そして時は動き出す

原千9

■『そして夢の幕引きを』後日談になります。

「よおっ!」
声と共に肩を叩かれ振り返った千鶴は、驚き目を瞠った。
そこにいたのは元新選組二番組隊長・永倉新八。

「永倉さん……! どうしてここに?」
江戸にいるはずの永倉に驚いていると、同じく男の驚きの声が後ろで上がった。

「新八!? お前、どうして……」

「おお~左之。今日から厄介になるぜ!」

「厄介にって……ったく急に押しかけやがって。……千鶴、いいか?」

「はい。私、お布団借りてきますね」

「一人じゃ大変だろ。女に重いもん持たせられねえよ」

「おう、左之、頼んだぜ!」

「てめえもきやがれ! 誰のだと思ってんだ!」

がっと首に腕を回す原田に、永倉が苦しげに呻いた。

原田がこの北海道に残って三ヶ月あまり。
二人も世話になるのは申し訳ないと、千鶴は寺から長屋に移り住んだ。
女一人で暮らすのは何かと物騒でもあり、互いに働き所も定まっていないこともあって、原田と共同生活を送ることになった千鶴。
結婚しているわけでもない男女が同じ家で暮らすことは躊躇われたが、それでも原田の存在を必要としていることを否定できなかった。

「私、ちょっと買い物に行ってきますね」

「一人で大丈夫か?」

「はい。久しぶりに会われたんですから、ゆっくりお話しなさっていてください」

「悪ぃな、千鶴ちゃん」

「まったく……酒しか土産がねえってのがお前らしいぜ」

「なんだ? 左之はいらねんだな」

「そうは言ってねえだろ」

「ふふ、ごゆっくりなさってください」
二人のやり取りに微笑みながら出ていく千鶴の後ろ姿を見守りながら、永倉は照れくさそうに頭を掻いた。

「すっかり女の子に戻ったな」
「ああ。男装を解いたからな」
新選組にいる間は男所帯ということもあって、千鶴にはずっと男装を強いていた。

「しかしあんなに可愛かったとはな~。つくづく酷なことをしちまったぜ」

「手出すんじゃねえぞ」

「わあってるよ。で、お前はどうなんだよ?」

「どうって何がだよ」

「千鶴ちゃんとだよ」

「なんだ、やぶからぼうに」

「こうして同じ家にいるってことは、もしかして結婚したのか?」

「いや……こっちに来たばっかりでまだ職も定まらねえし、女の一人暮らしは何かと物騒だから
一緒にいるだけだ」

「お前、千鶴ちゃんに惚れてたんじゃねえのかよ」
いつかの折に、千鶴への想いを話したことを覚えているのだろう、永倉の問いに原田は持っていた盃をゆっくりと傾けた。

「……消せねえんだよ」
「あ? 何がだよ」
「千鶴の中のあの人だよ」
「……土方さんか?」
「ああ」
鈍い永倉でも察しがついたのだろう。
誰を追いかけ、そして誰を思い千鶴がこの地に留まっているのかを。

「このままでお前はいいのかよ」

「………………」

「千鶴ちゃんが今でも土方さんのことを好きなら、お前が忘れさせてやればいいだろ」

「それじゃダメなんだよ」
無理やり奪いたいわけじゃない。
千鶴自身が過去にして、乗り越え原田を選ばなければ。

「お前らしくねえな、左之。こうと決めたら
さっと動くやつだっただろ」
「……本気で惚れた女だからな」

千鶴がどれだけ土方のことを愛していたのか目の当たりにした原田は、どこまで踏み込んでいいかわからなかった。
一歩違えば千鶴の心が壊れる……それを知ってしまったのだから。

「ただ今戻りました。美味しい秋刀魚があったんですよ」

「お、いいね! 七輪で焼いて醤油をたらして……くぅ~想像するだけでよだれが出てくるぜ」

「ふふ。すぐに用意するので少しだけお待ちください」

「おう!」

永倉との会話にくすくすと肩を揺らす千鶴を、原田はじっと見つめていた。

 * *

「……永倉さん、寝てしまわれましたね」
「ああ」
散々飲んだ挙句つぶれ、高いびきをかいている永倉の変わらぬ姿に苦笑しながら、原田は一人盃を傾けた。

「お布団に運んだ方がいいでしょうか」
「こうなったらしばらく起きやしねえよ。放っておけば勝手に目を覚ましてもぐりこむだろ」
原田の言葉にそれならばと立ち上がると、千鶴は掛け布団をかけてやった。

「原田さんは大丈夫ですか?」
「ああ。……すまねえな」
「いえ」
空いた盃に酌をする千鶴に礼を言うと、そのままじっと見つめた。

「原田さん?」
小首を傾げ、見つめる棒色の瞳にもう暗い影はない。

「お前も今日はずっと動きっぱなしで疲れただろ? 俺も寝るから休め……っと」
「原田さん!」

一気に盃を空けて立ち上がると、ふらりとよろけた身体を千鶴が慌てて支えた。
久しぶりに感じた千鶴の体温に、気づくとその身を抱き寄せていた。
びくん、と震えた肩に、額をのせる。
こんなに近くにありながら……その心を掴むことはできない現実。

「……原田さん?」
「お前に俺は必要か……?」
「え?」
「いや、なんでもねえ。……酔っ払いの戯言だ」

身を離した原田の切なげな表情に、つきりと胸に痛みが走る。
ぽんぽん、と優しく頭を撫でて布団に寝転んだ原田を見つめながら、千鶴はしばらくたたずんでいた。

 * *

「くあ~頭いてぇ~……ん? 左之は?」
「お仕事に出かけました」
二日酔いに頭を押さえる永倉に湯呑を手渡すと、千鶴は盆を膝の上に置いた。

「仕事? そういえばあいつ、何やってるんだ?」

「荷を運んだり、他にも色々……ここは今手が足りないぐらいですから」

戦争で荒れ果てた地を修繕しようと、住民たちは手を取り合って勤しんでいた。
そうした中で力仕事ができるものは歓迎されていた。

「千鶴ちゃんは……左之のこと、どう思ってるんだ?」

「永倉さん?」

「いや、あいつはよ。屯所にいた頃からずっと、千鶴ちゃんのこと気に入ってたからよ。
あいつから千鶴ちゃんと一緒に暮らしてるって手紙が届いた時、てっきり俺は結婚したのかと思ったんだ」

「……………」
千鶴が土方を見つめていた時、原田は自分を見つめていたのだという事実に、千鶴はきゅっと唇を噛んだ。

「少しでもあいつへの想いがあるんなら、
千鶴ちゃんの方から伝えてやってくれねえか? あいつ、妙に慎重になってるからよ」

「慎重に、ですか?」

「ああ。本気で惚れた女だからとか何とか……
っとと、今のはあいつには内緒な! ばらしたとわかったらどやされちまうっ!」

その場を明るくする永倉の存在に、千鶴はふふっと微笑み頷いた。
千鶴自身、このままではいけないことはわかっていた。

「ただいま。お? ようやく起きたか」
「おかえりなさいませ。お勤め御苦労様でした」
「おう」
帰ってきた原田を労う姿は夫婦ものとかわりなく、永倉はどうしてこの二人が結び付かないのかと不思議に思った。

 * *

繕い終わった着物を横に置くと、千鶴は爆ぜる火を見つめた。
二日ほど滞在して、永倉は江戸へと帰っていった。

少しでも原田に想いがあるのなら……そう言った永倉。
以前は土方を忘れることを拒絶し、彼以外を心に住まわせることも拒絶していた。
けれども原田はそんな千鶴を認め、包み込んでくれた。

「……千鶴?」
「原田さん」
「ああ、悪ぃな。今日破っちまったところを繕ってくれたんだな」
「いえ。今、お酒をお持ちしますね」
湯屋から帰った原田に、千鶴は勝手場に向かうと酒と簡単な肴を手に戻ってきた。

「……いいもんだな」
「え?」
「出迎えられ、こうして酌してもらえるのは幸せだと思ってな」

惚れた女と所帯を持つのが夢だと、そう以前語っていたのを思い出し、千鶴は目を伏せた。
その夢を捨ててまで、原田は千鶴を選んでくれたのだ。

「私は……鬼です。知られれば追われるかもしれません。原田さんの身も危険にさらしてしまいます」
「正体がばれたらまずいのは俺も同じだろうが」

途中で抜けたとはいえ、新選組幹部として名の知れた存在。
いつ新政府に引っ立てられてもおかしくはないのだ。

「……江戸に帰ろうと思います」
「千鶴?」
「江戸なら私の家があります。近所の人も見知った良い方たちですし、少しなら医術もわかります」
山崎から多少教えられたにすぎないが、それでも簡単な手当てぐらいなら千鶴にもできた。

「いいのか?」
原田がそう問うのは、千鶴の想いを知っているから。

「はい」
土方への想いは今も消えずに胸にある。
それでも、彼ならばこうして千鶴が嘆き、時を凍えさせることを望まないと、今ならわかるのだ。

「原田さん、ありがとうございます」
千鶴の礼に、答えあぐねる原田。
もう原田の存在が不要だと、そう言っているのかわからなかった。

「私は今までずっと、自分で自分を捕えていました。土方さんの死が辛くて、土方さんへの想いで自分を縛って、土方さんの想いを見失っていたんです」

悲しくて、苦しくて、現実から目を背けた。
前へ進むことをせず、ただ悲しみに寄り添い、
一人時を凍えさせた。

「そんな私を原田さんは引き戻してくれました」
生きているとはいえない生を、現実に戻し、支え立たせてくれた人。
もう一度、土方への想いを思い出させてくれた人。

「私は土方さんに恥じない自分でいたい。だから……生きます」

いつもまっすぐに前を見つめ、駆け抜けたあの人だから。
自分もそうありたいと思っていたのだから。

「……そうか」
ふっと笑んだ顔は、千鶴の決意を喜んでくれる想いと、別の想いを宿した複雑なもの。
そんな顔をさせているのは千鶴なのだと、きゅっと唇を噛むと一度目を伏せ原田を見た。

「あなたの夢を……かなえさせてくれますか」
「千鶴?」
「愛する人と二人、幸せに暮らす……その夢を、私もあなたと叶えたいんです」
言い終えるや、腕を引かれ強く腕に掻き抱かれた。

「俺の夢をかなえるのは千鶴、お前とだと、そう決めてた。お前が俺を受け入れるのならもう放しはしねえ。それでもいいのか?」

「……はい。あなたの夢の伴侶に……してください」
はっきりとした承諾に、荒々しく唇が奪われる。
それは千鶴を求める原田の狂おしいほどの想い。
あの時も今も、原田の口づけを受け入れたのはこの胸に確かに芽吹いた想いがあるからだとわかるから。
結い紐を解かれ、床に広がる髪。
愛しい人のぬくもりをその肌に感じ、千鶴の眦からひとすじ涙が流れた。
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