蝋梅

孟花4

にゃあ。にゃあ。
今日も花の部屋から聞こえてくる猫の鳴き声に、孟徳の眉がぴくりと上がる。

木から降りられなくなっていた猫を花が助けたその日から、図々しくも彼女の部屋に居ついた猫は、あろうことか子供を産んだ後も子猫を引き連れ、共に彼女の部屋に住み着いてしまった。

孟徳にとっては邪魔以外の何物でもないのだが、怪我の経過観察中の花には、良い暇つぶしの相手になるようで、子猫を抱いては嬉しそうに可愛いですよね、と子猫以上に可愛らしく微笑まれると無理に追い出すこともできず、結局猫がいることを許してしまっていた。

 だが親猫一匹の頃は、孟徳がいる時は花にちょっかいを出してはいけないと理解していたようで、それなりに大人しくしていたのでまだ許せたが、子猫にそういった頭が回るわけもなく、もっぱら花を取られてばかりで面白くなかった。

「花ちゃん」
「あ、孟徳さん」
嬉しそうに微笑む花の膝の上には、当然のように子猫の姿。

「にゃあ」
「あ、ごめんね。はい」

子猫の催促に、花が手にした猫じゃらしを振ると、嬉しそうに戯れる姿に、孟徳ははぁとため息をつくと、彼女の隣に腰かけた。

「孟徳さん? もしかして疲れているんですか?」
「大丈夫だよ。ちょっとがっかりしただけ」
「がっかり、ですか?」
「だって、今日も君は子猫に夢中だから」

不貞腐れた様子の孟徳に花は瞳を瞬くと、また後でね、と子猫に猫じゃらしを渡して床に下ろして、孟徳に向き直った。

「お仕事は大丈夫なんですか?」
「うん。一区切りついたところなんだ」
「良かったです。お茶、いれますね」
「ちょっと待って。花ちゃんの体調がいいなら庭に出ない? お茶もそこで飲もう」
「はい」

提案に花が頷くと、孟徳は嬉しそうに彼女の手を取る。

「にゃあ」
「にゃあ」
「お前たちは留守番だ」
「にゃあー」
「にゃあー」

孟徳の言葉に不服そうに鳴く子猫に、しかしその手(?)を振り切り外に出ると、ホッと肩を撫でおろした。

「孟徳さん?」
「……やっと君を独占できた」

花の気を引くものは猫にも嫉妬する、と以前言っていたのは本当らしく、孟徳はことさらに花を抱き寄せ離さない。
けれども、いまだにこうして触れあうのは恥ずかしい花は、頬を赤らめるとほら、と庭を指さした。

「綺麗な花が咲いてますよ。なんだろう?」
「あれは蝋梅だね」
「ろうばい?」
「うん。真冬に満開の花を咲かせる数少ない花の一つだよ」
「そうなんですね」

確かに花と言えば春に咲くイメージがあり、冬にこんなに花を咲かせる木は知らなかった。

「ありがとうございます、孟徳さん。こんなに綺麗な花が咲いていることを、孟徳さんが連れ出してくれなかったら気づきませんでした」
「君に喜んでもらえたならよかったよ」

庭に出たのはただ二人きりになりたかったからだが、結果として花を喜ばせられたことに、孟徳は嬉しそうに微笑んだ。
つぼみは生薬にも使われるが、彼女には甘い芳香を放つ花ということで十分だろう。

「まるで花ちゃんみたいだよね」
「え? 蝋梅がですか?」
「うん。可愛くて、甘くて……触れたくなる」

頬に触れるとぴくんと肩を震わせて。
それでも嫌がることはなく、恥ずかしそうに目を閉じる花に、そっと唇を重ねようとした瞬間。

「にゃあ」
またしてもお邪魔虫の登場に、孟徳は思いっきり眉をしかめた。

「君たちも蝋梅の香りに誘われたの?」
「にゃあ」
「にゃあ」
「ふふ、いい香りだもんね」

優しげに子猫に話しかける花に、急降下する孟徳の機嫌。
おまけにドスドスとこちらに近づいてくる気配に、孟徳はすっかり不貞腐れた。

「――孟徳、こんなところにいたのか。早く戻ってくれ」

「今度はむさくるしい奴か」

「……。邪魔をして悪いが、急ぎの案件でな。お前がいないとどうにもならん」

「わかったよ。花ちゃん、また夜になったら会いに行くよ」

「はい」

「あ、やめた。今夜は花ちゃんが俺のところに来て?」

「え?」

「夜も猫に邪魔されるのは嫌だからね」

「わかりました」

よほど子猫に邪魔されたのが面白くなかったのだろう、孟徳の言葉に、花は素直に頷いた。
その返事に気を良くした孟徳は、じゃあまたねと微笑むと、迎えに来た元譲と共に建物の中へと消えていった。

「孟徳さん、猫は嫌いじゃないと思うんだけどな」
以前、花が医者の元に行って不在の時、猫を膝の上にのせていた孟徳は優しい顔で撫でていた。

「君たちも孟徳さんに可愛がってもらいたいよね」
「にゃあ」

ゴロゴロと気持ちよさそうに喉を鳴らす子猫に、でもこんなふうにしているのを見たらまたヤキモチやいちゃうかな、と以前猫と戯れる孟徳を見た時に感じた感情を思い出して顔を赤らめた。

「私も、孟徳さんのこと言えないかな」

猫にヤキモチなんて、と始め言われた時は思ったけれど、やっぱり孟徳に触れるのも触れられるのも自分がいい。
そんなふうに感じている自分が照れくさくて、花は誤魔化すように蝋梅に視線を移す。

「そうだ。この花、部屋に飾れないかな」

先程の様子を見る限り、孟徳も嫌いではないのだろう。
そう思い、花は立ち上がると、侍女に蝋梅を一枝欲しいと頼んだ。
自分で取れなくもないのだが、以前猫を助けようと木に上った時、孟徳をとても心配させてしまったのを思い出したのだった。

「にゃあ」
「君たちも好きなの? じゃあ、もう一枝お願いしようか?」
「にゃあにゃあ」

同意を示す子猫に花は微笑むと、やってきた兵にもう一枝お願いした。
その夜、孟徳の希望通りに彼の部屋で待っていた花は、部屋に飾った蝋梅を見つめた。

「部屋に飾ると結構香りがするんだ。ちょっと強いかな?」
庭で見た時は、ほんのりと漂っていた香りが、閉められた部屋では閉じ込めてしまうようで少し強く感じられた。

「――甘い香りだね」

「孟徳さん」

「これは昼に見た蝋梅? 風情があっていいね」

「でも、ちょっと香りがきついかもしれないです。すみません」

「……そうだね。花の香りに少し酔ったかもしれない」

孟徳の言葉に、慌てて立ち上がると抱きしめられて。
あっという間に反転した景色に、驚き彼を見上げた。

「本当に甘いか確かめたくなる……いいよね?」

艶を帯びた孟徳の瞳に、彼が何を求めているのか悟って、花は頬を染めると小さくこくりと頷いた。
花の腕に子供が抱かれる日も、そう遠くなさそうだ。
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