明治二年四月。
雪解けを待っていた新幕府軍がついに蝦夷地に上陸した。
箱館を死守しようと松前口には大鳥、二股口には土方が指揮官として布陣し、新政府軍を迎え撃つことになった。
「いいか、ここが正念場だ。銃弾は余るほど用意した。無駄弾になっても構わん。戦闘になったら撃ちまくれ。
ただ、命だけは無駄にするなよ。戦が終わったらたらふく酒を飲ませてやる。その為にも気張ってくれよ」
土方の激励に、兵が勇ましく頷く。
昨年末、大鳥の手引きで蝦夷地にやってきた千鶴は、陸軍奉行並である土方の小姓として彼に付き従っていた。
「千鶴。お前は前に出るな。後ろで怪我人の救護にまわれ」
「はい」
気遣う土方に頷くと、ふっとその瞳が和らぐ。
近藤を失ってから自暴自棄のようになっていた一時とは違い、陸軍奉行並になった土方はまるで在りし日の近藤を思い起こさせるような、穏やかに兵に接する様子に千鶴は驚くと共に嬉しさを噛みしめていた。
近藤は……新選組の誠の志は確かに土方に息づいているのだと、そう確信できた。
「……うっ……!」
「土方さん?」
突然胸を押さえてよろめいた土方に、駆け寄った千鶴ははっとした。
黒から白へと変わる髪。
紫暗の瞳は紅に……それは幾度となく目にしてきた羅刹の発作。
とっさに小太刀に手を伸ばした千鶴は、次の瞬間叫び土方に飛びついた。
「土方さん、伏せてください!」
「…………っ!」
千鶴の緊迫した声と、銃声。
眼前に舞い散る黒髪に、土方は目を見開いた。
「千鶴っ!」
「私は大丈夫です。それよりこちらに!」
押し倒すように土方をかばった千鶴は、そのまま姿勢を低くして安全な場所へと促す。
「土方さん、大丈夫ですか?」
「俺のことよりてめえの心配をしやがれ!」
ギッと唇を噛みしめると、千鶴の首から流れる血に指をそっと這わす。
「私は大丈夫です。銃弾が少しかすめただけなので、たいした怪我じゃありません」
「そういう問題じゃねえんだよ……。少しは察しやがれ」
「?」
きょとんと見返す瞳に頭をかきむしりたい衝動を堪え、ぐっと拳を握りしめた。
「……女が傷なんて作ってるんじゃねえよ」
思わぬ出会いで行動を共にするようになったが、千鶴は女……隊士ではないのだ。
苦々しく紅の瞳を細めると、結いあげられた髪がふるりと揺れた。
「これぐらいの傷ならすぐに治りますから大丈夫です。私は鬼……ですから」
自嘲を浮かべる千鶴に宿る陰。
それは己が鬼……異端なものであることを恥じるもの。
「鬼かどうかなんざ関係ねえんだよ」
チッと舌打つと、見つめる視線を遮り抱き寄せた。
「……俺にとってお前は大事な女なんだよ」
「土方さん……」
「わかったら二度と盾になるような真似はするんじゃねえぞ」
「……それはできません」
「ああ?」
即座に返された否の返答に、土方は目を見開いた。
「私がここにいるのは土方さんを守るためです。だから、その命令は聞けません」
「命令じゃねえよ」
「でしたら土方さんご自身がご自分の命を守ってください。そうしたら私も大丈夫です」
ふわりと微笑む姿に絶句して、ふっと苦笑を浮かべる。
「……お前にはかなわねえな」
守られるだけをよしとしない。
後ろでも前でもなく、隣りに並び立つことのできる女。
「すまねえな」
血の流れるうなじに唇を寄せると、荒れた呼吸が穏やかに戻る。
そうして発作がおさまった頃には、千鶴の傷口も癒えていた。
「もう大丈夫ですか?」
「ああ……。……行くぞ!」
「はい」
短くなった黒髪に触れて、前を見据えて駆けていく。
この先の未来を勝ち取るために。
信念を貫き通したその先……千鶴と共に生きる未来を目指して。