知らないふりはもうできない

土千6

「土方さん、お茶をお持ちしました」
「おう」
千鶴に応え筆を置くと、机の上のお茶へ手を伸ばした。

「うまいな……」
土方好みの、熱めに淹れられたお茶。
それをこうしてまた飲めることに、知らず頬が緩んだ。
そんな土方の表情を見て、千鶴が嬉しそうに微笑む。

「なんだ? なに笑ってやがる」

「いえ、土方さんにまたこうしてお茶を淹れられるのが嬉しかったんです」

「久しぶりにうまい茶を飲んだからな」

「……ありがとうございます」

「なんでお前が礼を言うんだよ。茶を淹れてもらったのは俺だろうが」

「でも……嬉しかったから言いたくて」

頬を染めて喜ぶ千鶴のどこまでも謙虚な姿に、土方は苦笑をこぼした。
一度、傍らから失った存在。
大鳥がすすめる西洋の紅い茶を口にした時、思い出したのは千鶴の茶。
そうしたふとした瞬間に覚える喪失感に、彼女がどれだけかけがえのない、大切な存在であったのかを土方は知ったのだ。

「千づ……」
「やあ、お邪魔するよ」
「……なにか用か?」
「僕も彼女の淹れるおいしいお茶が飲みたくなってね」

軽いノックの後、返事を待たずに入ってきたのは土方の上司に当たる大鳥。
言いかけた言葉を飲み込むと、土方は眉間にしわを寄せた。

「……聞いてやがったな」
「なんのことだい? あ、雪村君よろしく」
「はい」

大鳥と土方のやり取りにくすくすと肩を揺らしながら、千鶴はお茶を淹れに姿を消す。
その姿を見送ると、大鳥がふと微笑んだ。

「……やっと笑うようになったね」

「ああ?」

「君だよ。ここに来た頃はいつも眉間にしわを寄せて、まるで鬼のようだったからね」

「そんなの、今の現状見りゃ当たり前だろうが」

「うん。でも変わらない状況の中で君が変わったのは、彼女のおかげなんだよね?」

「……………」

見透かしたような大鳥の言葉に、土方はふうっと息を吐き出した。

「やっぱり彼女を呼び寄せたのは正解だったね」
「勝手なことをぬかしやがる……」

千鶴を置いていったのは、ひとえに彼女の幸せのためだった。
それでももう、土方が千鶴を手放すことはない。
彼女の存在は自分の一部だったのだと、悟ってしまったのだから。

「失礼します。大鳥さん、どうぞ」
「ああ、ありがとう。……うん、おいしい!
さすがは土方陸軍奉行並が認めるお茶だ」

大鳥には少し熱すぎたが、それも土方の好みに合わせたものだからだろうと、大鳥は嬉しそうに微笑んだ。

「満足したら出てってくれよ。こっちはまだやることがいっぱいあるんだ」
「はいはい。もちろんこれ以上君達の邪魔はしないよ」

返答に土方のしわが深まるのを察して急ぎ茶を飲み干すと、それじゃと手を上げ大鳥は部屋を出て行った。

「……ったく、暇ならこっちの仕事を手伝えってんだ」

「ふふ、そんなこと言って結局はご自分でやるんですよね」

自分で出来るような仕事を土方が決して人に押し付けることがないことを、千鶴は知っていた。

「それに、大鳥さんは土方さんを心配されていらしたんだと思います」
「心配だ?」
「はい。土方さんはすぐ無理をなさいますから」

千鶴は傍らの湯呑を片しながらそっと寝室を指差す。
そこは皺ひとつ寄っていないベッドがあり、土方が昨夜寝ていないことを示していた。

「……無理はしてねえよ」

「少しだけお休みください。大鳥さんからも命じられています」

「大鳥さんの命だと?」

「はい。土方さんに倒れられると困るから、しっかり休ませてくれと言づかりました」

「あの人は……っ」

様子見だけではなく、そんなことまで千鶴に言づけていたのかと眉をしかめながら文書をめくる。

「余計な心配だ。倒れるほどやわな身体はしてねえんだよ」

「ここに集まった人達は、土方さんが倒れるまで働き続けなければならないほど信用できないのですか?」

「なんだと?」

「ここにいる皆さんは誠の旗を心に掲げた人達ではないのですか? それなのに、土方さんは彼らを信用していないのですか?」

「そんなわけねえだろ」

「だったら休んでください。部下に不安を抱かせないのも上司の立派なお役目だと思います」

大丈夫だと言っても決して引かない千鶴に苦々しく顔を歪めるも、散々無理していた姿を見せてきただけに反論することも出来ず、土方は渋々手に持った筆を置いた。

「……一時間だけだ。それだけ寝れば十分だろ」
「はい。それではお布団を整えてきますね」
「長椅子でいい」
「だめです。それでは疲労が取れませんから」

そうして有無を言わさず寝室へと消えていく千鶴にため息をつくと、その姿に続く。

「では、ゆっくりお休みください」
「何言ってやがる。お前も休むんだろうが」
「え?」
「俺が知らねえとでも思ってるのか? お前だって昨夜は一睡もしてないだろ」
「そ、そんなことは……」

土方を気遣い、いつでもお茶を運べるようにと隣室に千鶴が控えていたのは知っていた。

「人には休めと言っておきながら、てめえは仕事を続けるつもりなのか?」

「でも……」

「だったら俺も寝る必要はないな」

「ダ、ダメです! ……わかりました、私も休ませてもらいます」

「おい、どこに行くつもりだ?」

「え? 自分の部屋にですけど……」

「ここにいろ」

「……………え?」

「俺の隣りにいろって言ってんだよ」

「ええっ!?」

土方の言葉に目を白黒させた後、ボンッと顔を赤らめた千鶴の手を引いて、抱え込むようにベッドに身を伏せた。

「ひ、土方さんっ」
「なんにもしねえよ。だから安心して寝ろ」
「で、でも……っ」
「こうしてれば互いの監視ができるだろ。ほら、さっさと目を閉じろ」
「は、はい……」

動揺しつつ、言葉通りに目を閉じた千鶴に苦笑しながら、土方もそっと目をつむる。
ずっと目をそむけてきた想い。
けれどもう、知らないふりはできないから。
腕の中にあるぬくもり――それを抱きしめながら、つかの間の優しい眠りに身を委ねた。
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