「……それにしても、君たちは変わらないね」
土方の執務室を訪れた大鳥に、いつものようにお茶を出し、土方の傍に控えていた千鶴は、彼の言葉にその意がわからず瞳を瞬く。
それは土方も同じようで、不機嫌そうに眉をしかめながら筆を置いて大鳥を見た。
「なんだ、大鳥さん。言いたいことがあるならはっきり言ってくれ」
「あんなに平然と惚気てくれたのに、君たちは相変わらずだと思ってね。仕事熱心なのは上司としてはありがたいけど、雪村君には気の毒だと思うんだ」
「わ、私はここに置いていただけるだけで十分ですから」
顔を赤く染めながらふるふると首を振る千鶴に、土方が瞳を眇める。
「揶揄って遊びたいなら他を当たってくれ。こいつをあんたの玩具にする気はねえんだ」
「心外だな。僕は君たちを心配してるんだよ」
「それこそ余計な気だ。俺が女にうつつを抜かしてたら、部下に示しがつかねえだろうが」
真面目な土方らしい言葉に、大鳥はやれやれと両手で諦念の意を表すと、申し訳なさそうに千鶴を見た。
「土方君は真面目だね。……君には相変わらず男装を強いることになってしまって本当に申し訳ない」
「そんな……私が望んだことです」
男所帯に女をいさせるわけにはいかないと、屯所内で男装を強いられてきた千鶴。
ここ箱館でも彼女に与えた洋装は男物で、年頃の娘ならば……特に好いた男の傍にいるなら着飾りたいだろうと、大鳥は千鶴の心情を思いやってため息をつく。
確かに今は、浮わついた気分でいられる時ではない。
共和国は樹立したとはいえ、雪がとければ新政府軍が乗り込んでくることは必至。
それでも、だからと二人の恋情を蔑ろにしていいはずはなく、大鳥は一見揶揄する形で気遣っていた。
「……こいつはそんなことを気に病む女じゃねえよ」
大鳥の真意を悟ってるのだろう土方のやわらかな物言いに、千鶴も微笑み小さく頷く。
その姿が健気で、大鳥は眩しげに二人を見ると微笑んだ。
「本当に土方君が羨ましいよ。じゃあ、僕はお邪魔しようかな。これ以上は野暮だろうからね」
お茶を飲み干し立ち上がると、見送る千鶴に手を振り、大鳥が退出する。
「あの人は何がしてえんだ……」
「心配してくださってるんですよ」
ともすれば寝食も蔑ろにしてしまう土方を気遣い、時折顔を出していることに千鶴は気づいていた。
そんな彼女の言葉に土方は少し考えるような仕草をすると、ふと視線を向ける。
「千鶴、来い」
名を呼ぶや、さっさと立ち上がり扉に向かう土方に、千鶴が慌てる。
何をするつもりかわからないが、その意に逆らう気はないので、素直に後に従っていく。
土方が連れてきたのは町の呉服問屋で、このような場所に何の用事だろうと首を傾げていると、手にした反物をあてられた。
「これも悪かねえがそっちの色の方がいいか……その淡藤のをもらえるか?」
淡紅藤の反物を返して、淡藤を受け取ると、それを千鶴に当て満足そうにうなずく。
「よし。おやじ、これを頼む」
「へい」
困惑している千鶴をよそに、土方は店の主人と遣り取りを進めると、踵を返し歩いていく。
そんな彼の後を慌てて追う千鶴に、歩を緩め隣りに並ぶ。
「あの……土方さん? どなたかへ贈り物ですか?」
千鶴の問いに、土方は一瞬瞳を見開くと、呆れたように息を吐いた。
「お前を付き合わせてどこの女に贈るってんだよ。……あれは、お前のだ」
「え?」
「ずっと俺達の都合で年頃の娘に無理を強いてきたからな。ずいぶん今さらになっちまったがいい機会だろ」
土方の言葉に、千鶴は顔を強張らせると、その真意を問う。
「……それは、私に土方さんの傍から離れろということですか?」
「は?」
「土方さんの傍にいたいと望んだのは私です。女としての幸せはなくていいと、そう決めてここに来ました。だから、お傍に置いてください」
仙台で千鶴の同行を拒否した土方は、千鶴に幸せになってほしいと言った。
けれども、千鶴の幸せは他の男に嫁ぎ、平穏に暮らすことではなく、たとえここで朽ち果てようとも最後まで土方と共にいることだった。
だから、再び引き離そうとしているのだと思った千鶴は、拒絶の意を土方に伝える。
そんな千鶴に、あっけに取られていた土方はフッと相好を崩すとおかしそうに笑った。
「誰もお前を手放すとは言ってねえだろうが」
「でしたらどうしてですか?」
「……お前は本当に自分のことには疎いな。俺がお前を飾りてえんだよ」
「何かの任務でしょうか?」
以前島原に潜入したことを思い出し、珍妙な答えを返すと、土方は渋面になり、呆れたように答えた。
「どこまで鈍いんだよ。まあ、そこがお前らしいんだが……」
「え? あの……?」
「深く考えねえで、お前は素直に受け取ればいいんだよ。わかったか?」
「……はい」
話は仕舞いだと、これ以上深い追及を拒絶する土方に、千鶴は仕方なしに引きさがった。
土方はまだ、千鶴への想いを明確に言葉にしてはいなかった。
万が一の時に逃がしてやりたい……そう思うからこそ、ぎりぎりで一線を引いていた。
平穏な幸せを与えることもできず、けれどもその幸せを願って再度突き放すこともできず、大鳥の戯言に曖昧な物言いでしか伝えられない内に秘めた恋情。
そんな土方の想いをわかっている大鳥のお膳立てにあえてのったのは、女としての幸せがなくても構わないと言った千鶴に少しでも与えたいと思ったからだった。
新選組を最後まで見届ける。
それが叶えば死んでも構わないと、そう思っていた。
そんな土方に、千鶴は自身という生きる理由を与えた。
この戦いですべてが終わるのではなく、共に生きる未来を望むようになった。
あの着物は土方の決意。
死して志を貫くのではなく、見届け、残る余生を愛する女のために生きる。
そのために生き抜くと、心に決めて千鶴の頬を撫でる。
「ひ、土方さん?」
「仕立てあがったら着て見せてくれ」
「はい……」
恥ずかしそうに目をそらす千鶴に微笑むと、彼女が纏う姿を思い描きながら五稜郭へと戻って行った。