たとえ別つ時がやってきても

沖千9

「げほっ、げほっ、……はぁっ……はぁっ」
咳きこんで、布に滲んだ血に顔を歪める。

「はぁ……千鶴ちゃんが留守の時で良かったな……」

彼女が自分の身体をひどく気にかけていることを知っていたので、なるべく彼女の前では咳をしないよう気をつけていた。
変若水は病に侵された身体を動かす力はくれたけれど、病そのものを祓ってはくれなかった。

「世の中ほんと、ままならないよね」

近藤のために剣を振るい、死にたい――そう思っていたのに、一人療養で新選組から離れていた沖田は何よりも大切な近藤が新政府軍に捕まったことを、処刑間近に知った。
あの時胸の中に千鶴が住み着いていなければ、今も自分が生きていることはなかっただろう。

身体を起こして部屋を出ると、縁側に腰かけ空を見上げる。
変若水の効果を薄めるというこの地の澄んだ空気は、労咳にも良い効果をもたらし、咳をする回数も格段に減っていた。
とはいっても病そのものが消えたわけではなく、こうして時々思い出したかのように吐血を繰り返していた。

「少しでも長く、あの子の傍にいたいんだけどな」

気丈で、泣き虫で、強くて弱い、愛しい少女。
今まではただ、近藤の役に立ちたいと、その場を切り抜けることしか考えなかった沖田に、千鶴は共に生きる未来を見据えさせた。
自分の力で叶えられることならば、どんなことをしても叶えただろう。
だが病だけはどうすることも出来ないのだ。
ままならない現実に、それでも沖田は絶望はしていなかった。

ただ、こうして二人で暮らし始めてからずっと迷っていた。
彼女を手放せない。
それは絶対で。
だけど、共に在ることでさらに傷つけるのは嫌で。
絶えず沖田の中では二つの思いがせめぎあっていた。
自分という存在を彼女に刻みたい――自分がいなくなった後も彼女が忘れることのないように。
辛い思いをさせたくない――いつでも笑って幸せでいて欲しい。
ずっと彼女の傍にいられるのならば、そのどちらも叶えることは出来た。
しかし羅刹になっても治らなかった労咳は、いつか彼女と自分を別つとわかっていたから。

「総司さん、ここにいたんですね」
安堵の滲んだ声に微笑むと、千鶴が隣りへ腰かけた。

「お帰り。買い出しお疲れ様」
「何をされてたんですか?」
「空を眺めてたんだよ」
空を見上げる沖田に、千鶴も倣って見上げた。

「以前も空を見るのがお好きだって仰ってましたものね」
「うん」

流れゆく雲。
風が葉を揺らす音。
花の匂い。
水のせせらぎ。
そういう自然を感じているのが、昔から好きだった。

「長く風に当たられるのはお身体に障りますから、もう少ししたらお部屋に戻ってくださいね」

そうして立ち上がろうとした千鶴の手を、沖田が掴む。

「総司さん? きゃ……っ!」
「こうすれば寒くないよね。働き者の君も捕まえられるし」
「もう……」

抱き寄せられた千鶴は、しかし苦笑を浮かべるとそのまま沖田の胸に寄り添う。
子供っぽいところのある沖田は、よくこうして家事を邪魔するのだが、それが彼なりの甘えなのだと知っている千鶴は、よほど急ぎのものでなければ共にいることを選んだ。
千鶴自身、沖田とこうして過ごす時間が大好きだった。

「本当に君って無防備だよね」
「え?」
「人がこんなに悩んでるっていうのにさ」

そんなふうに嬉しそうに微笑まれたら、触れたくなってしまうだろ?
呟いて、ふっくらとした可愛らしい唇に口づけを落とす。

「そ、総司さん……っ」
「ふふ、君も見ていて飽きないよね」

くるくると変わる表情に口の端をつりあげると、真っ赤に染まった千鶴が恥ずかしそうに俯く。 より深く係わることが君に傷を残すのだと、そうわかっていてもなお抗いがたい恋情――執着。

「いつか僕が君を傷つけても……それでも君は僕を許す?」

想いのままに君を求め、その心にも、身体にも消えない痕を残す。
その誘惑にいつか負けるだろう僕を君は恨むだろうか?

「総司さんがくださるものはすべて大切な……
一生忘れない、大切なものだから。だから私は、いつだってあなたを許します」
迷いのないまっすぐな瞳と声に、言葉を失う。
ああ、君は――。

「それってすごい殺し文句だよね」
「えっ?」
どれだけすごい告白をしたのかまるで自覚のない千鶴は、指摘に今更ながら動揺する。

「言い訳は聞いてあげないよ。僕は決めたんだから」
「総司さん?」

問う瞳を笑顔で誤魔化して、その身を強く抱き寄せる。
己のすべてで愛してくれる千鶴。
そんな彼女がどうしようもなく愛しくて、柔らかな髪に顔を埋める。
たとえいつか時が二人を別っても。
それでも千鶴を求めることを僕はやめない。
もう、手放してあげられないんだ――と、心の中で呟いた。
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