ホワイトバレンタイン

トーマ1

「降ってる…」
朝起きて、真っ先に向かったのは窓。
そこから見える白景色に、口からため息が零れ落ちた。

「どうしよう……」

テーブルの上には、綺麗なラッピングが施されたチョコレート。
受験を終えて、心置きなく専念できたチョコ作りは良い出来で、後は14日当日に会う約束をしたトーマに渡すだけだった。

誰よりもお祝いしたかった誕生日は、「俺の誕生日なんかより受験に専念しなさい」と先手を打って釘を刺され、おめでとうとメールすることしかできなかった。
だからこそ、バレンタインはきちんと渡したかったのに、それを邪魔するように前日の雪予報は現実となって彼女がトーマのもとに行くのを阻んでいた。

テレビをつけて天気予報を観るも、一日雪の予報は変わらない。
しばらく逡巡すると、くるりと洗面所へ向かった。
悩んでいる間にも雪は深まってしまう。
それなら、少しでも早く家を出てトーマのもとへ行かなければ。
シャワーも浴びたかったが、さすがに湯上りで雪の降る中を行くのはまずいだろうと、髪を整えリップを塗ると、コートを羽織ろうとクローゼットを開けた――瞬間。

「え? トーマ?」

鳴り出した携帯に手に取ると、画面に表示されている名前にあわてて通話ボタンを押した。

『おはよう。今、大丈夫か?』

「おはよう。うん、どうしたの?」

『今日、お前、俺の家に来るって言ってただろ?この雪だし、たぶんやめるだろうとは思ったんだけど、もしも来ようとしてたらと思ってね。電話した』

「今、出ようとしてた」

一瞬息を詰める気配の後、はあ~と深いため息が聞こえて。
耳に届いたのは呆れた声。

『朝から雪が降ってるの、知ってるだろ? 今はそれほど積もってないけど、今日は一日降るって言ってるし、危ないから家にいなさい』

「すぐに帰るから。どうしても今日、渡したいの」

『それ、今日じゃなきゃダメなの?』

「うん」

トーマのために用意したチョコレート。
一日ずれたからといって傷むものでもないけれど、それでも今日渡すことに意味があるものだった。
だから譲れないと頷くと、わかったと了承が返る。

『だったら俺がそっちに行くよ。だから、お前はそのまま家にいて』

「え? そんな、トーマが大変だよ」

『お前が雪の中来るっていうなら、俺が行った方が俺が安心するの。今から行くから……じゃあ切るぞ』

「あ……」

押し切るように電話を切られ、仕方なしに羽織ろうとしていたコートをクローゼットに戻す。

「トーマ、大丈夫かな……」

先程までは粉雪だったのに、今はぼた雪になっていて、家の前の路面はうっすらと雪が積もり始めていた。
自分も出て行って途中で待ち合わせた方がいいのではないか……そうも考えたが、万が一すれ違いになってしまったらと思うとそれもできなくて。
そわそわと携帯と、窓へと視線を逡巡させていると、インターホンの音が響き渡った。

「!」
バタバタと階段を駆け下り、玄関を開く。

「おはよう」
「おはよう。寒かったでしょ? 上がって」
「ああ、うん。お邪魔します」

肩についていた雪を払い、ブーツを脱ぐとリビングにいる母と挨拶を交わしてから、トーマが部屋へとやってきた。

「温かいもの持ってくるね。トーマはコーヒー?」
「お前と同じでいいよ。お前は紅茶だろ?」
「うん。でも、別にコーヒーでもいいよ」
「大丈夫だよ。お前の淹れる紅茶うまいから」
「………っ」

さらりと投げかけられた甘言に頬を赤らめると、逃げるように部屋を出た。
紅茶を淹れて部屋に戻ると、トーマは物珍しげに部屋を見渡していた。

「ああ、ありがとな。お前の部屋入るの、いつぶりだろうなって考えてた」

大学に進学すると同時に一人暮らしを始めたトーマ。
幼い頃は当たり前のように互いの家を行き来していたのに、中学に入った頃から自然と一緒にいる時間が減って、いつの間にか距離が生まれていた。

「で? 今日、会いたいって言ってた理由は……机の上の?」

つ……と向いた視線に出しっ放しになっていたチョコに気づき慌てると、おずおずとトーマに差し出した。

「ありがとな。でも、毎年もらってるんだし、別に無理して今日渡さなくたってよかったんだぞ?」
「今日じゃなきゃダメなの」

よしよしと頭を撫でる手が、トーマが自分をどう思っているのかを伝えているようで、つい声が強くなってしまった。

「バレンタインのチョコだから……今日どうしても渡したかったの」
「……ありがとう。開けてもいいか?」
「う、うん」

ラッピングをほどいていく指を見つめていると、ドキドキと鼓動が跳ね上がる。

「これ……生チョコか?」

「うん」

「生チョコって家で作れるものなのか?」

「初めて作ったんだけど、結構簡単なんだよ。ただ、切るのが難しくてちょっと形悪くなっちゃったけど……」

 お店で売られているチョコのように綺麗には作れなかったけど、味見したチョコは悪くはなかった。

「じゃあ早速。……うん、うまい」
「本当?」
「お前、食べてないの?」
「ううん。味見はしたけど……でも、トーマは美味しくなくても美味しいって言ってくれるから」

子供の頃に初めて作ったチョコは、刻み方が荒く湯煎がなかなかうまくいかなくて、ぼそぼその固いものになってしまった。
固い、と容赦ない感想を告げるシンに、けれどもトーマは美味しいよと笑って食べてくれた。

「お世辞じゃないよ。本当にうまい。お前もこんなに上手にお菓子が作れるようになったんだな」

こちらの不安を見抜いたように苦笑しながらもう一つ口に運ぶトーマにホッとして。
自分で淹れた紅茶に手を伸ばす。
実はこの紅茶もバレンタイン限定のもので、チョコの香りがほのかに感じられて、砂糖を入れなくても美味しく飲めて気に入っていた。

「この紅茶、チョコじゃないよな? でも香りがチョコの気がするんだけど……」

「カカオニブとココアパウダーをブレンドしたバレンタイン時期限定の紅茶なんだって。チョコと合うから、お砂糖入れなくても美味しいと思うんだけど」

「ふーん……。うん、生チョコが甘いからちょうどいいね」

ちょっとしたところも気づいてすくいあげてくれるトーマの優しさが嬉しくて、この想いが伝わってくれたらと強く思う。
トーマは幼馴染としか思っていないのだろうが、自分が抱いている想いは恋心。
いつ想いが変わったのかはわからないけれど、それでも確かにトーマに恋していた。
だからこそ、想いを伝える今日のバレンタインはなんとしても渡したかった。

「この後、シンのところにもいくんだろ? あいつ、面倒がって自分から来るってことはないだろうからね」

「あ、ううん。シンのところへは明日持っていくの」

「え? そうなの?」

「……うん」
本当はシンにも今日渡したかったけど、この雪の中渡しに行った時の反応はわかりきっていたから、素直に明日渡すことにした。

「ごめんね。わざわざ来させて……」

「ああ、俺はいいの。俺がそうしたかったんだからね。それにこんなに美味しいチョコもらえたし」

「ありがとう、トーマ」

「ありがとうは俺の方だろ? 本当にありがとな。ホワイトデー希望ある? なければ俺の趣味になるけど」

「できればホワイトデーに会ってほしい」

トーマの言葉にすかさず食いついて。
来月の約束を取り付ける。
昔からもてるトーマのことだから、きっと自分以外の女の子からもたくさんチョコを受け取るだろう。
律儀な性格の彼のことだから、きっとホワイトデーにはきちんとお返しをするだろうから、先約が入る前に約束したかった。

「うん、いいよ。お返しの希望はない?」
「トーマに会えるだけでいい」
「お前って本当に欲がないよね。こんな時ぐらい甘えたってかまわないんだよ?」

トーマの言葉に、心の中で首を振る。
欲なら人一倍ある。
トーマを独占したい。
ホワイトデーに他の女の子と過ごしてほしくない。とても強い、欲だ。

「14日は俺もお前も学校だから、その後待ち合わせでいいか?」
「うん!」

約束を取りつけられて喜ぶと、困ったように微笑んで、大きな手が優しく頭を撫でる。
子ども扱いみたいで少し切ないけど、それでもトーマにこうして撫でられるのはやっぱり好きだから。
嬉しさ半分、切なさ半分。
そんな想いを飲み込むように、少し冷めたバレンタインティーを手に取った。
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