名前というものに、斎藤は特に思い入れはなかった。
必要とあらば改名もし、隊務で偽名を使うこともあった。
しかし今もし改名を命じられても、自分は頷くことが出来るだろうか?
一さん、と自分を呼ぶ声。
いつまでも聞いていたいと思うその声が愛しくて。
彼女の想いが宿る響きがこの上もなく幸せなのだと、そう知ってしまった今では――?
「一さん?」
小首を傾げ、見つめる千鶴に、視線を移す。
「何かお仕事先でありましたか?」
「いや、他愛のないことを考えていただけだ」
「他愛のないこと、ですか?」
それは? と問う瞳に、斎藤はどう話せば良いかと思案する。
千鶴が自分を呼ぶ声。
それがこんなにも愛しいのだと。
「千鶴」
「はい」
「名を、呼んでくれぬか?」
「名前、ですか?」
「ああ」
斎藤の唐突な願いに、しかし千鶴は微笑み叶える。
「一さん」
胸に響く柔らかな声。
「一さん」
心地良く響く、愛しい声。
「一さん。……大好きです」
「…………!」
思いがけない囁きに、気がつくと腕の中へと囲っていた。
お前の声が、俺の名を呼ぶ。
それがこんなにも嬉しくて―――愛しい。
「千鶴……」
「一さん」
互いの名前を呼び合って。
愛しさが溢れて胸を満たす。
ただ一人、お前が呼ぶ名はこんなにも甘く、心に響く。
何度でも、何度でも。
どうか名を呼んで欲しいと、そう強く思った。