ともし火

原千10

■『そして時は動き出す』後日談になります。

真っ白な空間。
そこに佇んでいた千鶴は、不意に感じた気配にそちらに目を向けた。

「土方さん……!」

会いたくて、ずっと傍にいたいと願ったひと。
そのひとを目の前にして、けれども千鶴の足は地面に縫いつけられたように動かすことが出来ない。

「土方さん……っ」

声を大にして叫ぶが、彼はただ静かに千鶴を見つめていて。
手を伸ばすことさえ自由にならない身体に、千鶴は悲鳴のようにその名を呼んだ。

「…………!」

目覚めた瞬間、暗闇に状況を失う。
ドクドクと暴れる鼓動に手を添えかけて、身体に巻きつくように抱え込む腕の存在に気がついた。
目を凝らして見ると、隣に眠っているのは原田。
彼を認識した途端、あれは夢なんだと悟った。

土方を失った日から、千鶴が見る夢は彼を失うその場面だけだった。
死なないでと訴えて、それでも冷たくなっていく身体を必死に抱えて、はらりと舞い散る花弁を見上げた。

綺麗な桜。
彼が好きだと言った桜。
彼の死を悼むように散る桜の向こうに見えた姿。
武士であろうと志を曲げず生き抜いた浅黄色の後ろ姿は、千鶴がずっと見続けていた彼等だった。

私を置いていかないで……!
手を伸ばして、けれども膝にのる大切なひとの身体がそれを許してくれなくて、千鶴は涙を飲み込むとぐっと力をいれて立ち上がった。

このままこの場に留まれば、土方の身を傷つけられる恐れがある。
それを許すことはできなくて、千鶴は必死に彼の身体を担いでその亡骸を埋葬した。
思い出は刻まれた記憶だけ。
けれども千鶴は嘆き足を止めることはできなかった。
新選組を最後まで見届けたものとして、その生き様を刻み、生き続けなければいけない。
そう自身に言い聞かせて、色を失った世界で生きてきた。

そんな千鶴の前に現れたのが原田。
彼を目にした瞬間、感じたのは安堵。
もう自分が背負わなくていいのだと、彼のもとへ逝ってもいいのだと、凍らせていた時間が動き出した。

けれども原田はそれを許してはくれなかった。
何のために生きればいいか分からないのなら、自分のために生きて欲しいと、そう千鶴を引き留めた。

心は千々に乱れた。
土方のもとへ行きたい気持ちと、自分を求める原田の強い想い。
迷いが共に過ごす時間を与え、千鶴の時間を動かした。
土方だけを想い、生きていくと、そう思っていた千鶴の心を揺らした原田。

その手を取ることは彼を不幸にすると、分かりながらその温もりにすがってしまった狡い女。
数多の女性を惹き付ける魅力溢れた原田に、土方への想いを住まわせたまま、その手を取った。
彼には夢があり、彼なら必ずその夢を叶えられるのに、その夢を失わせた酷い女。

「……ん……千鶴?」
「目が覚めてしまって……お水を飲んできます」

千鶴につられて目を覚ました原田の腕からすり抜けると、身を起こして台所へ行く。
けれども水瓶には手をつけずに原田の気配がないことを確認すると、勝手口へと出た。

澄みきった空に浮かぶ月。
そこに重なる面影。
ただ月を見続けていると、背に温もりを感じて、そっと抱き寄せられた。

「……どうした?」
「夢を……見ました」

何を、と言わない千鶴に、けれども誰の夢かを悟ったのだろう。
原田は追及しなかった。

「私……まだあの人を縛り続けていたんです」

夢の土方は黙って千鶴を見つめていた。
その目は何度と見たもので、千鶴を案ずるもの。
一言も発しないのに、彼の気持ちが伝わってきて、千鶴の頬を涙が伝った。

「私、心配かけないって……そう決めてたのに、土方さんに心配かけて……。原田さんのことも苦しめて……」
「千鶴……」

原田の想いを受け入れて、それでも千鶴は自分を許せずにいた。
ただ一人と決めた人を失って、想いを寄せてくれた原田に逃げてしまった。
その罪悪感が知らず胸に積もっていた。

「幸せになれ……って、…………っ」
「……そうか」

静かに涙をこぼす千鶴を抱きしめて、夜空に浮かぶ月を見上げる。
暗闇に浮かぶ月は、原田にとって先の見えない未来に指針を与える土方だった。
千鶴にとってもそうだったのだろう。

原田の想いを受け入れた千鶴と肌を合わせて、彼女が生娘であることを知った。
千鶴と想いを交わしながらもその身を抱かなかったのは、誰よりも先を見ていた土方だったからなのか。

想いを受け入れながらも、千鶴が自分に対して罪悪感を抱いていることは知っていた。
土方への想いを消せたわけではない。
その事が千鶴を苦しめていたのだろう。
そんな彼女に原田が出来ることは、愛していると伝え続けること。
彼女の抱える傷ごと愛すると、そう決めて強引に振り向かせたのだ。

「ずっと狡いと……そう思っていました。あなたの想いを受け入れるとそう決めたのに……誓いを違えた自分が許せませんでした。
でも違うんですよね。土方さんはそんな生き方を望んでいなかった。まっすぐ前を見て、走り続けたあの人は、誰よりも優しかったから」

夢の中で土方は、千鶴が自分以外の手を取ることを後押しして、嫌だと拒む彼女を仕方のないやつだと苦笑した。

「私は生きていきます。ーー原田さんと」

決めて手を取ったのは自分。
ほだされたわけじゃない。
同情でもない。
原田という男に惹かれたから。

「私はあなたが好きです」

はっきり告げると抱き寄せる腕の力が強まる。

「ああ、愛してる」

罪悪感が消せないのなら、それを拭うほどの愛を与えればいい。
ただ一人と決めた女なのだから。
眦からこぼれ落ちた涙を拭うと唇を重ねる。

(こいつは俺が幸せにする。だから安心してくれ)

誓いを胸に月を見上げると、土方が笑った気がした。
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