お風呂を済ませた芽衣は、火照った身体を冷まそうとサンルームに立ち寄った。
鴎外は自室で執筆、フミは通いのため夜には家へ帰ってしまうために人陰はなく、すでに定位置となりつつある場所へと腰を下ろすと、注いできた水を口に運ぶ。
この時代はまだ個人で風呂を所有するものは少なく、大体は銭湯か行水だと聞いた時にはかなり衝撃だった。
けれども幸いなことに鴎外の屋敷には風呂があり、家主は拘りから行水を好むため、芽衣ともう一人の同居人である春草の為に沸かされていた。
「春草さんはもう入ったのかな?」
鍵があるために風呂場で鉢合わせることがないので、空いている時に入っているのだが、現代とは違って自動で保温などと便利な機能はないため、時間がたてば湯がぬるくなってしまう。
もしも芽衣が使っている時に来て使用中だと気づき引き返したのなら、空いたと伝えるべきだろうかと考えるとそれがいい気がして、立ち上がると湯呑みを片して春草の部屋に向かった。
コンコンとノックすると「はい」と在室を告げる声に、「芽衣です。入ってもいいですか?」とドア越しに声をかけた。
少しの間の後に開けられたドアに、一瞬目を見開いた春草に手を引かれてあっという間に室内に引き込まれた。
「……君、どういうつもり?」
「?」
「だから、湯上がりでこんな夜更けに男の部屋を訪れるのはどういうつもりかって聞いているんだけど」
「どういうつもりって、ただお風呂が空いたので春草さんがまだならどうぞって伝えようと……」
そう思っただけだと、続けるつもりだった言葉は、重ねられた唇に音に出来なかった。
「……ん、春草、さん?」
「君って大胆なのか小心者なのか本当にわからないよね。……前に言っただろ? 不用意に男の部屋に立ち入るなって」
立ち入るなとは言われてないと思うも、口づけは話の合間を縫うように続いて、唇を舐める春草の舌にくらりと目眩がする。
恥ずかしいのに気持ちがよくて、止めてほしくなくて思わず彼の胸元を手繰ってしまうと、それに呼応するように深く食まれて濃厚な口づけに息が出来なくなる。
「は……そんな姿でそんな顔をされたら止まらなくなるんだけど、いいの?」
こぼれた吐息さえも色っぽくて、彼の色香に目眩を覚えていると耳元で囁かれて腰が砕ける。
その様に微笑みながら支えていた腕がさらに芽衣を引き寄せて、再び降り落ちた唇が甘い困惑に誘い続けるが、必死に理性を取り戻すと「お風呂! 冷めちゃいますから!」と春草の胸を押す。
「それなら一緒に入る?」
「は?……ええっ!?」
「ふ、冗談だよ。それとも本当に入る?」
「い、いえ! 春草さんお一人でどうぞ!」
からかわれてるのだとわかっていても顔が赤くなるのを止められなくて、ブンブンと大袈裟なぐらいに首を振るとフッと微笑まれて拘束が解かれる。
「俺が戻るまで待っていてもいいけど、朝まで君の部屋には帰せなくなるよ」
「っ!?」
「……それでも待っている?」
問いかけに再度ブンブンと勢いよく首を振ると、おやすみなさいと逃げるように彼の部屋から飛び出て隣室の自分の部屋に駆け込んだ。
「うう……なんか色々ズルすぎるよ……」
綺麗すぎて、いまだにどうして彼が自分を好きになってくれたのかわからないぐらいなのに、あんな色香にあてられたら敵うわけがない。
もしもあのまま彼の部屋に残っていたらどうなるのか、そんなことを考える余裕もなく、芽衣は再度のぼせた頭を冷ますようにベッドにうつ伏せた。
「石鹸の香りを纏って、頬を染めて夜更けに恋人の部屋を安易に訪れておきながら、一切色めいた意図がないなんてさ」
ズルすぎるのは君の方だと、春草こそが抗議したいとため息をこぼすと、手拭いとタオルを用意して風呂へ歩いていくのだった。
20190501