芽衣のテスト期間でしばらく会えなかったために、久しぶりのデートを昨夜から楽しみにしていたから、会えなかった時間を埋めるように充実した一日は本当に幸せで、なのに突然の雨がその時間を遮った。
幸いにも桃介さんの家の近くだったのでお邪魔させてもらうと、お風呂を沸かしにいった彼から手渡されたタオルで髪を拭う。
今日は一日晴れだと言っていた朝の天気予報が恨めしく、今日のためにおろした新しいワンピースはすっかり水浸しで、念入りにセットした髪も頬に張りついていた。
「濡れた服は乾燥機にかけますので、とりあえずは私の物を使ってください」
「ありがとうございます」
「お風呂もすぐに沸きますから、お先にどうぞ」
「でも、桃介さんも濡れてますし、風邪をひいてしまったら困ります」
「では一緒に入りますか?」
「!!」
「フッ、そういうわけにもいかないでしょう? なので気にせずお先に。私もすぐに着替えますから大丈夫ですよ」
そう言われては頷かないわけにもいかず、すみませんとお礼を述べると浴室へと逃げ込んだ。
シャワーをひねると雨で冷えていた身体がゆっくりと温まって、ふと鏡に映った自分に不思議な心地がする。
桃介さんの部屋は何度と訪れていたが、こうして浴室を使う機会などもちろんなく、スポンジに染み込んでいくボディソープは普段彼から薫るチョコレートの香りに埋もれてるもので、何だかくすぐったい。
あまりのんびりしていては彼に風邪をひかせてしまうから、少し湯槽で暖まって上がると、着替えた彼がリビングで出迎えてくれた。
「お風呂ありがとうございました。桃介さんも入ってきてください」
「ええ。ですがその前に……」
肩にかけていたタオルを取ると、髪を拭う手に慌てて彼を見る。
「桃介さん?」
「まだ濡れていますよ。私に気を遣って早々に出てきたのでしょう? これでは湯冷めします」
「あ、あの、自分でやりますから……」
「遠慮は不要です。髪が長いので私がやる方が効率的ですよ」
柔らかくタオルドライしていく手つきは優しく、けれども目の前の彼の髪も濡れているから気になってしまう。
「あの、もう大丈夫ですから。だから早く桃介さんもお風呂に入ってください」
「雨は明け方まで止まないようです。今日は泊まっていきませんか?」
「え……?」
髪を拭っていた手が止まり、聞こえた呟きに顔を上げると、艶めいた表情にどくりと鼓動が跳ね上がる。
ヤカンの蒸気の音だけが聞こえる室内で身動ぎも目もそらせずに見つめていると、フッと薄い唇が弧を描いて「冗談です」との呟きに身体の強張りがほろりと解ける。
「貴女のご両親のご不興を買うのは得策ではありませんからね。服が乾いたら送ります。では私も入ってきますね」
「は、はい」
あっさりと浴室へ消えていった桃介さんに、ほぅと詰めていた息を吐く。
鼓動はまだドクドクと早鐘を刻んでいて、頬も熱を帯びてくる。
(泊まる……って、え、えええ~!?)
停止していた思考が遅ればせで目まぐるしく動き出して、脳内は先程の桃介さんを勝手に再生する。
ここは神楽坂ではないし、客とのやり取りなどでは当然なく、あれは芽衣に向けられた言葉なのだと思うと、思い出される艶めいた表情が鼓動を暴れさせる。
桃介さんと恋人同士になって月日がたったが、芽衣が学生だということもあって、その関係はいまだ清らかなものだった。
(でも桃介さんは大人だし、もしかして我慢させてるのかな……)
男女交際がただデートして、時々キスするだけなんてもちろん思わなかったが、それでもまだその先は自分には早すぎる気がして、つい考えることを放棄していた。
これは泊まっていった方がいいのだろうか、でも……と悩んでいると紅茶が目の前に置かれて、びくんと肩を跳ねさせる。
「芽衣さん? すみません、驚かせてしまいましたか?」
「い、いえ! 紅茶ありがとうございます! いただきます! ……ッツ!」
「! 火傷したんですか?」
隣に腰かけた桃介さんは私の紅茶をテーブルに戻すと、覗きこんで舌を見る。
「今、氷を持ってきます」
手早く処置に移る桃介さんに、一人動揺しているのが恥ずかしくて俯くと、すぐに彼が戻ってきた。
「これを溶けるまで舐めていてください。少しお湯が熱すぎたんですね、すみませんでした」
氷の入った小皿を差し出されるも、恥ずかしくて顔を上げられずにいると沈黙が流れて。
「――芽衣さん」
名を呼ぶのと同時に頬に手を添えられて、目の前に迫った顔に驚く間もなく口を塞がれて、コロンと口内が冷たくなる。
「ん……」
「そんな無防備な姿でそんな顔を見せてはダメですよ。貴女が成人するまで待てなくなる」
僅かな隙間は呟きの後にすぐに詰められて、痛みも冷たさもわからなくなってしまう。
雨が周囲の音を吸い込む中で、氷が溶けてなくなるまで口づけは続いた。
20190930