惑されたディアボロ

ジョリフェリ1

「……ジョーリィ?」
「…………!」

執務室にやってきたジョーリィにどうしたの? とフェリチータが小首を傾げると、突然腕を掴まれた。
そのままドアへと引きずっていく様に、堪えきれずにルカが口をはさむ。

「ジョーリィ! お嬢様をどこへ連れて行くつもりです?」

「どこへ連れて行こうがお前に言う必要はないはずだ」

「お嬢様は今執務中です。邪魔は許しませんよ」

「ファミリーの相談役がドンナを連れ出すのに問題でも……?」

「何かあったの?」

真面目なフェリチータがジョーリィの言葉に反応したのに唇の端をつりあげると、そのまま肩を抱いて執務室から連れ出した。
もちろん、ルカについてくるなと無言の脅しを忘れず。

 * *

「それで何?」
「何、とは?」
「何かあったから私を呼んだんじゃないの?」

ジョーリィの錬金部屋に連れてこられたフェリチータは、出されたコーヒーを飲みながら彼を見上げた。
だがジョーリィはいつものように恐ろしい量の砂糖を入れたコーヒーをすすると、ふっと鼻で笑って見せた。

「私はそんなことは一言も言った覚えはないが……?」

「だったらどうして……」

「ここに連れて来たか理由がわからない、という顔だな」

言葉を継ぐジョーリィに、フェリチータはこくんと頷く。
こういう素直さを以前ならばただ答えを待つ幼子と変わらないと嘲笑っただろう。
だがそれもまた彼女の魅力なのだと捉えるようになったのだから、恋というのは驚くべきものだ。

「ただ恋人を連れ出したかっただけ、と言えば満足かな?」

「!! で、でも執務がまだ……」

「あんなものはルカに任せておけばいい。あいつは以前もモンドの代わりを務めていたからな……問題ない」

「そういうことじゃない。ルカだって他にやることはあるもの」

「任せればいい、と言っている」

「いや」

生真面目な恋人はしかし頑なに頷いてはくれず、ジョーリィは苛ただしげに煙を吐き出した。

「ほう……お嬢様は私といるよりもルカといる方がいいと見える」
「…………っ」

恋人となり、名前で呼び合うようになったジョーリィが『お嬢様』と呼ぶのは機嫌が悪い時。
けれど、執務を放り出すのはやはり良しとは思えなくて、フェリチータはキッと睨んだ。

「だが生憎と私は君を逃がすつもりはない」
いつの間にか絡んでいた腕はしっかりと腰に巻きついていて、引き寄せれば簡単にフェリチータはジョーリィへと倒れ込んでしまった。

「ジョーリィ!」
「躾が足りないようだな」
「…………っ!」

太腿を撫であげる手に、びくりと身体が跳ねる。

「君にはもっと教え込む必要があるようだ。私以外を男とは認識できないようにね……」

晴れて公認の仲となって後、ジョーリィはすぐにフェリチータを抱いた。
溺れ、自分以外に目を向けないように、それは執拗に手を尽くした。
その甲斐あってか、こうしてほんの少し肌を撫でただけでフェリチータの目は潤み、情欲を宿すようになった。けれども。

「……っ」
「相談役がドンナにさぼりを促してどうするの!?」

生真面目な気性が執務中に睦事に興じるのを許さないらしい、ぺしりと払われた手にくっくと笑みを漏らした。
ジョーリィの想像を覆すことをしでかす、そんなところがまた楽しかった。

「つれない恋人だ……こんなにも私は君を求めて止まないというのに」

「冗談に付き合うのはまた今度。私、戻るね」
膝の上から降りようとするフェリチータを、しかししっかり拘束するとキリリとつりあがる眉。

「ジョーリィ!」

「逃がすつもりはない、と言ったはずだが……?」

得意の蹴りが飛ばないよう、座って抑え込んでしまえば抵抗のしようがないと知っての行動に、フェリチータは小さく息を吐き出した。

「急ぎの案件が二つあるの。手を放して」
「ルカがやると言っている」
「だから……っ!」
「あれは私の息子だ。そんなものぐらいわけないだろう」

平行線をたどる問答に怒りかけていたフェリチータは、思いがけない言葉に動きを止めた。

「息、子?」
「私は君より長く生きている。子どもの一人ぐらいいてもおかしくはないだろう…?」
「そ、れはそう、だけど……」

突然聞かされた衝撃の事実に、フェリチータは混乱した。
以前ジョーリィから聞かされた家族は、父と出会う前に亡くなったというおじいさんだけ。
それからは父が彼の唯一の家族のはずだった。

「本当にルカは……ジョーリィの子どもなの?」

いつも傍にいた笑顔の従者。
ルカからそのような話を聞いたことは今までなかった。

「あいつは私を父親だとは思っていないからな」
「どうして?」
「預けたきり振り向きもしない父親を慕う息子などいないということだろう」

くっくと他人事のように笑むジョーリィに、フェリチータはルカの顔を浮かべ胸を痛めた。

「私に子どもがいることがご不満かな」
「違う……」
「では……私のルカへの態度がお気に召さないか?」
「…………っ」

ジョーリィの話し方はいつだって人を嘲るようなもの。
それでもこのことに関してはそんなふうに言っていいものではないだろうと、フェリチータは眼差しを強めた。

「私を選んだことを後悔するかな? フェル」
「……そんなことない」

傷ついただろうに、それでもまっすぐに見つめ否定するフェリチータをジョーリィは興味深げに見つめた。

「驚いたけど……私はあなたを選んだから」
揺るぎない強い思いを宿し、ジョーリィを映す翡翠の瞳。
ぞくりと身の内を震わすその瞳に、ふっと笑みを浮かべた。

「――実験だ」
「え?」
「自分の血の繋がった存在がモンド以上の存在となりうるか……結果は君の知る通り」

フェリチータが知る限り、ジョーリィがルカと共にいる姿も、ましてや奥方と居る姿など見たことはない。
それはつまり、ジョーリィが言うところの実験は失敗だった、ということなのだろう。
しかしそのことをとても喜べるはずはなく、フェリチータはきゅっと唇を結び俯いた。

「愛想がつきたかね?」
「……………」
「だが、私は君を放すつもりはない」
「………っ! ジョーリィ……っ」

腰へ絡みつけた腕はそのままに、再び掌で撫でると上げかかった声を飲み込み、フェリチータは彼の頬を両の掌で包み込んだ。

「こんなことで縛らなくても、私はジョーリィから離れない。私はあなたを選んだ。あなたもそうでしょ?」

「ふ……フェルは聡明だ」

指を絡め見つめれば、自然と閉じた瞳に唇を重ねる。
驚いただろう。 傷つきもしただろう。 悲しんだかもしれない。
それでも、フェリチータがジョーリィを求める瞳は知る前と何ら変わりはなかった。
それが答え。

「……っ……ちゅっ……はぁ」
「俺が……ん……そう簡単に……逃す…とでも……?」
「……んんっ」

唇を割って舌を差し込み、絡め取り。
惑い逃げていたそれが絡め返すまで貪ってようやく離すと、フェリチータの蕩けた瞳が目に入る。

「いいのかな? 君は執務を続けたいと言っていたはずだが……?」
「……わかってる」

嘲る恋人に頬を染めながら、それでもそれは正しくて、疼いた身体に目を背けて膝上から身を起こす。
逃げようとすれば拘束するくせに、自ら突き離せば追いもしない。
どこまでも自分勝手な恋人に小さく息を吐くと、頭を切り替え身を翻した。
そんなフェリチータの背に降りかかるのは、ディアボロの囁き。

「執務が終わった後にまた来るといい。その時は君の望みを叶えよう。私の花嫁」

 * *

ジョーリィに促されて執務室に戻ったフェリチータは、机に向かいながら先程のことを思い出していた。

子を成したことを『実験』といっていたジョーリィ。
その時、思いがけず見えてしまった彼の心。
それは父・モンドへの思い。
タロッコの封印を解いた時から、モンドは一人重荷を抱えた。
等価交換の原則で成り立つタロッコは、力を与える代償に宿主の精神力を求める。
だが宿主のいないタロッコは精神力を得ることが出来ないため、それを世界の宿主であるモンドに求めた。

22枚のカードの内、宿主が決まっているのは12枚。 残り12枚のカードをモンドは一人で支えていた。
ジョーリィにとってモンドはただ一人、大切な存在であると認める存在。
ジョーリィの行動は全てモンドのため。
モンドの負担を軽減するために彼は、早急に全ての大アルカナに宿主を決めることを望んだ。

「……………」

見目麗しいジョーリィならば、相手は苦労することなく見つかっただろう。
そうして生まれたのが――ルカ。
彼はジョーリィの望みどおり、その身にタロッコを宿すことが出来た。

その後も宿主となりうるものを求め研究を繰り返し、パーチェ・デビトと契約を結ばせた。
けれどもその後、『運命の輪』によって新たな力を宿したスミレが、タロッコによっては精神力だけではなく、世界のカードのように大きな代償を求めるものがあることに気がつき、大アルカナの宿主を求めることをファミリー内では禁じられた。
だからジョーリィは、別の手段を探さなければならなくなった。

その一つがホムンクルスであるエルモ。
しかしホムンクルスを誕生させるには膨大な資金と時間が必要で、モンドに残された時間があまりないとわかり、ジョーリィは『運命の輪』を持つフェリチータの力を高めることを望んだ。

「お嬢様? どうかなさいましたか?」
「……ううん」

気遣わしげに覗きこむルカに首を振る。
ルカに気を遣わせるなんてもってのほか。
この件で傷ついたのは彼なのだから。

「……少し休憩しましょう。今、お茶を淹れてきます」
「ありがとう」

昔からフェリチータに仕えてくれていたルカは、彼女の機微に聡い。
今もこうして執務に集中できていない状態を察して、休憩を提案してくれる。
そんなルカにフェリチータは胸の痛みを隠して、優しいお茶を口にした。
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