君を、愛するから、共に

桃芽1

音二郎さんの紹介でただの手伝いとして、イレギュラーに置屋に身を置いていた私は、通常のように正式に籍を置いた形ではなかったことから本来は身請けの必要はなかったのだが、桃介さんはきちんと女将さんに十分過ぎる代金を渡して身請けの手順を踏んでくれた。

「桃介さん、すみません……」
「何を謝るんです? 私があなたに側にいてほしいと望んだのですから、筋を通すのは当然のことです」

そう言って一切の責を求めない桃介さんに、せめて少しでも役に立てたらと家事を手伝うことを思いつくが、彼の家には元々通いの女中さんがいて、さらに私がお世話になるようになってからは使用人も雇われ掃除も料理もする必要がなく。
せめてもと桃介さんの紅茶をいれさせてもらうが、それさえもティーバッグという現代便利アイテムでしか淹れたことのなかった私には満足に出来ず、葉の苦味を存分に出したとても美味しいとは言えない代物になってしまった。

(私、桃介さんに迷惑しかかけてないんじゃないかな……)

もしかしなくてもそうだと、誰に言われることなく実感して落ち込んで、これならいっそのこと、置屋で働き続けていた方が良かったのではと考えていると、ダメですよと空色の瞳が私を映す。

「あなたが側にいてくださるだけで私は十分なんです。だからどうか置屋に戻ろうなどと考えないでください」

「でも……」

「音二郎くんも言っていたように、私は大層嫉妬深いようです。それもあなたと出会ってわかったことですが」

妬いていると好きな人に言われて嬉しくない女はいないだろう。
それでも、ただ居候している現状はやはり心苦しく思っていると、お茶請けに用意してあったチョコレートをいつもの勢いで消化しながら思案していた桃介さんに、それでは洋品店へ行きましょうと言われて目を丸くする。

「あなたの意見もお聞きしたかったのでちょうどいい。実際見てもらう方が効率的でもある」
「あの、なんのことですか?」
「明日行けばわかりますよ」

今教えてくれる気はないらしいと悟って素直に引くと、自分の中で問答する。

(洋品店……桃介さんの服を選んで欲しいのかな?)

家で寛いでいるときなどは着物を纏っているが、仕事の時にはスーツを着ているのでそう予想したのだが、翌日洋品店を訪れた私は突然の採寸の嵐に目を白黒させた。
女性の店員さんしか目の前にいない現状では、この状況を説明してもらうことさえ出来なくて、大人しくされるがままになっていると、採寸を終えた店員さんに促されて襦袢姿から着物を着付けて彼のもとへと歩いていく。

「岩崎様、採寸が終了しました」
「ありがとう。では彼女にデザイン画と生地の見本を」
「かしこまりました」

店員さんは恭しく頷き店の奥へ引っ込むと、手に色々と品を抱えて戻ってきた。

「まずはこちらがデザインの候補になります。英国の定番がこちら、最新のデザインがこちらです」
「はい?」

突然広げられた絵図にわけがわからず桃介さんを見ると、好みの物はありませんかと尋ねられる。

「あの、これはなんのデザインなんでしょう?」
「もちろんあなたの花嫁衣装のです」
「…………は?」

紡がれた言葉に理解が及ばず、かなり間の抜けた返事が口をつく。花嫁衣装。デザイン。
完全にフリーズしていると、こちらもあなたに似合いそうですよと絵図を見せられ、呆然とそれを覗きこんだ。

「ドレスですよね?」
「ええ。和装がお好みでしたらそちらも用意しましょう」
「いえ、そうじゃなくてですね……」

ドレスか和装か以前になぜ花嫁衣装なのか混乱していると、一度出直した方がいいようですねと桃介さんが立ち上がり、店員さんといくつかやり取りをしてから彼の運転で築地の自宅へ帰る。
一連の慌ただしさに流されていたが、目の前に紅茶が並んだところでようやく桃介さんに疑問を投げかけた。

「花嫁衣装って私のですか?」
「もちろん、私があなた以外のものを用意するわけがありませんよ」

でも、とあまりにも唐突な展開に口ごもると、紅茶を一口含んだ桃介さんがまっすぐにこちらを見る。

「どうやらあなたにきちんと伝わっていなかったようですね」
「はあ」
「以前、あなたに側にいてくださいとお願いして、あなたもそれを了承して下さったと記憶してますが」

桃介さんの言葉に思い返して、あ!と思わず大きな声をあげてしまう。
それはこの世界に戻って桃介さんと再会した時に交わした会話だった。

「あのすみません、あれがプロポーズだと私、全然思っていなくて……」

「それでは改めて私の花嫁になっていただけませんか? あなたにずっと側にいて欲しいんです」

ストレートなプロポーズに、嬉しさよりも驚きの方が勝ってしまい、とっさに声が出てこない。
そんな私に誤解したのか、桃介さんの顔が曇る。

「一生を決める決断にあなたが戸惑うのも無理はありません。でも、もう私はあなたを手放すことは出来ません。だからどうか芽衣さん、この手を取っていただけませんか?」

差し出された手に躊躇ってしまうのは「結婚」という単語があまりにも現実味がなかったから。
現代ではまだ高校生である私には想像したこともなかった。それでも。

(桃介さんの側にいたい)

それはこの世界に戻って来る前からずっと抱いている思い。
すべてを思い出して、現代に帰って、それを悔やむぐらい彼のことが好きだった。
だから顔を上げると桃介さんを見つめて、今思っていることを素直に伝える。

「正直、結婚するということが私にはまだわからなくて……でも、桃介さんの側にずっといたいと思っています」

「あなたが戸惑うのは当然です。強引に話を進めてなし崩しに了承させてしまえばいい……そんなずるいことを私は考えていたのだから」

「桃介さん……」

「それでも、あなたに側にいて欲しいと願う気持ちは本当です。芽衣さん、私はあなたを愛してます」

自分をずるい男だと明かしながら、乞う瞳は切実な光を宿していて、愛しているという言葉が真実であることを私に告げるから。
躊躇いで取れずにいた手に重ねると、頷き私もあなたが好きですと告げる。

「私を桃介さんのお嫁さんにしてもらえますか? あ、家事は得意ではないので頑張って覚えます。紅茶も桃介さんのように美味しく淹れられるように頑張りますから!」

焦って付け加えればそんなことは必要ありませんよと囁かれて、桃介さんが重ねた手をしっかりと握る。

「家事は使用人がやるので問題ありません。あなたはただ私の側にいてくださるだけでいいんです」

「でも……」

「それでもあなたが気になさるなら、どうかあなたの時間すべてを私にください」

「私の時間を桃介さんに、ですか?」

「ええ。あなたが側にいてくれるなら、私は道を見失わずに歩き続けていける。夢物語などと笑うことなく、私の夢を夢ではないと言ってくださるあなたとなら」

現代では当たり前に存在している電気は、この明治ではまだまだ一般家庭に浸透してはいなくて、不可思議な妖術扱いされている。
桃介さんの話を夢物語と揶揄する場面を、以前座敷で実際目にしたこともあり、彼はこれからもそんな人々の好奇の目にさらされながらもきっと自身の信念を揺るがせることはないのだろう。
それでも、彼がそれらに何も感じず揺らがない強い人ではないことを知っているから。
傷つきもするし、落ち込みもする。それでも諦めずに突き進むこの人を支えたいと強く願うから。

「すべてあげます。だからあなたの苦しみも哀しみも私に分けてください」

あなたの一番の理解者でいたいからと、そう続けようとしたが深い口づけに塞がれてその言葉は彼の口内に掻き消される。
隙間なく重ねられて、こぼれる吐息さえ全て奪われて。 向けられる熱情に、ただすがることしかできない。
いつもは冷静な人なのに、キスの時だけ違うなんてずるいと思うのに、抱き寄せる腕を払うことは出来なくて、体が熱い。

(……ん? 熱い?)

ふと感じた違和感に身動ぐと、わずかに拘束が緩んで潤んだ空色の瞳が向けられた。

「芽衣さん?」

問いかける顔も心無し紅潮しているような……そんな違和感に額に手を置くと、伝わる熱さに慌てた。

「桃介さん、熱がありますよ!」
「熱? ああ、そういえば少し体が怠く感じますが、きっと寝不足のせいでしょう」

無頓着な答えに慌てて腕を引くと、彼の寝室へと連れていく。

「今、手拭いと桶を用意してくるので、桃介さんはベッドに横になっていてください!」

どこかぼんやりとしている彼をベッドに促し、必要な用具を取りに行こうとするが、手首を掴まれ振り返る。

「……ここにいてください」
「大丈夫です。桶を取ってくるだけですから、すぐ戻ってきます」

病気になると気が弱くなるが、普段の桃介さんには見られないそんな一面に、安心させるように柔らかく諭す。

「ジャケットは脱いだ方がいいですよね」
「あなたが脱がせてくれるんですか?」
「……っ、それは自分でお願いします」

揶揄する響きに頬を染めると、逃げるように部屋を出て、扉の向こうで吐息をこぼす。
病で潤んだ瞳は普段の何倍も色気を増していて、色々心臓に悪すぎた。

「早く桶と手拭いを持ってこなきゃ」

雑念を振り払うと、手早く目的のものを揃えて寝室に戻る。
ちゃんとベッドに横たわってくれている桃介さんに安心して側に寄ると、手拭いを絞ってその額に置く。

「ありがとうございます。……こんな姿をあなたに見せるなんて情けないですね」

「桃介さんは少し頑張りすぎだと思います。だからたまにはゆっくり休んでください」

「……ここにいてくれますか?」

「はい。だから眠ってください」

布団の隙間から伸びた手に指を絡めると、和らいだ表情に微笑んで、伏せられた瞳にホッとする。側にいることで彼が安らぐのなら。

「ここにいますから。だから元気になってくださいね」

→7話へ
Index Menu Next→