「……ん?」
教室の移動中、ふと見た窓の向こうに見えたのは彼女と男の姿。
「あいつは確か……心理学科の2年生だったか?」
彼女と同じ心理学科に属するトーマと同学年の男。
その男がなぜか彼女と共にいる……その事実にざわりと胸がざわめいた。
とっさに走り出そうとして、不意に離れていく背中が目に入る。
それぞれ違う方向へ去っていく姿に、トーマは急いで駆けだした。
* *
「はぁ……」
講義の後、話があると上級生に呼び止められ、告白された。
でも彼女には長年ずっと片思いしていて、昨年ようやく想いを交わし合った恋人がいる。
だからごめんなさいと、素直にその申し出を断った。
告白されるのは初めてではない。
高校生の頃も、同じ部活に所属する仲間から告白されたことがあったし、大学に入ってからも何度かこういったことはあった。
それでも、彼女がずっと想い続けているのは、今も昔もただ一人。
会いたいと、そう思った瞬間にポンッと頭を軽く叩かれ顔を上げると、そこには今思い描いていたトーマの姿があった。
「トーマ! どうしてここにいるの?」
「教室を移動する時にお前の姿が見えたから。お前はこれから講義?」
「ううん」
「じゃあ、食堂行かないか?」
「うん!」
同じ大学でも学部の違う二人の珍しく重なった空白の時間に、ぱあっと表情が輝いた。
「そういえばお前、さっき珍しいやつと一緒にいなかった?」
「え?」
「確か、お前と同じ心理学科の2年生だよな?」
「……! トーマ、見てたの!?」
「たまたま目に入っただけだけど……もしかして俺に知られるとまずかった?」
「そんなこと……っ、ない、けど」
気まずそうに泳ぐ視線に、先ほど感じたどろりとした感情が蠢いた。
「……もしかしてまた告白された、とか」
「………っ」
「やっぱりそうか……」
「でも! すぐ断ったから!」
「わかってるよ。俺も、お前を渡すつもりなんてないし。もちろん、お前が俺に愛想をつかしたら仕方ないけどね」
「そんなこと絶対ない!」
苦笑混じりに言えば、即座に変える否定の言葉。
それが嬉しくて、わずかに赤らむ顔を隠すように口元を手で覆った。
「お前は本当に素直って言うか……そんなに全力で否定されるとちょっと照れるよね」
「あ……っ、その……」
「別に嫌なわけじゃないよ」
むしろ嬉しいんだと、心の中で呟いて、ぽんぽんと彼女の頭をあやすように撫でる。
想いを告げて叶わなかった時に幼馴染という関係さえ失うのが怖くて、ずっと一歩を踏み出せずにいた。
そんな臆病なトーマにきっかけをくれたのは彼女。
疑心暗鬼にかられて、守るという口実で彼女を閉じ込め自由を奪ったトーマを許し、想いを告げ、求めてくれた。
――罪悪感が消えたわけじゃない。
今でも自分のような最低な男より、もっといい奴を探した方がいいんじゃないかと、そう思う気持ちはあった。
けれど、彼女が何よりそれを厭う。
トーマが彼女を手放すことを、決して頷きはしないから。だから――。
「お前が嫌だって言わない限り、俺はずっとお前の傍にいるよ」
だったらずっとトーマは傍にいてくれるねと、そう嬉しそうに微笑む彼女に、口付けたい衝動を必死に堪える。
「……お前って本当にそういうとこ、可愛いよね」
思ったままを口にすれば赤らんだ顔に微笑んで。
そっとその手を取ると、食堂へと歩いて行った。
この後、件の男が彼女に言い寄ることは二度となかった。
それにトーマが一枚噛んでいたのは秘密である。
「虫よけはちゃんとしておかないとね」