「……うっ……?」
突然こみ上げてきた吐き気に、慌ててしゃがみこむ。
料理の匂いが胃の中を掻き乱し、どうしようもなく気持ち悪くて、慌てて台所から飛び出した。
「はぁ……はぁ……っ」
全てを吐き出し、ようやく収まった吐き気に、前傾していた身を起こす。
「これって、まさか……」
頭にあることがよぎった瞬間、千鶴の上に影が差した。
「どうした? ……顔が真っ青じゃねぇか」
「歳三……さん……」
「吐いたのか? 他にどこか悪いとこはねぇか?」
心配して眉をしかめる土方に、ふるふると頭を振った。
「大丈夫、です」
「どこが大丈夫だ。そんな青白い面しやがって……」
険しくなった顔に、しかし千鶴はお腹に手をやった。
「子ども……」
「あぁ?」
「子どもが出来たんだと思います」
少し前に感じた違和感。
どこか熱っぽかった身体。
そしてこの吐き気。
それは知識として知っていた、妊娠した女性の特徴だった。
もしかしたら……そんな思いは抱いていた。
けれどもすぐには確信が持てず、今までずっと黙っていた。
戸惑いと喜び、そんな不思議な感情を抱きながら顔を上げると、土方は千鶴を見下ろしたまま固まっていた。
それは今まで見たことのない、本当に驚いた彼の表情。
「歳三さん?」
声をかけると、ようやく我に返った土方はまじまじと千鶴を見つめた。
「本当か?」
「はい。たぶん、間違いないと思います」
医者の娘として多少の知識は持っていたから、自分の体調と重ね合わせて断言する。
けれど千鶴の言葉を聞いた土方は、眉間に皺を寄せると、再び黙り込んでしまった。
そんな彼の態度に、千鶴の中に不安が芽生える。
「もしかして子どもがお嫌いですか?」
望まれていない子を宿したのかと、胸につきんと痛みが走る。
けれど土方は表情を和らげると、いや……と低く否定した。
「嫌いじゃねぇよ。驚いただけだ。だから、そんな顔するな」
労わるように抱き寄せる腕。
それでも土方の顔はやはり嬉しそうには見えなくて、千鶴は複雑な想いに眉を歪めた。
土方の子どもが、この身にいる。
それはくすぐったくなるような幸せで。
二人を繋ぐ確かな絆が、とても嬉しかった。
「嬉しくないわけじゃねぇんだよ。……ただ、
ちょっと考えちまっただけだ」
「何をですか?」
「……お前に俺の子を残しちまっていいのか……ってな」
土方の言葉に、千鶴は彼を見上げた。
「お前との暮らしを永久に続けていたいと思う。――だが、いずれ俺はお前を遺して逝くだろう」
そんな俺の子を、お前は生んでもいいのか――?
そう問う、切なく揺らぐ瞳に、にじむ視界でしっかりと彼を見つめ返した。
「私は後悔なんてしません。歳三さんに愛され、子を宿したことは、私にとって何よりの幸せだから」
変若水を飲んで羅刹となった土方の生命は削られ、いつ尽きてしまうともしれなかった。
けれども、それでも最後の瞬間まで傍にいたい。
彼の傍で、最後の瞬間を幸福に迎えたい――そう思っていたから。
そんな千鶴に、土方はふっと目を和らげると、観念したように笑った。
「……ったく。江戸の女にゃ敵わねぇな」
そう言って、千鶴を抱きしめる。
「育ててくれるか? ……俺の子を」
「はい……っ」
涙を溢れさせながら頷くと、瞼に接吻が降りてくる。
土方さんと私と、そしてこの子。
3人で過ごす日々はどれだけ幸せだろう。
遠くない未来に想いを馳せ、胸が熱くなる。
いつか時が2人を別ったとしても、それでも確かにあなたはここに、私の傍にいたのだと、今この瞬間が胸に焼きついているから。
ねえ? 元気に早く生まれてきて。
あなたを一日でも多く、この人に抱かせてあげたいから。
「……お前はすぐ泣くから。尚更、置いて行けない気がするんだよ。――俺は生きていたいから足掻き続ける。だから――ずっと俺の傍にいろ」
抱き寄せる腕の中で、頷き身を預ける。
永遠を望んでも、それは叶わない願いだと知っているけど。
それでも。最後の最後まで、彼と共に足掻きたいと思う。
どうかお願い。
来年も、さ来年も、出来ることなら永遠に、幸せな記憶の数を増やせますように……。
私たちが、決して……。
別たれることなど、ありませんように……。
そう、彼の腕で願った。