愛しい

沖千8

先程までの晴れ間が嘘のように、突然立ち込めてきた雲に何度も空を見上げていると、ポツリと滴が落ちてきて。
慌てて庭に飛び出すと、干していた洗濯物を取り込み家の中へと駆けて行く。
そうして何度目かの往復を繰り返していると、ぬかるんだ地面に足を取られた。

「あっ!」

倒れる! と思わず目を瞑り衝撃に備えるが、予期していた冷たさは感じず。
代わりに暖かな腕が千鶴を支えていた。

「総司さん……ありがとうございます」
微笑みお礼を言うと、沖田はふう、と小さく息を吐いた。

「どうして僕を呼ばないのかな」
「その、急に降り出したので、取り込むことに精一杯で……」

不機嫌な沖田に、千鶴は申し訳なさそうに説明する。
沖田を頼りにしていないわけではない。
ただ本当に、慌てていたために呼ぶことに気が回らなかったのだ。

「……着替えておいで。こんなことで君に風邪を引かせたくないからね」
「は、はい」

先程まで干していた手ぬぐいをかけられ、千鶴は頷き身を翻す。
濡れた身体を拭い、着物を改め戻ると、沖田が風呂を指差した。

「総司さんが沸かしてくださったんですか?」
「うん。可愛い奥さんに風邪なんか引かせたくないからね」
「ありがとうございます」

沖田の気遣いが嬉しくて微笑むと、次の瞬間にやりと笑みが返される。
沖田がこういう笑い方をする時は、何かを企んでいる時。
それに気づき身構えると、沖田がスッと近寄った。

「じゃあ入ろうか」
「……あの、もしかして……」
恐る恐る尋ねる千鶴に、返されたのは満面の肯定。

「うん。僕も入るよ」
「だ、だったら私は先に夕飯の支度をしますから……」
「だーめ」
だからお先にどうぞ、の言葉は、しかし言い終わる前に沖田に遮られた。

「で、でも……っ」
「僕たち夫婦になったんだよね?」

だったらお風呂ぐらい一緒でもいいんじゃない? 続く言葉に、しかし千鶴は真っ赤な顔で俯いた。
確かに沖田と千鶴は夫婦になった。
しかし、共に風呂に入ったことなど今までなく、どうしても頷くことが出来ない。
そんな千鶴に、沖田は肩をすくめ苦笑した。

「ごめん。冗談だよ。先、入っていいよ」
「で、でも……」
「なに? やっぱり僕と一緒に入りたいの?」
「い、いえ! お先に入らせていただきます」
顔を赤らめ、慌てて風呂場へ駆けて行く千鶴の姿に、沖田はくっくと肩を揺らす。

千鶴と交わす言葉。
他愛のない遣り取りが愛しくて―――嬉しくて。
こんな穏やかに自分が人を愛せることなど思いもよらなかった。
どんなに突き放しても、冷たい言葉を投げかけても、それでも自分の手を離さなかった千鶴。
病に冒され、近藤の役に立つことも叶わなくなっても、それでも自分を支え続けてくれた千鶴。

「君が……愛しい」

千鶴への恋情は、狂おしいほどこの胸に溢れ。
幸福を沖田へと運んでくれた。

「好きだよ、千鶴」
囁いて、ふと彼女の姿を目で追う。

「ねえ、やっぱり僕も入っていい?」
「……! だ、だめです!」
「さっき君を支えた時に濡れちゃったんだよね。早くしないと風邪引くかも」
「だ、だったらすぐ出ますので」
「だーめ」

わざとらしいくしゃみをすると、慌てて湯を出ようとする千鶴。
に、顔を覗かせ押し留まらせると、さっさと着物を脱ぎ捨て湯に入る。
溢れ出る想いを胸に秘めることなど出来なくて……する気もなくて。
真っ赤な顔で身を縮こまらせる千鶴を抱きしめる。

「愛してるよ」
肩を震わせ、躊躇いがちに振り返った彼女に口づけて。
想いのままに、白い肌を淡く染めていった。
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