君でいっぱいいっぱい

斎千3

「――千鶴」
「はい?」
呼びかけに振り返ると、斎藤の前へと腰かけた。

「なんですか。斎藤さん?」
「お前はいつまでその恰好でいるつもりだ?」
斎藤が指摘しているのは、千鶴の着物。
謹慎がすみ、会津公に乞われて斗南へ移り住んだ後も、相変わらず千鶴は袴をはいていた。

「謹慎中は女を連れ込むなど許されぬ故、以前のままにさせていたが、今はもう女と知れても何の問題もないはずだ」

「そ、そうですね。なんだか何年もこの姿だったので、つい着てしまってました」

「いや……それを強いてきたのは俺達だ」

屯所内に女を置くわけにはいかず、しかし秘密を知られた彼女を開放するわけにもいかず、やむをえずとった方法が男装をさせることだったのである。

「確か江戸から持ってきた着物があったな?」
「はい」
「今、着てはもらえないだろうか」
「今、ですか?」
「ああ」

斎藤の急な頼みに、千鶴は驚きつつも行李から女物の着物を取り出した。
長くしまわれたままだったが、江戸から持ってくる際に陰干しをしておいたので、すぐに纏える状態だった。

「あ、あの……」

小声の呼びかけに振り返った斎藤は、目を見開いた。
薄紅の着物に、片横で結ばれた髪。
頬を染めて恥じらう姿は、斎藤の知る千鶴の姿ではなかった。

「変、ですか?」
「い、いや…そんなことはない」

呆然とみつめる斎藤に、久しぶりに男装を解いた千鶴は不安げに顔を曇らせた。
本来の姿に戻っただけなのだが、あまりにも長く男装をしていたため、千鶴本人でさえ女物の着物を纏うことは妙に気恥ずかしかったのである。

「や、やっぱり着替えますね」
「……待て!」
踵を返そうとした千鶴は、掴まれた腕と斎藤を呆然と見つめた。

「斎藤さん?」
「……着替える必要はない」
「でも……」

ちらりと見ると、斎藤の目は微妙にそれていた。
そういえば以前、島原で芸者の格好をした時にも、斎藤はこうして目をそらしていたことをふいに思い出した。

「どうして目をそらしているのですか?」
「っ……! そ、それは……」

問いに狼狽する斎藤に、千鶴は不思議そうに首を傾げた。
始めは女装が似合わないからかと思ったが、どうも違うらしい。
だが、それならばどうして目を合わせてくれないのだろう?

「……よく似合っている」
「……え?」
「だ、だから、女の着物がよく似合っていると言ったのだ」

思いがけない褒め言葉に呆然としていると、間を誤解した斎藤が慌てて取り繕い始めた。

「い、いや、女なのだから当然なのだが……」
「斎藤さん」
「い、いや。俺は女だからというのではなく、その、お、お前だから……」
「……嬉しいです」
ふわりと微笑んだ千鶴に、斎藤の顔はますます赤くなる。

「……所用を思い出した。すぐに帰る」
「え? 斎藤さん?」
慌てる千鶴の声を背に、足早に家を出る。
どくどくと、早鐘を打つ鼓動。
自分で言いだしたことなのに動揺を隠せず、斎藤は落ち着くまで黙々と歩き続けたのだった。



-その後-

「お帰りなさい、斎藤さん。お豆腐を買いに行かれたんですね」
「あ、ああ。久しぶりに食べたくなってな」

所用と行ったからには手ぶらで帰るわけにもいかず、好物である豆腐を買って帰った斎藤に、千鶴は笑顔で豆腐を受け取ると、その日の食卓に添えたのだった。
二人の関係が進むのは、もう少し後のこと――。
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