手をつないで歩こう

ケント3

道を歩く恋人同士が手をつないでいるのはなぜなのか。ケントにはその理由がわからなかった。

恋愛の段階を進めるための通過儀礼――そんな理由を思い浮かべてみるが、それならば何故まだその段階に達していない自分が彼女と手をつなぎたいと思うのか、納得できる理由を説明する事が出来なかった。

それは、他の恋人に同調して行わなければならないという義務感などではなく、ただ――彼女が好きで触れたいのだと、そう思い至った時にはひどく戸惑ったものだった。

彼女に交際を申し込んだ時でさえ、ケントは自分の気持ちに気づいていなかった。
否、わざと気づかないふりをしていた。
そして、彼女に触れたいと認識した時でさえ、その行動の理由が恋愛感情に基づくものだとはなかなか認めようとしなかった。

だが今は、手をつなぐことの必要性を認識して手を繋ごうとは思わない。
恋愛感情はすべてが論理的ではないということを、彼女と付き合うことで知ったからだ。
彼女を愛しいと思うから触れたい。
彼女を大切だと思うから守りたい。
理由をあげればそんなところだろうが、それは周りに同調するためでも、恋人としての儀礼的な行いでもなく、ただ彼女が好きだから――それだけなのだ。

「ケントさん?」

「ああ、すまない。突然笑い出すなど無礼なふるまいだったな」

「いえ……でも、何か嬉しいことでもあったんですか?」

不意に笑んだケントに小首を傾げる彼女に、どう伝えるべきか一瞬考えるが、ありのままに伝えるのが一番なのだろうと口を開く。

「君と初めて手をつないだ時のことを思い出してな。我ながらずいぶん無様な誘い方だったと苦笑していたんだ」

「……無様だなんて、そんなこと思いませんでした」

「そうか? 君からつなごうと言ってくれなければ、手もつなげなかった男だ。
呆れられてもおかしくないだろう。……だが、君は笑わずに手をつないでくれたな。それがとても嬉しかった」

一時的に記憶を失っていた彼女は、今では過去を取り戻し、こうして変わらずケントの隣にいてくれる。
当たり前にこの手を受け入れ、指を絡めて歩いてくれる。
そのことがこんなにも幸せで、満ち足りた気持ちを与えてくれていた。

「私も……嬉しかったです。ケントさんがイッキさんに尋ねてまで気持ちを教えてくれたこと……つないだ手があたたかくて、すごく幸せでした」

「君もそう思ってくれていたんだな。……やはり自分の考えや気持ちを伝えることは大事なのだな」

イッキから助言を受けたりしながら、手探りで進んできた彼女との恋愛。
戸惑うことも多々あったが、それでも煩わしいとは思わないし、手放そうとも思わなかった。
ただ手をつなげるだけのこの行為が、こんなにも幸福な気持ちにしてくれる。
それは手をつなぐ相手が彼女だからで、他の誰ともしたいと思わないのだから。

「今日の買い物の目的だった君と私の手袋も買ったのだから、あとは帰ればいいだけなのだが……もし君さえよければもう少しこうして歩かないか?」

「……はい。私も、ケントさんともう少し歩いていたいです」

「ありがとう」

目的もなくただ歩いているなど、昔の自分ならば非生産的だと眉をしかめただろう。
だが、こんなにも満ち足りているこの時間が無駄だと、今のケントは思わない。
彼女が隣にいて笑いかけてくれる。
そのことがどれほど自分にとって重要であるか知っているからだ。
だから、彼女と手をつないで歩いていく。
この先にあたたかで幸福な未来が続いていることを疑うことはなかった。
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