「ねえ、仲謀も手伝ってよ」
「なんで俺様がプール掃除なんてやらなきゃいけないんだよ!」
「仕方ないでしょ? 各部それぞれ奉仕活動するのが、この学園の決まりなんだから」
花たちが通う学園では教育の一環として奉仕活動を取り入れており、各部は近隣の美化活動や老人ホームの慰労活動などそれぞれ割り振られており、舞踏部はプール掃除を言い渡されていた。
「終わらないと練習できないんだから、公瑾さん達がいなくてもさぼらないでよ」
「チッ……公瑾のやつ、どこまで買いに行ってやがんだよ」
「仲謀がアイスの種類にこだわるからじゃない」
「当たり前だ。俺様がその辺のコンビニのアイスで満足するわけないだろ」
不貞腐れながら立ち上がった仲謀は渋々デッキブラシを持つと、乱雑にプールの壁を磨いていく。
水泳の授業が始まる前に行われるこのプール掃除は人気の奉仕活動なのだが、いいところの子息である仲謀にはそもそも奉仕活動自体が不向きで、彼の双子の妹の尚香や公瑾達も同様。
花はため息をつくと、黙々作業している早安と共に床を磨いていく。
「あ~やめだ! こんなのは使用人にやらせればいいんだよ」
「学校の教育方針なんだからそんなのダメだよ。ズルして舞踏部が廃部になったら困るんでしょ?」
「兄上。花さんの言う通りです。それに、皆でこうして掃除をするのも楽しくありませんか?
子敬がお茶の用意をしてくれてますし、頑張って終わらせましょう」
「くそっ……さっさとやって練習するぞ! コンクールが近いんだからな」
舞踏部は尚香が他の部で迷惑をかけることがないようにと仲謀が立ち上げた新しい部で、昨年大会で入賞を果たし何とか部として認められたばかりだった。
実績を出すことが部費の条件でもあるため、今年はコンクール優勝を狙っており、
そのことを指摘すると、苛ただしげにデッキブラシで掃除する仲謀に、そろそろ水で流すよーとホースに手を伸ばした――瞬間。
「―――っつ!」
「あ、ごめん! ちゃんと深くホースが入ってなかったんだね」
蛇口をひねった途端、外れたホースは蛇のようにうねり、中にたまっていた水が一気に仲謀に降りかかった。
既視感のある状況に花が慌てると、コバルトブルーの瞳が怒りに燃える。
「だね、じゃねえよ! お前……入部の時といい、今といい、わざとやってるんじゃねえだろうな?」
「そんなことしないって」
「また風邪ひいたらどう責任取るつもりなんだよ」
「だから、悪いと思ってるよ。すぐにタオルを持ってくるから――」
「それぐらいで許すかよ」
「兄上、花さんも悪気はなかったんです。許してあげてください」
「しねえ」
完全に機嫌を損ねた仲謀に、尚香が困ったように二人を見比べる様にため息をつく。
(はあ……仲謀はすぐ怒るんだから……)
確かに水をかけてしまったのは悪かったが、そもそもが以前も今回も不測の事態なのだ。
なのにあの時も強制的に舞踏部への入部を余儀なくされ、コンクールへ向けて土日祝日もなくみっちりと特訓をさせられてと、花にとっては災難だらけだった。
(まあ、今はもうそんなに嫌じゃないんだけど)
始めは渋々舞踏部へ席を置いたが、今ではその活動を楽しんでいた。
ただ事あるごとに部長である仲謀とは衝突してしまい、その度に子敬や尚香にとりなされていた。
すっかりへそを曲げた仲謀に、花はプールサイドに置いておいた自分のタオルを手に取ると、近寄り彼の髪を拭う。
「な……っ! お、お前、何やってんだよ!?」
「え? 濡らしちゃったから拭こうと思って。痛かった?」
「痛くはな……ってそうじゃねえ!」
「だったらじっとしてて。すぐ済むから」
真っ赤な顔で動揺している仲謀に理由がわからず、花は拭う手を止めない。
そんな彼女に仲謀はというと、頭に当たった柔らかな感触に激しく動揺していた。
花が彼の髪を拭おうと背伸びをしているからか、必然仲謀が前にかがむ形になり、そこに前のめりになった花の胸が当たったのだ。
そんな状態に全く気付いていない花が手を動かすたび、触れる感触に仲謀の理性が弾き飛びそうになった瞬間、あー! と甲高い少女たちの声が響き渡った。
「仲謀ずるい! 今日は水遊びじゃないって言ったくせに!」
「自分だけ遊んでるんだ!」
「遊んでねえ! こいつにぶっかけられたんだよ!」
「ふーん。でも、一度濡れたんなら何度濡れても同じだよね?」
「ねえ?」
にやりと二喬は顔を見合わると、すかさずホースへ手を伸ばす。
「―――っぶ!」
「ひゃっ!」
「きゃあ!」
姉妹によって撒かれた水はプール内にいた三人を直撃して、あっという間に水浸しになる。
「――大小! お前らなあっ!!」
「きゃあ! 仲謀が怒ったー!」
きゃっきゃと楽しそうに逃げ回る姉妹に、仲謀が苛ただしげに髪を拭う。
「尚香さん大丈夫?」
「はい。花さんこそ大丈夫ですか?」
「濡れちゃったけど、今日は天気もいいし暑かったからちょうどいいかも」
後ろからの呑気な会話に呆れたように振り返ると、花の姿を見て固まった。
水に濡れてTシャツが身体に張り付き、その下の水着のラインが生々しく目に映る。
先程の感触がフラッシュバックした瞬間、つ……と鼻から血が落ちた。
「兄上? まあ、大変! 公瑾、兄上にタオルを」
「……は。仲謀様、こちらをどうぞお使いください」
「お、おう」
どこか冷ややかな笑みを浮かべる公瑾からタオルを受け取った仲謀に、花が心配そうにのぞき込む。
「仲謀、大丈夫? 暑くてのぼせちゃった?」
「おま……っ、近寄るんじゃねえよ!」
「なんで?」
「あなたもどうぞ。暑いとはいえ真夏ではありませんから、自然乾燥など期待していても風邪をひくだけです」
「あ、ありがとうございます」
「礼には及びません。風邪をひかれて舞踏部の活動に支障をきたされては困るだけですから」
「ふぉっふぉっ。後は流すだけのようですから、わしと公瑾殿で事済むでしょう。尚香様とあなたは着替えて構いませんよ」
にべもない公瑾の物言いと、後始末を買って出てくれた子敬に、花は素直にタオルを受け取り頷くと、仲謀を振り返る。
「仲謀も着替えた方がいいよ? また風邪ひいたら心配だし」
「いえ、仲謀様はもう少し落ち着かれてからの方がいいでしょう。気にせずあなたは先に着替えてください。――その方が早く落ち着かれるでしょうからね」
「え?」
「いいえ、なんでもありません。さあ、どうぞ」
促され、尚香と共に更衣室へと消えていった花に、仲謀の昂ぶりが収まるまではもう少しの時間が必要だった。
2017/07/23