この場所より永遠に

平千12

「江戸に行くか」
突然そんなことを言い出した平助に千鶴は驚いたが、頻繁に訪れる父の身体を気遣ってと言われれば首を縦に振るしかなく。

「……平助君、体調は大丈夫?」

「心配するなって。もうずっと陽にあたっても問題なくなってたろ?」

「そうだけど……」

それは雪村の里の水が少しずつ変若水を薄めたからか、それとも平助の命の灯が消えかけている故か。
浮かんだ考えに無理矢理蓋をすると、「調子が悪くなったらすぐに言ってね?」と念をおして実家を目指す。
出迎えてくれた父は千鶴たちの来訪を喜んでくれて、不思議そうに診療所内の器具を指さす息子に優しく教えてやる姿を微笑ましく見つめ平助を振り返ると、その眼差しに宿る光に息をのむ。

「平助君……?」
「ん? どうした?」

普段通りの懐っこい表情に、けれども千鶴は見てしまったから。
――切なさと悲しみを宿したその瞳は、何度となく見たことがあったから。
父と夕餉を共にしてから宿に戻り、息子を寝かしつけると、千鶴は平助に向き合った。

「教えて。どうして急に江戸に来ようと思ったの?」

「なんだよ、この前言っただろ? 鋼道さんも年だし、あんな山奥に何度も……」

「本当のことを教えて欲しいの」

言葉を遮る千鶴の真剣な様子に、平助は口をつぐむと視線を泳がせ――嘆息した。

「……ここなら鋼道さんもいるし、俺がいなくなった後も安心して暮らせるだろ?
陽助はほとんど人と関わったことがないし、なるべく早く『普通』の暮らしに馴染ませてやりたかった」

「…………っ」

千鶴が感じた――それ以上の思いを秘めていた平助に、ほろりと涙が頬を伝う。

「千鶴……」

「平助君が私たちを思ってくれているのはわかるの。でも……私たちはずっと普通の家族だったよ? だからそんなふうに自分を追い込まないで……」

羅刹となった平助の命の灯火はいつ消えてしまうかもしれないということはわかっていた。
それを恐れないわけではないけれど、それでも少しでも長く一緒にいたい、幸せに暮らしたいと、そう思っていた。
だから、自分の幸せを二の次にして千鶴たちの幸せを願う平助の思いが悲しくて……苦しくて、後から後から涙が溢れてこぼれ落ちる。

「平助君と幸せになりたい。平助君を犠牲にした幸せなんていらないよ……っ」

胸の痛みに顔を覆うとした瞬間、引き寄せられて平助が強く千鶴を掻き抱く。

「……っ、俺だって叶うならずっとお前とあいつを見守りたい。でもそれは……出来ねえから……」

ごめん、そう悲しそうに呟く平助の胸に縋りながら謝らないでと首を振る。
優しい優しい……残酷な願い。
雪村の里の地の効果は誰より平助が知っているというのに、あえてそこから離れて江戸を選んだのは千鶴たちへの思い故。
残される千鶴たちと、縮まってしまうだろう平助の生きられる時間。
それは秤にかけられるものではないのに、平助は自分を犠牲にして千鶴たちの幸せを願ってしまう。

「私が守るから……平助君がいなくなっても、
ちゃんと陽助を育てていく。だからお願い、私から平助君を奪わないで……っ」

残される自分を案じて身を削るなら、平助が安心して逝けるように強く生きるから。
そう決意を告げると、平助の顔がくしゃりと歪んで、眦に堪えきれない涙が浮かぶ。

「お前って頑固だよな。俺の決意台無しじゃん……ったく」

「母は強しって言うでしょ? 私は二人のためならいくらでも強くなれるよ」

「はは……カッコいいな。……お前を好きになって良かった」

薄れた悲しみの色を拭うように身を寄せ合うと、互いのぬくもりに目を閉じる。
とくん、とくんと伝わる命の鼓動が生きようと伝えてくれるから。

「私、平助君が好きだよ。だから帰ろう?
もっとあなたと一緒にいたい――」

思いを伝えて唇を寄せると、照れくさそうに笑った平助がお返しのように軽く触れて、重なる想いが切なさを愛しさで塗り替える。

「ああ……俺たちの家に帰ろう」
笑みが浮かんだ平助の顔に、千鶴は巣食う不安を忘れるぐらい幸せな想い出を積み重ねたいと願った。

2018.8.13
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