淡い絆が消えゆく前に

沖千2

沖田と共に暮らす毎日は穏やかで、あたたかで、幸せな日々だけれど、一つだけ千鶴は戸惑っていることがあった。
それは、床に就く時。

「おいで」

伸ばされる腕に、跳ね上がる鼓動。
雪村の里で暮らし始めた当初、千鶴は肉親を失ったショックからあまり眠れずにいた。
そんな千鶴を抱き寄せ、眠りに導いてくれていた沖田。
そうして日々を重ねるうちに、千鶴は次第に眠れるようになっていった。

けれども、もう大丈夫だと主張しても、沖田は共寝することを譲らなかった。
布団が二組ないわけではない。
それでも、沖田は毎晩千鶴に腕を伸ばした。今のように。

「ほら、身体が冷えちゃうよ?」

「あの、沖田さん。やっぱり布団をもう1つ敷きます。沖田さんが身体を冷やしてしまったら困りますし、私はもう大丈夫ですから…」

「千鶴ちゃんを抱いてたらあったかいから大丈夫だよ」

「……っ、布団も二組ありますし……」

「ずっと一緒に寝てたじゃない。今さら別々にする必要なんてないと思うけど?」

「あ、あれは非常事態で……」

「千鶴ちゃんは僕と一緒の布団で寝るのは嫌なんだ?」

「そ、そういうわけでは……っ」

「だったらいいよね」

にこり、と笑顔で話を締めくくられて、今日も同じ布団に入る。

「……千鶴ちゃん、なんでそんな隅にいるの?」
「お、沖田さんが狭いと思って」
「大丈夫だから、こっちおいでよ」

一人用の布団に二人で寝るのだから当然狭く、ほんの少し動くだけでも身体が触れ合う。
そんな状態に千鶴は身を縮めて隅に寄っていた。

「……きゃっ! お、沖田さん?」
「寒いから、湯たんぽ替わり」
「でしたら布団を別に……」
「千鶴ちゃんが抱き枕になってくれれば大丈夫」
「…………っ」
背中から伝わる沖田の体温が恥ずかしくて、千鶴はますます身を縮めた。

「すっごい緊張してる」

「……あ、当たり前です!」

「おかしいの。ついこの前まで同じことしてたのに?」

「ですから、あの時は……」

「野宿の時はよくて、今はダメなの? どうして?」

確かに初めて抱き寄せられた時も、やっぱり緊張したが、伝わる体温に次第に安堵して、眠りについた。
この家に住み始めた当初もそうだった。
けれども今は、そのぬくもりに感じるのは緊張だけ。
自分は女で、沖田は男で、思い合っている男女が同じ布団で寝る。
それがただ幼子が親と添い寝するようなものでないことは、千鶴も知っていた。
今まで二人の間にそういったことはなかった。
だが想い合ってる者同士、いつまでも何もないということはないだろう。
沖田のことが嫌なわけではない。触れられたくないわけではない。
ただ、初めてのことにひどく戸惑っていた。

「――千鶴ちゃん」
「………っ!」

今までと違う声音に、強張る身体。
抱き寄せる腕が緩んだことに目を開けると、覗き込む彼の視線と合わさって。
ゆっくりと、近寄ってくる顔にぎゅっと目をつむった。

「…………っぷ」

吹き出す声が聞こえた瞬間、笑い出した沖田に驚いて目を開ければ、クックと肩を揺らしながら見つめる彼。

「もしかして、期待した?」
「…………!」
からかう響きにカッと頭に血が上り、千鶴は勢い良く身を起こした。

「千鶴ちゃん?」
「期待、したらいけませんか?」
「え?」
「私は沖田さんのこと……」

好きなんです――そう、口からこぼれ出そうに
なった言葉を飲みこんで、千鶴はギュッと唇を噛む。

「私はあちらで寝ますので、沖田さんはこちらで眠ってください」
「ちょ……千鶴ちゃんっ」
「おやすみなさい」

これ以上の遣り取りを拒絶し、襖を閉めると、千鶴は居間に逃げ出し顔を覆った。

「私……なんてはしたないの」

沖田と共に眠ることに緊張して……けれども同時に期待もしていたのだと、沖田の言葉で知った己の心。
沖田のことが好きで、愛されたいのだと、その心を見透かされたことがひどく恥ずかしく、情けなかった。
嗜みを持った女性に――そう、父に言われ育てられたはずだった。
身体に残る沖田の体温に胸を痛めながら、千鶴はこの家に住み始めてから初めて、一人で布団で眠った。

翌日目を覚ますと、太陽はずいぶん高い位置にあり、千鶴は慌てて起きると身支度を整え、沖田の元へ行った。
だがそこに沖田の姿はなく、千鶴は家の中を捜し歩く。

「あれ? 起きたの?」

「沖田さん。おはようございます。水汲みに行ってくださったんですか?」

「うん。君が気持ちよさそうに眠ってたから、起きた時に少しでも早くご飯作ってもらえるようにしようと思って」

「すみません! すぐに支度します」

「先に顔洗ってきなよ。まだ、顔が寝ぼけてるよ」

「は、はい」

慌てて駆けていく千鶴の姿に、沖田は小さくため息をつく。

「……ごめん、って一言いうだけなのにね」

千鶴をからかい、傷つけた。
そのことを謝ろうと思ったが、どうしても言えず、沖田は汲んだ水を水瓶に移す。

そうしていつものように一日が始まったが、二人の間の空気はいつもの様にとはいかなかった。 普段ならば、家事をする千鶴の邪魔をして、共に過ごす時間を求める沖田も、今日は千鶴に構うことはなく、千鶴もまたどう接していいか戸惑い、自然と沖田を避けていた。

(沖田さんはいつものようにからかっただけなんだから……私が過剰反応して、一方的に怒ってしまったんだから、謝らないといけないよね)

恥ずかしくて、つい攻撃的に言葉をぶつけ、逃げ出してしまった。
それが自らの落ち度によるものだとわかってはいたが、千鶴も謝りずらかった。
なんと説明すればいいのかもわからなかった。

「千鶴ちゃん」
「! は、はい」
「掃除は終わったの?」
「はい。今、終わりました」
「だったら、こっちで一緒に休もう」
「いえ……まだ繕い物がありますから」
「そんなの後でもいいよ」
「ですが……」
「いいから、おいでよ」
手招く沖田に躊躇っていると、ふっと彼が顔を歪めた。

「僕と一緒にいるのは嫌?」
「……! そんなこと……っ」
「あるよね。もう顔も見たくない?」
「そんなこと、ありません!」
「君が望むなら、昨日の続き……する?」
「…………っ」
沖田の言葉に顔を赤らめると、キッと眉をつり上げた。

「沖田さんにとってはそんなことなんですか?」

「千鶴ちゃん?」

「私は、沖田さんが好きだから、だからあなたと一緒にいたいんです」

「僕だって、千鶴ちゃんが好きだよ」

「だったら、どうしてそんなこと、仰るんですか? 私ははしたないかもしれません。
でも……そんなふうに、遊びの様に触れてほしいわけじゃありません!」

「千鶴ちゃん!」

ばっと身を翻すと、家を離れ駆けて行く。
恥ずかしくて、情けなくて……悲しかった。
想いは重なり合っていると、確かに感じていたのに、それは自分だけだったのか?

「千鶴ちゃん!」
掴まれた腕を振り払うと、驚いた顔の沖田を見る。
と、一筋涙が頬を流れた。

「……っ、ごめん」
「……なにを……謝るんですか……」
「傷つけて、ごめん」
恐る恐る伸ばされた指を、今度は払うことはなかった。

「……泣かせてごめん。君を傷つけたかったわけじゃないんだ」
「もう、いいんです」
「――千鶴。聞いて」
千鶴と、呼び捨てにされた名前に驚き見つめると、ひどく戸惑い揺れる翡翠の瞳があった。

「前にも言ったよね? もう君を手放してあげられない。触れることも止めない。僕は、君を求める」

「沖田さん……」

「でも、君を傷つけるのは……したくない。一緒にいることがすでに君を傷つけることだとしても、それでも僕は……」

瞳に宿る切実な光。
それは以前にも見た、彼の瞳だった。

「……ごめん。何を言ってるかわからないよね」
「沖田さん」
苦笑しながら身を引く沖田の手を取って、まっすぐにその顔を見つめ返す。

「私は、いつだって沖田さんを許します。一生消えない傷を負っても……あなたを許します」

だから、私を傷つけてください……そう伝えると、泣きそうに顔が歪む。

「……君って時々すごいこと言うよね」

「そうかもしれません。でも、私は沖田さんと一緒に生きていくと決めた時に誓ったんです」

ほんのわずかな未来はあげられても、その先まではわからない。
それは沖田が羅刹となり、縮められた命と、ずっとその身体を蝕み続ける労咳のため。
どれほど残された時間があるのか、それさえもわからないのに、それでも沖田は千鶴と共にいることを選んでくれた。

「だったら、今僕が君を求めても、君は許してくれる?」

「えっ!?」

「傷つけて、なんて言われて、さすがの僕も引き下がるなんてできないよね」

「べ、別に今すぐってことでは……」

「あれ? 君が言ったんだよ? もしかして僕の聞き違い?」

「……沖田さん、意地悪です」

「意地悪なのは君でしょ」

逃げるように離れた身体を抱き寄せると、真っ赤に染まった顔に微笑んで。
柔らかな口づけを一つ、彼女に贈る。
彼女を求めて傷つけて、さらにその身に深く刻み込むことを、沖田は恐れていた。
先を約束出来ない身体。
繋がりは、そのまま千鶴の枷になってしまう。
共に背負えるのなら、躊躇うことはなかった。
それでもきっと、自分は彼女を求めてしまうのだろう。
そして、消えない傷をつける。
だからこそ、躊躇わずにはいられなかった。

「まずは名前からかな」
「え?」
「千鶴。僕のこと、名前で呼んで」
「そんな……急には無理です!」
「え~? 僕は呼んだのに?」
「そ、それは……」
「千鶴?」
「~~~~、少しだけ時間をください! 呼べるように練習しますから」

必死に訴える千鶴に、沖田は吹き出すと、真っ赤な顔の千鶴を抱き寄せる。

「うん。楽しみにしてるから、なるべく早くよろしく」
「は、はい。頑張ります」
真面目に答える千鶴に笑って。
もう一度、その唇に口づけた。
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