陽だまりの記憶

平千11

新選組を離れ、雪村の里へ辿りついて、千鶴と平助は二人きりの生活を始めた。
今までずっと身を置いていた戦いの日々が夢のように、穏やかにゆっくりと流れていく時間。
ただお互いを見つめ、笑い、幸せを噛みしめる。
そんな二人に訪れた賑やかな変化――。


「お、おい、千鶴! おむつってどこだ?!」
庭で洗濯物を干していると、慌てた夫の声にくすりと笑む。

「おむつは箪笥の左下だよ。今、用意するね」

残った洗濯物を籠に残して居間に向かうと、泣く息子を前に四苦八苦している平助の隣りに腰かけ、濡れたおむつを新しいものへ替えていく。 お尻が綺麗になって満足したのか、機嫌を直した我が子を抱きあげると、平助がはあ~と安堵の息を吐いた。

「さっきまで笑ってたのに、いきなり火がついたように泣きだしてよ。あ~焦った……」

「ふふ、おむつが濡れたから替えてほしいって
訴えてたんだよ」

「それにしても、赤ん坊ってほんと大きな声で泣くよな。……ま、元気な証拠だな」

にやりと笑んで千鶴の手から受け取ると、きゃっきゃと無邪気に笑う赤子に平助が柔らかく目を細める。

息子が生まれたばかりの頃は、どう世話をすればいいかわからず戸惑っていた平助。
それでもわからないなりに千鶴を助けようと、
何かと手を貸してくれた。
家事で忙しい時には代わりに抱いてあやしてくれ、腹を空かしているわけでなく寝ぐずった時は、そっと外へ連れ出し子守唄を唄う。
そんな平助の夫として、父親としての新たな優しさを知って、千鶴はますます彼を好きだと強く思う。

「ん? こいつ、眠いのか?」

ついさっきまで平助の腕の中で笑っていた息子がうつら、うつらとしている様子に、ゆるりと揺らして眠りへ誘う。
そうして眠ったのを確認して布団におろした平助に、千鶴は笑みを浮かべた。

「平助君、寝かしつけるの上手になったね」
「そうか? まあ、毎日一緒にいるからな」
「ありがとう。お茶淹れてくるね」
「千鶴」
感謝を込めてお茶を入れようと腰を上げると手招かれて、千鶴は素直に隣りに戻る。

「なに? 平助君」

「お前、朝からずっと動きっぱなしだろ。お茶は後でいいから、ちょっと休もうぜ」

「大丈夫だよ。あの子は平助君が見ていてくれたし……」

「俺がお前と一緒にいたいんだよ。……ダメか?」

じっと見つめられると、とたんに頬が赤くなり、千鶴はふるりと首を振った。

平助と夫婦になり、子を成して。
穏やかな日々に新たな彩が加えられた。
幸福が新たな幸福を生む……そんな愛しい日々に、晴れやかな空を仰ぎ見る。
一時は月の下でしか過ごせなかった平助も、この地の清らかな水のおかげで、羅刹になる前のように陽の元で過ごせるようになった。
朝日が昇ると起きて、陽が沈む頃に共に眠る。
そんな当たり前の生活を一緒に過ごせることが嬉しくて、そっと平助の肩に寄りかかる。

「千鶴?」
「……陽射しがあたたかくて気持ちいいね」
「……ああ」
千鶴が感じていることが伝わっているのだろう、平助は同じように微笑むと指を絡めた。

「……俺さ。こんなふうに生きられるなんて、羅刹になる前も……なった後は余計に考えてもみなかった」

この国のために戦って死ぬ――それが武士だと思っていた。
羅刹となり人間でなくなってからは、自分は戦うためだけに存在しているのだと、戦うこと自体が生きる意味なのだと、そう思っていた平助に、人間じゃなくなっても出来ることはあるのだと――戦って死ぬのではなく共に生きたい、そう千鶴は思わせてくれた。

「父親になれたのも時々夢を見てるんじゃないかって、そう思う時がある。……でも、夢じゃないんだよな」
「平助君……」
「ありがとう、千鶴。俺を幸せにしてくれて」

心から幸せなのだと、そう伝えてくれる平助に、千鶴は涙をこぼすと同じく感謝を伝える。

「私こそ、ありがとう……。平助君が生きててくれて……私の傍にいてくれて本当に嬉しいの」

千鶴のために命を投げ出し、羅刹になった平助。
人間じゃなくなった自分に苦しみ、それでも千鶴を責めることなく、最後には彼女を選んでくれた。

「……愛してるよ、千鶴」

愛しげに抱き寄せる腕に、伝わるぬくもりに幸福を感じる。
大好きなぬくもりに包まれていた千鶴は、不意に聞こえてきた鳴き声に平助を見た。
同じく我が子の目覚めに気づいた平助は、その瞳に父親の温かみを浮かべると、立ち上がって手を差し出す。

「夫婦の時間はまた後でだな。行こう、千鶴」
「うん」
愛しい人と過ごす幸福な日々。
それがこれからも続いていくように願いながら、千鶴はその手を取った。


* ……四年後 *

「陽助、下りてきなさい」

自分の背丈よりもはるかに高い木に上る息子を、千鶴は不安気に見上げる。
掃除を終えてふと庭を見ると、木上りをしている息子に気がついた。

やんちゃで、外を元気に駆け回る息子が擦り傷をこしらえるのは毎日のこと。
男の子だから元気であることは望ましいが、幼い故の無謀さで千鶴が心配することも多く、万が一にも落ちたら危ないと、余計に声をかけすぎることもできない。
と、小さい手が何かを掴んだ瞬間、その身体がよろめいて、慌てた千鶴が身を乗り出すより早く、横から伸びた手がしっかりと抱きとめた。

「こーら、母様を心配させたらダメだろ」
「……ごめんなさい。これを母様にあげようと思って」

平助に叱られた息子が差し出したのは、早咲きの桜。
膨らみ始めた蕾の中に、一輪咲いていたのを見つけた陽助は、桜が大好きな母のためにその花を得ようと木に上ったのだとわかり、平助は微笑んだ。

「母様のために頑張ったんだな。けど、お前が怪我をしたら母様はすごく悲しむんだ。だから、危ない真似はするなよ?」
「うん!」

ぐりぐりと頭を撫でられ嬉しそうに笑う息子に、千鶴はその手から桜を受け取ると、ありがとうと微笑んだ。

新たな命を授かり、子の成長を見守る毎日。
2人きりの穏やかで、ゆっくりと流れる時間も愛しかったが、息子と3人で過ごす日々もまたかけがえのない時間だった。

「千鶴、薪割り終わったから、他にも何かあるなら手伝うぞ?」
「ありがとう。大丈夫だよ」
「それならあいつと遊んでやるか」

庭で蝶を追いかけていた息子を抱きあげると、大喜びする陽助を見つめる平助の瞳は優しく、千鶴は幸福を噛みしめる。

いつか終わりはやってくるのだと、いつもどこかで思っていた。
命を燃やし、最後は灰となって消えていく……そんな羅刹の身は永遠を誓うには時間が限られていたから、せいいっぱい生きるのだと、2人は心に決めていた。
そんな2人にさした光明――それが陽助の存在。
幸福は新たな幸福を生み出すのだと、子を授かり、千鶴は知った。
子供の成長は目まぐるしく、時に焦り、惑うこともあったけれど、いつも平助が傍で支えてくれた。 だから千鶴はいつも幸福だった。

「千鶴もいくぞ」
空いた手を差し伸べ誘う平助と、自分を呼ぶ息子の声に顔をほころばせて、うんと頷きその手を取った。
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