梅雨の恋人たち

ジョリフェリ10

ドタドタと騒がしい物音に、ジョーリィは厨房から勝手に持ち出したリモーネパイを食む手を止め、気配に耳をすました。
扉の開く音に続いて、数人の足音。

「この声は……剣のやつらか」

ルカやコートカードたちの慌てた様子に、時折混ざる少女の声にホールへと歩いていく。
予想通り、そこにいたのは剣のメンバー。
ただ一つ、予想外だったのは、彼らが皆ずぶ濡れになっていたことだった。

「慌ただしいな……」
「ジョーリィ」
「これはこれは……なんとも扇情的な姿をしている。……どういうことだ?」

後半の問いは、彼女のコートカードに向けたもの。
ス……ッと辺りの温度が下がったようなジョーリィの低い声に、フェリチータ同様に全身ずぶ濡れのジョルジョは、眉を歪めて答えた。

「巡回途中で急な雨に遭遇したんです。雨宿りする場所を探すより、館の方が近かったために走り戻ってきました」

「最近の変わりやすい天気を考慮しないとは、随分と思慮に欠けた行動だな」

「ジョルジョは悪くない。私が走ろうと言ったの」

ぽたぽたと、前髪から滴る水を煩わしげに払いながらジョーリィを見上げるフェリチータ。
彼女は今、自分がどんな姿をしているのか、わかっているのだろうか?

「皆、お疲れ様。すぐに着替えて。解散」
「お嬢も、ルカがすぐタオルを持ってくると思うけど、体を冷やさないようにね」
「今日はすまなかった。お嬢」
「ううん」

口々にフェリチータを気遣うコートカードたちを見送った小さな肩が、ふるりと震える。

「……他人を気遣う前にまずは自分のことを考えるんだな」

「ジョーリィの上着が濡れる」

「お嬢様に風邪をひかせるとモンドがうるさいからな。それでも被って、さっさと着替えることだ」

「ありがとう」

かけられたジョーリィの上着に礼を述べると、フェリチータが自分の部屋へと歩いていく。
途中、ルカがタオルを手に駆け寄るのを確認すると、研究室へと引き返した。

* *

それから夕飯も忘れ実験に没頭していたジョーリィは、ドアをノックする音に軽く息を吐くと、器具から目を離し、葉巻に火をつけた。

「入るね」
断りをいれ入ってきたのはフェリチータ。
その手にはいつぞやのように食事があった。

「お嬢様は記憶力が欠如しているようだ。必要なら自分でとりにいくと、前にも言ったと思うが?」

「朝も食べてないでしょう? 食事を抜くのはダメ」

存外頑なな少女は、自分の考えを改める気はないらしく、食事の載ったトレイをずいっと差し出した。

「食事なら口にした。だからそれは不要だ」
「……もしかしてルカの作ったリモーネパイ?」
「厨房にあったものだ。誰が食べても文句はあるまい?」
「やっぱり犯人はジョーリィだったんだ」

フェリチータのためにと、ルカが用意してあったドルチェを悪びれもせず食べたことを口にするジョーリィにため息をつくと、トレイを手にしたまま袖を引く。

「せっかく用意したんだから食べて」
「……私がいらないと言っているのに、どこまでも自分勝手なお嬢様だな」

研究室では食べ物をとらないことを知っているフェリチータに、ジョーリィは厭味ったらしく息を吐くと部屋を出る。
そうして自室で食事を食べ終えたジョーリィは、カッフェを用意するフェリチータを葉巻を吸いながら観察していた。
先程の濡れ鼠の様は着替え、髪も綺麗に乾いている。
きっとルカが乾かしたのだろうと思うと、胸の奥に苛立ちが生じる。

「はい」
「……夜に不用意に男の部屋に来ることは警戒心が欠けた行動だと、前に教えなかったか?」
「……!」

カッフェを置いた瞬間を狙い腕を捕えると、強張った身体。
幼さの残る内面とは裏腹に、その身体は女性らしい丸みを帯びたもので、先程の濡れてそのラインが露わになっていた姿を思い出した。

「随分と信頼されているようだが……私も男だと教えたはずだ。君に想いを寄せる……ね」
引き寄せ、膝の上に座らせると、怯える瞳を見下ろす。

フェリチータの自分に対する想いはまだ少女のそれだとわかっていたが、自分のそれが彼女と同じとは限らないのだ。
それを言外に伝えると、フェリチータの瞳は常の彼女らしからぬ怯えを含み揺れる。
捕えていた腕の力を緩めると、それを察したフェリチータは即座に立ち上がった。
そうして以前のように駆け出ていくのだろうと思いきや、ドアのところで立ち止まった彼女は戸惑うように振り返った。

「……ごめんなさい。上着ありがとう。後で洗って返すね。……カッフェ、冷めてしまったかもしれないけど、よかったら飲んで」

小さく詫びると去っていく姿に、彼女が置いたカッフェを手に取る。

「本当に君は興味深いよ……クックッ」

食事を運んだのは、先程の上着の礼だったのだろう。
それはわかっていたが、それでも不用心なことに変わりはなく……普段ならば捨て去るであろう冷め始めたカッフェを口にすると、研究部屋へと戻っていった。
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