません! あなたが投げた写真は、私たち三人の思い出のこもったものです。それをあのように投げつけられて、私たちがどんなに傷ついたと思うんですか」
「捨てても戻ってくるよう、勝手に人の私物をいじるのは許されるのかよ?」
「あの写真はおれの母さんが撮ってくれたものなんだよ? 母さんの想いを大事にしないやつはお仕置きだあ!」
「おいおいおい」
多大に私怨の混じった言い分に、デビトははぁ~と肩をすくめる。
「『レルミタ』には粗雑な行為を改め、物を大切に扱うことを覚えさせる必要があるようだ。よって、今宵の見せしめはこれを飲んでもらう」
「ふざけんな。ジジイが作った胡散くせえカクテルなんざ誰が飲むかよ」
「ねえ、ねえ? このカクテル、どんな効果があるの?」
「このカクテルは、飲んだ者の一番大切なものへの執着を強くする。『レルミタ』が何に執着するか……お前たちにとっては気になるものだと思うが?」
ジョーリィの言葉に、パーチェとルカの目がきらりと光るのを感じて、デビトは身の危険を察知する。
しかし逃げる前にパーチェに羽交い絞めにされ、絶体絶命の危機にノックの音が響いたのは、ジョーリィがデビトにカクテルを飲ませようとした瞬間だった。
「――誰だ。今は裁きの途中。関係のない者の入室は許可しない」
「そういうわけにもいかないんだよ。ジョーリィ、パーパが呼んでるぜ」
「モンドだと?」
ドアを開け、入ってきたリベルタの言葉にジョーリィの意識が向いた瞬間を狙い、蹴り上げられた足。
宙に浮かんだカクテルは、そのまま持ち主――ジョーリィの頭上に降り落ちた。
「ジョーリィ!」
「げっ」
リベルタと共にダンテの伝言を伝えに来ていたフェリチータは、部屋の惨状に慌てて駆け寄る。
「ルカ、タオル」
「は、はい。今、お持ちします」
「フェル……」
フェリチータの指示に、ルカがタオルを取りに部屋を出ようとした瞬間、黒手袋の手が彼女を掴むと、ぐっとその身を抱き寄せた。
「君が口にしていいのは私の名だけだ。他は許さない」
「ジョーリィ? 何を言ってるの?」
突然の指示にフェリチータが眉を寄せると、腕の力が緩んで。おもむろに顎を掴まれ、紫の瞳に吸い寄せられる。
「ジョーリィ! お嬢様を離してください!」
「私とお嬢様は恋人同士だ。お前にとやかく言われる筋合いはない」
「………ッ」
「……ねえ、なんかわかりづらいけど、これって例のカクテルの影響なんじゃない?」
「ハッ、自分で作ったもんで狂うなんざとんだお笑い草だなァ」
「なんだよ、例のカクテルって」
首を傾げるリベルタにパーチェが説明するのを見ていると、ぐいっと視線を戻される。
「君の瞳に映っていいのは私だけだ」
「……ッ、ジョーリィ!」
かあっと頬を赤らめ、足を振り上げるフェリチータに避けるジョーリィ。
「お嬢様!」
「……なあ。なんか俺たち、のろけられてないか?」
「うーん、それもそうだね」
「あなたたち何を言ってるんですか! お嬢様が危険にさらされているんですよ!?」
「やめとけ。ジジイにやっかまれるだけだ」
「そんなこと構いません! それよりもお嬢様の身が大事です!」
「馬に蹴られるだけだと思うよ? ルカちゃん」
戸惑いと羞恥があるだけで、結局はフェリチータがジョーリィを好きなことは事実なのだと告げるパーチェに、はう! とダメージを受けるルカ。
肩をすくめて(ルカはパーチェに引きずられて)出ていく一同に、フェリチータの意識が移ったのを感知したジョーリィは、間合いを詰めると腕と足を捕らえ、その動きを封じた。
「君が見つめるのは私だけだと言ったはずだ。フェル」
「私は私が見たいものを見る」
「フッ……気の強いお嬢様だ。君にはその身に私の花嫁なのだと、思い知らせる必要があるようだ」
不穏な言葉に身を強張らせた瞬間、足を捕らえていた手が蠢いて。
するりと太股を撫でる掌に、びくりと身を震わせる。
「……ジョーリィ! ふざけないで!」
「ふざけてなどいない。言っただろう? その身に思い知らせる必要がある、と」
今までにない接触に戸惑うフェリチータに構わず、ジョーリィは滑るように撫で上げる。
「…………ッ」
「――君は俺のものだ。フェル」
鼓膜を震わせる甘い声。ぞくりと全身が震えて、ペリドットの瞳が艶めき濡れる。
「……ッ、私がジョーリィのものなら、ジョーリィも私だけのもの?」
ジョーリィの一番はフェリチータの父・モンド。
そのことに嫉妬することはなかったけれど、フェリチータがジョーリィだけのものであるようにというならば、自分だって同等に求めてもいいはずだ。
そう訴えるフェリチータに、フッと唇が弧を描くと、耳元でそっと囁く。
「君がそう望むのであれば応じてもいい。だが今後一切、その目に他の男が映るのは許さないがね」
「そんなの無理」
巡回はコートカードと行うし、館に住まう仲間も男ばかり。
ジョーリィの要求は不可能だ。そう告げると、再び太股を撫でられて。
思わず上がった声に、カッと顔が赤くなる。
「それならば力づくで従わせるまでだ。私のことだけしか考えられないように、ね」
今まで感じたことのない感覚に意識を奪われそうになるのを堪えながら、フェリチータはジョーリィの言葉を反芻する。
今までモンド以外に興味を示さなかったジョーリィ。
アルカナ・デュエロを経て気持ちは繋がったと思っているが、それでも人生経験の差か、彼の性格ゆえか、何を考えているかわからないことが多かった。
ジョーリィが今口にしている言葉は、彼の作ったカクテルが原因のようだが、それは彼自身の想いなのか?
「私の言葉が信じられないようだな」
「そうじゃない。でも、ジョーリィの要望には応えられない」
フェリチータを独占したいという想いが、ジョーリィの本当の想いであってもそれは譲ることはできないとはっきり告げると、サングラスの奥の瞳が煌めく。
「お互い自分の主張が譲れないのならば仕方ない。勝った方に従わせるだけだ」
「ジョーリィ?」
「君が進んで私の元に来るよう、努力を惜しまないと言っている。――君はどうする? 勝負を放棄して逃げるか?」
逃げる……それはジョーリィの恋人であることを拒むということ。
「そんなことはしない。私はジョーリィが好きだから」
「クックッ……それでこそフェルだ。では勝負の行方を楽しみにしよう。私の花嫁」
「そういえば結局ジョーリィにカクテルって効いてたのか?」
リベルタの疑問に、円卓の間から移動して広間で一緒にお茶を飲んでいたルカ達が不服そうに眉をひそめた。
「あのジジイが自分の作ったもんで狂ったんなら面白かったけどなァ」
「え? あれって効いてたんじゃないのかよ?」
「うーん。お嬢に絡んではいたけど、俺たちに見せつけるためにわざとやってたっぽいんだよね」
フェリチータを抱き寄せ、自分だけを見ろと迫っていたジョーリィ。
あれが薬に見せかけた策だと言うなら相変わらずとしか言いようがなかった。
「でも、ジョーリィが執着してるのは間違いないだろ? お嬢に興味ないならそもそもあんなマネしないだろうし」
「ぐはっ!」
確かにジョーリィの関心ごとと言えば今まではモンドただ一人に限られていたが、アルカナ・デュエロを経て心を通わせ合った二人は恋人になっていた。
「だったら効いてないわけでもないんじゃないか?」
ジョーリィの作ったカクテルは、飲んだ者の一番大切なものへの執着を強くする――というもの。
彼にとって一番大切なものがフェリチータなのかどうなのかに、リベルタ達の関心が集まる。
「やっぱり一番って言ったらパーパなんじゃないかな? お嬢の事も好きなんだろうけど、好きの意味合いが違うっていうか……」
「ハッ! アモーレより野郎を選ぶなんざ、レガーロ男じゃねえな」
「うっうっ……私のお嬢様がジョーリィの毒牙にかかるなんて悪夢以外の何物でもありません」
「ルカちゃんのお嬢じゃないけどね」
「ぐはっ!」
パーチェの突っ込みにルカがダメージを受けているその頃、錬金部屋へ移動していたフェリチータ達は、怪しげなカクテルを前に睨みあっていた。
お互い自分の主張が譲れないのならば勝った方に従わせる――ジョーリィの挑発に乗ったフェリチータは、その勝負のためにここにいた。
「では、お嬢様から先に」
「ううん。それじゃジョーリィが飲まない可能性があるから同時に飲む」
「クックッ……恋人の言葉が信じられないと? これなら賭けは私の勝ちだな」
カクテルの残りが入ったビーカーをゆらりと揺らしながら笑むジョーリィに、しかしその挑発には乗らずにフェリチータは自分の要求を崩すことなく2つのグラスを並べると、ジョーリィに注ぐように要求する。
飲んだ者の一番大切なものへの執着を強くするというなら、相手への執着が強くなった方の勝ちなのだろう。
ジョーリィが大切なものかどうか問われれば、素直に頷くことができる。
けれども、フェリチータはまだ恋というものがどういうものかを理解できてはいなかった。
ジョーリィの事が好きだ。それは理解できている。
けれども、好きで恋人になったらどうするのか、どう変わるのか、それがわからない。
好きの先にあるものが、モンドやスミレの関係なのだろう。
でも両親と同じような関係になるのは恋がどう変化したらいいのだろう?
ジョーリィがモンドと同様に、自分を大切に思ってくれていることもわかっていた。
けれども一番大切なものとなると、モンドに勝っているとは言い難い。
二人の絆の深さは、以前その記憶を見させてもらって知っていたから。
モンドが一番大切だったジョーリィと、皆と同じ『好き』から1つ頭を抜けたと理解していても、自分の好きがどれほどのものかわからないフェリチータ。
そんな二人が争って出る結果は、果たして自分たちを納得させるものなのか。
「怖気づいたのか?」
「違う。でも、飲んでも意味がないことに気がついた」
「意味がない、とはつれないことだ」
「だってきっと決着はつかないから」
一番大切なものという条件。
それは恋心だけを含むものではなく、パーパやマンマ、ファミリーやレガーロ島に住む人々への想いも含まれる。
その中で互いへの想いだけが突出していると言えるかどうか――答えは否だ。
「私はジョーリィが好き。ジョーリィもそう。でも、一番好きになるのはきっとパーパやマンマのようになる時だから」
二人と今の自分たちに何が欠けていて違うのかがわからない。
それこそがきっと、まだ二人のような想いに達していない証なのだろう。
フェリチータの答えを黙って聞いていたジョーリィは、手にしていたビーカーを机に置くと立ち上がり、フェリチータの傍らに立つ。
そうして彼女の頬に触れると、艶やかに微笑んだ。
「まさか、君からプロポーズされるとは思いもしなかったよ、フェル」
「………!」
「クックッ……これほど俺を楽しませてくれるとは、本当に君は興味深い」
「実験動物のように言わないで」
「俺がこれほど執着するのはモンドぐらいのものだが、お嬢様は不満なのかな」
「言い方が気に入らない」
「……本当に、君は面白いよ」
傾いた顔に、反射的に逃げる背中を押さえられ、唇に触れたぬくもりを受け止める。
ジョーリィと恋人になって、時折交わすようになったキス。
誘うようなことを度々口にするものの、ジョーリィがフェリチータに触れてくることは少ないから、この瞬間はとても幸せを感じる。
啄むように軽く触れて離れていく唇を無意識に追いかけると、笑う気配を感じて、それを確かめる前に再び唇が啄まれた。
今度は先程よりも少しだけ長く、最後に柔らかく上唇を食まれて身体の奥が熱くなる。
「カクテルの思わぬ効用か……悪くはないな」
「?」
「いや、こちらの話だ」
こぼれた呟きに首を傾げるが、それ以上教えてくれる気はないらしく、フェリチータは素直に引く。
一番大切なものかはさておき、執着を問われれば間違いなくしている。
だからあのカクテルはある意味では不要だとジョーリィは微笑み、咲き始めた恋人にカッフェを用意するために部屋の奥へと歩いて行った。