「あ、お嬢さん! ……じゃなかった、ドンナ!」
金貨のスート、名はジェルミと言っただろうか?
ちょっとした用事で街に出ていたフェリチータは、その呼びかけに足を止めて振り返った。
「どうしたの?」
「ちょっとカポのことでご相談が……」
「デビトのこと?」
彼らの長であるデビトは気が短く、また気まぐれなところがあるため、また何か問題を起こしたのかとフェリチータは眉をしかめた。
「デビトが何かしたの?」
「いや、そういうわけじゃないっす」
「その逆ですよ。してくれなくて困っているんです」
ジェルミの言葉を継いだヴィットリオの話に、フェリチータは耳を傾ける。
彼らが困っているのは、デビトの最近の接客態度。
金貨の仕事場である『イシス・レガーロ』はレガーロ島きっての娯楽施設であり、一時を楽しむために多くの客が訪れる。
特に長であるデビトの影響でか女性客が多いのだが、最近その相手をしなくなったというのだ。
「カポ目当ての常連客から苦情続発で参ってるんすよ」
「カポがドンナの恋人となってからです」
「!」
そう、アルカナ・デュエロで絆を深めたデビトとフェリチータは恋人として付き合うようになっていた。
けれどもそのことがこんなところで影響しているとは思わなくて、フェリチータは唇を噛んだ。
「……わかった。デビトに注意しておく」
「助かります」
「え~と……ドンナ、すみません」
フェリチータを心配するジェルミにううんと首を振ると、じゃあ私は館に戻るねとイシス・レガーロを出た。
「ふう……」
胸に重くのしかかるスートの言葉。
デビトが女性に人気があることは、声をかけられる彼の姿を何度となく見ているからもちろん知っていた。
それでも、仕事とはいえ愛する人に他の女性に接しろというのは正直気が重かった。
「仕事だもんね」
「花の笑顔が曇り空だぜ? バンビーナ」
自分を納得させようと呟いた言葉に思いがけず反応が返り、フェリチータは驚き後ろを振り返った。
「デビト?」
「どうした? じじいに気の重い仕事でも振られたのか?」
アルカナ能力で姿を消していたらしいデビトに、フェリチータは表情を殺して口を開く。
「……スートが探してたよ。また勝手に出かけてたんでしょ?」
「俺の指示なしで動けねえような奴は金貨にはいらねえよ。バンビーナの顔を曇らせるような屑もな……。どうした? あいつらに何言われた?」
機微に聡いデビトはフェリチータの頤を掴むと、その顔を覗き込む。
「……デビトがお客さんの相手をしないって」
「ああ………チッ。あいつら、そんなことをバンビーナに洩らしやがったのか」
「ちゃんと相手をしてあげて。それがデビトのお仕事でしょ?」
以前ならば今の流行を知ろうと、自身は好まない甘いお菓子を口にしたりと、仕事にはそれなりに熱心だった。(ノヴァにはそうは見えないだろうが……)
そんなデビトが態度を変えた理由は、フェリチータとの関係に他ならなかった。
「バンビーナにそんな顔をさせる仕事なんざ、俺にはどうでもいいだがな……」
「デビト!」
「『ドンナ』はそれを許さねえんだろ? ……わかった、相手をすればいいんだろ?」
はいはいとおざなりに、それでも了承するデビトにちくりと胸が痛む。
(自分で相手をして欲しいって言ったくせに……私、わがままだな)
ファミリーのドンナとしては正しくても、女としてのフェリチータは複雑なこと。
けれど仕事に私情を持ち込むなどもってのほかだと、無理やり痛みを隅に追いやる。―――と。
「フェリチータ」
「え?」
名を呼ばれて俯いていた顔をあげると振り落ちた口づけ。
軽く二度、三度と食んでから離れると、金色の隻眼が甘く自分を見つめていた。
「俺が愛を囁くのはただ一人。俺を惹きつけてやまない、芳しい芳香を放つ唯一の花だ……わかってるな?」
「……うん」
たとえその傍らに誰がいようとも、心は自分に。
そう伝えてくれるデビトに、フェリチータに微笑みが戻る。
「いい笑顔だ、バンビーナ。お前にはその方が似合ってるぜ」
「うん。ありがとう、デビト」
言うや掠め取られるように唇を食まれ、フェリチータの頬が朱をさした。
「お礼は言葉じゃなく、バンビーナの甘い唇でくれ……ってね」
「もう……」
ここは裏通りとはいえ、昼間の町であることに変わりはない。
そう抗議をこめて見るも、デビトに謝意などあるわけもない。
「今夜はバンビーナのぬくもりを感じさせてくれるんだろ?」
「うん。待ってるね」
甘い誘いもフェリチータにかかってはただの添い寝に変換させられてしまう。
きっと、以前眠れず苦しむデビトを気遣い、抱き寄せ頭を撫でるようなつもりでいるのだろう。
それならばその状況を利用すればいいだけだと、ルカに知られれば怒鳴られそうなことを考え、あえて思い違いを訂正せずに立ち去る姿を見送った。
この後、ジェルミがデビトから制裁を受けたのは必然。
「どうして俺だけ~~~!?」