恋愛戦線

玄孟花

「ではいつものように」
「ですが孔明様……っ」

話し声に思わず足を止めた花は、孔明と対面している使者の姿に事情を察して顔を曇らせた。
彼が対面しているのは孟徳からの使者。
にべもない孔明の言葉に、使者は花の姿を見つけるとすがるように懇願してきた。

「どうか丞相からの荷を今日こそはお納めください! このままでは私は再び倍の荷をあなたの元へ運ばねばなりません」

「ええっ? で、でも……」

長安で再会した頃から頻繁に送られてくるようになった品々は、どれも高価で安易に受け取れるようなものではなく、花は丁寧に謝辞を書いては受け取りを拒否していた。

だがそこで諦めないのが孟徳で、断れば今度はその倍の量が送り届けられ、五度目となる今日は荷台が山となっており、次は荷車二台を連れる必要があるとなっては使者が泣いて訴えるのも仕方なかった。

「師匠……どうしましょう?」
「とりあえず使者殿もお疲れのようだし、ひとまずは休んでもらおうか。誰か、使者殿を部屋へ」
「はい」
孔明の声に、女官が疲れ切った使者を客室へと案内していく。

「で? 君はどうしたい?」

「え?」

「だって、これは君に贈られたものでしょ? だったらどうするかは君が決めないと」

「うーん、孟徳さんの気持ちはありがたいですけど、やはり理由もなくこんな高価なものを受け取れません」

「でもそれだと延々とこの繰り返しになるよね」

すでに五度目ということもあり、孟徳が諦めてくれることを期待するのは無理だと花もわかっていた。
だからこそ孔明に相談したというのに、どうやら彼が解決する意思はないらしい。

「高価なものであることが理由なら、そう伝えればきっと君が受け取りやすいものに変えてくれると思うよ? それに理由もなくって君は言うけどさ。本当にわからないの?」
「師匠はわかるんですか?」

最初に贈り物が届いた時はとにかく驚き、あれやこれやと理由を考え、花を警戒している孟徳ならもしかして陛下に近しい者として取り入りたいという意かと即座に断ったのだが、そんな彼女の話を聞いて玄徳は苦笑を浮かべていた。

「まあ、この件に関してならちょうどいい機会があるよ。ほら、読んでみて」
孔明から手渡された書簡を首を傾げつつ受け取ると、中を読んで顔を上げる。

「帝から玄徳さんへの招待状ですか?」
「うん。さっき届いたんだ。この内容なら当然孟徳殿にも声がかかるだろう。君もだけどね」

許都を出て長安にお連れした花は献帝のお気に入りで、玄徳軍が長安を訪れる際には必ず同行を求められていた。

「文でいくら断っても効果がないなら、顔を合わせた時に自分で孟徳殿に断るんだね。そうじゃないと哀れな使者殿がこれからも重い荷を抱えて成都を往復することになる」
「う……はい」

自分のことは自分で始末をつけなさいと言外に告げられ、花は眉を下げつつ頷いた。

* *

「どうすればいいかな……」
「ああ、いたわね」
「芙蓉姫? どうしたの?」
「休憩なんでしょ? 一緒にご飯を食べようと思って探してたのよ」

午前の仕事は終わりと、休憩を言い渡された花が執務室を出たところで芙蓉姫と会い、昼ご飯を食べようと東屋へ向かう。

「で? 何を悩んでるの?」
「え?」
「さっき「どうすればいいか」って呟いてたでしょ?」
「ああ、聞いてたんだ」

花はため息をつくと、芙蓉姫ならこういったことも得手かもしれないと相談してみるが、「ああ、例のあれね」とその目が険しくなる。

「毎度見事な品々で、その審美眼には感心はするけどね」

棘を含んだ感嘆の言葉だが、贅を凝らしただけでなく、その品は女性が心動かされるようなものであり、花も孟徳の目利きぶりには同意だった。

「で? あなたはどうするつもりなの?」

「どうするって……使者さんには申し訳ないけど、いつも通り引き取ってもらおうと思ってるよ」

「それではまた贈ってくるわよ。今度はさらに荷を増やしてね」

「………うん」

ここまでの光景を知るものにはこの後の展開も予測がつくのだろう。
芙蓉姫の指摘に、まさにそのことで悩んでいた花はどうすればいいかと頭を抱えた。

「ねえ? あなた、想う相手はいないの?」

「え? 想う相手……って、好きな人ってこと?」

「そうよ。あなたぐらいの年なら結婚してるのが普通なのよ。三国も平定されたし、そろそろ自分の身の振り方を考えてもいいはずよ」

「身の振り方……」

「花なら相手は引く手数多じゃない」

「そ、そんなことないよ」

「そんなことあるわよ。孔明殿に聞いてないの?」

「?」
ことりと首を傾げる花に、芙蓉姫はため息をつくと縁談、と告げる。

「縁談!? 私がっ?」

「そういう反応だから、孔明殿は話さなかったのね」
呆れたように肩をすくめる芙蓉姫に、そうだったのかと師匠の顔を思い浮かべる。

「孟徳殿の贈り物も、そうした意図を含んだものよ。それにまったく気づかないなんて、疎いというか鈍いというか……」

「う……」

「あの色情魔を選ぶのはもちろん反対だけど、あなただったら妻に迎えたいって思う者は我が軍にも沢山いるのよ」
だからと花を見ると、にこりと微笑む。

「あなたの国では縁談はまだ縁遠いらしいけど、そろそろそういったことを意識してみてもいいと思うわ。あなたに想う相手が出来れば、孟徳殿にも断りやすいでしょ?」

「う、うん」

実際芙蓉姫は想いを交わし、結婚の話が進んでいる。
花の世界ではまだ適齢期は数年先とはいえ、いずれ結婚を考える年にはなるのだから、この世界に残ると決めた以上、芙蓉姫の言う通りにそういったことを含めて身の振り方を考えるのは大事なのかもしれない。

「良い機会だと思って考えてみなさい。もし心が決まったら教えてね?」
「うん、ありがとう」
芙蓉姫の言葉を心に留めて頷くと、その後は彼女の惚気話に花を咲かせた。

* *

そうこうしているうちに時は流れ、花は玄徳と共に長安を訪れていた。
今年は作物が豊作で、それを祝す祭典が献帝の元で催されたのだ。
民衆も等しく楽しめるようにと市も開かれ、長安は大変な賑わいを見せていて、その様子を見た花は嬉しそうに献帝に礼を言う。

「朕はお前の言うとおり、民のことを考える皇帝であろう?」
「うん。みんな楽しそうだったよ」
「お前も楽しいか?」
「うん」
「そうか。お前が楽しいなら朕も嬉しい」

乏しい表情ながら喜んでいる様子に、献帝が誰かに操られてではなく自分で民のことを考え、この祭典を催したことを心から嬉しく思う。

しばらくは献帝の傍で宴を楽しんでいた花だったが、場が酒宴と化してきたのを機に自分の部屋へと戻ると、ふうと深く息を吐いた。
普段とは違う衣を着ていたせいかどうにも落ち着かず、結い上げられた髪も乱れては大変だと緊張していたからか、肩がこってしまっていた。
ようやく普段の服に着替えて一息つくと、コンコンと戸が叩かれた。

「花ちゃん、お邪魔するよ」
「孟徳さん? どうかしたんですか?」
「君と話そうと思ったら姿が見えないから探したよ」
「すみません。酒宴に変わったので、玄徳さんに断って退席させてもらったんです」
「ああ、君はお酒が苦手なんだっけ?」
「はい」

幼い献帝も酒宴には参加しないために花も下がったのだが、孟徳と会えたのはちょうどいい機会だと向き直ると、すみませんと頭を下げた。

「沢山の贈り物をありがとうございました」

「でも、君は一度も受け取ってくれないね。贈った品は気に入らなかった?」

「そんなことありません。どれも素敵で、目を奪われました」

「だったらどうして受け取ってくれないのかな? 君の好みじゃなかった?」

「違います。あんな高価なものを理由もなく受け取れないんです」

「俺が君に贈りたいっていうだけじゃダメなんだ?」

「……はい」
申し訳なさそうに、それでも頑として折れない花に、孟徳は微笑むとじゃあ、と一歩近づく。

「君に結婚を申し込んだら受け取ってくれる?」
「え?」
「俺は君に興味があるんだ。君は俺のこと、興味ない?」

お茶しない? ぐらいの軽いノリでの言葉に一瞬呆けるが、脳裏に芙蓉姫の話がよみがえり、あの贈り物にはやはりそうした意図があったのだと今更ながらに気がついた。

孟徳のことをどう思っているかと聞かれれば、真っ先に思い浮かぶのは「頭のいい人」である。
丞相という臣下としての最高位について、幼い献帝に変わって政治を取り仕切っていたことや戦での手腕、それに先の祝典での三君主の対決でも彼の頭の良さは見て取れた。

「ああもちろん、丞相としての俺にじゃないよ? 男として興味があるか聞いてる。まあ、君が丞相に興味があるなら簡単だけどね」

「異性として孟徳さんをどう思うか、ですよね?」

「うん」
 こんなふうに告白のようなものをされたのは初めてで、どうすればいいか戸惑っていると再び戸が叩かれ、今度は玄徳がやってきた。

「――それ以上彼女に近づくのはやめてもらいましょう」

「玄徳か。本当に邪魔なやつだな」

「大丈夫だったか? お前が出て行った後を孟徳殿が追っていったから気になって出てきたんだ」

「相変わらずの保護者面か。彼女に何かしたいのはお前の方だろう?」

「言いがかりはやめてもらおう。あなたと同じにしないでもらいたい」

「同じだ。前にも言っただろう? 自覚しているか、していないかの違いだと」

バチバチと音が聞こえてきそうなほど睨みあう二人に、花はその言い分がわかりかねて困ったように両者を見る。

「確かに玄徳さんは、お兄ちゃんがいたらこんな感じかなって思うこともありますけど、私が勝手にそんなふうに思うのは失礼だろうし……」

「兄か……いや、俺にとってもお前は目が離せないというか、とにかく気になる存在だからな。
失礼なんて思う必要はない」

「よかった。ありがとうございます」

「あ、ああ」

「墓穴を掘ったな、玄徳」
複雑そうな顔の玄徳を、にまにまと笑みを浮かべて見ると、孟徳が花の手を取る。

「ねえ、花ちゃん。俺との結婚、本気で考えてみて? 絶対君を幸せにする自信あるからさ」

「嫁入り前の娘に簡単に触れないでもらおう。――花。あんな戯言に惑わされないんだぞ」

「本当に父親の態だな」

「花は我が軍にとって大切な存在なので」

「保護者ぶるならお前も手を離すんだな」

左手を玄徳に、右手を孟徳に取られ、両者に挟まれる格好の花は、現状を意識するやかあっと顔が真っ赤に染まる。
見目麗しい二人にこうも近寄られては、さすがにこういったことに疎い花でも動揺せずにはいられなかった。

「頬が赤い。可愛いなあ」

「も、孟徳さんっ。からかわないでください!」

「からかってないよ。花ちゃんが可愛から可愛いって言っただけ」

「…………っ」

「花。孟徳殿の手管に踊らされるんじゃないぞ。こうしたことは孟徳殿の得手だからな」

「男の嫉妬ほど見苦しいものはないな」

「初心なこいつを毒牙にかける真似を見過ごせませんからね」

バチバチっと再び火花を飛び散らせる二人に、花は「あ、ああの!」と声をあげると必死にこの場から逃げる手段を模索する。

「こんなに長く席を離れていたら、きっと皆さんお二人を探してますよね? 早く戻ったほうがいいんじゃないかと……」

「そうだな……」

「今日のところは引こうかな。あんまり押しすぎても困らせちゃうからね」

結局あまりいい文句が浮かばず、無難な指摘をすると、彼女が困っていることに気づいたのだろう、二人ともが提案に乗ってくれてほっとする。
じゃあと退室を促そうとした瞬間、ぐっと手を引かれ、孟徳の指が髪を一房撫でる。

「花ちゃん、俺が言ったこと忘れないでね。俺、本気だから」

口元は相変わらず微笑みながらも瞳に宿った真剣な光に身を強張らせると、反対側からも手を引かれる。

「孟徳殿。こいつに安易に触れないでもらいたい」
「はいはい。父親がうるさいから今日はこれまでだね」

剣呑な眼差しで牽制する玄徳は花の手をしっかりと掴み、その大きな掌に自分との大きさの違いを感じて、彼を改めて男性なのだと意識する。

「俺は父親でいるつもりはありませんよ、孟徳殿」

「ついに自覚したか? まあ、お前がどう思おうと、彼女を譲るつもりはないけどな」

「花を政治目的に利用しないでもらおう」

「そんなつもりで彼女の興味があるんじゃないと言わなかったか? それに、してるのはお前の方だろう?」

バチバチとまたもや火花を散らす二人に、花は突然降りかかった恋の先行き波乱ぶりを感じて途方に暮れた。

20170824
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