そして夢の幕引きを-3-

原千8

あの日を境に、千鶴の顔から表情が失せた。
どこか緊張した面持ちで、その様は屯所に来たばかりを思い起こさせた。
それでも、千鶴がまだ土方の後を追うことを諦めているとは思えず、原田は千鶴の傍を離れなかった。

 * *

毎朝、本堂の雑巾がけをし、そっと手を合わせる千鶴。
墓を立てることもかなわない彼らを、心の中で弔っているのだろう。
桜並木へはあれから一度も行っていない。
原田の目を気にしてか、心の整理がつかないのか。

「どこか行くのか?」
「食料の買い出しに行ってきます」

出かける千鶴に声をかけ、返ってきた返事に荷物持ちを口実に同行する。
千鶴はわずかばかり表情を揺らしたが、否は唱えなかった。
肌を突き刺す寒さに、冬の訪れを間近に感じる。
辺りの木々も葉を全て落とし、剥き出しの樹皮が北風にさらされていた。

「原田さん?」
「ん?」
「……ありがとうございます」
さりげなく風上に立って風が当たらないよう気を配ったことに、気づいた千鶴が礼を述べる。

「礼を言われるようなことはしてねえよ」

巡察の同行が許される前、軟禁状態に息苦しさを感じていた千鶴を気遣い、隊士の目を盗んで屯所の外に連れ出してくれたこと。
千鶴を励まそうと、お千にお団子屋へ誘うよう頼んでくれたこともあった。
周りに気を配り、さりげなく助けてくれる……そういう温かさを持った人だった。

「きゃ……っ」
「おっと」
道の凹凸に足を引っ掛けた千鶴を支える腕。
そのぬくもりが切なくて、ぱっと身を起こす。

「あ、ありがとうございます」
「千鶴は案外おっちょこちょいだったよな」
「…………」
屯所に来たばかりの頃、お膳を運んでいて前を良く見れず、原田にぶつかったことを思い出し、千鶴がかすかに頬を染めた。
と、原田が優しい瞳で見つめていることに気がつく。

「原田さん?」
「……いや、なんでもねえ」
微笑み、頭を撫でるのは、昔からのくせ。
まるで幼子にするようなその仕草も、なぜか原田にされると嫌ではなかった。

 * *

日々は流れ、気づくと原田が北海道に来てから一月近くの時が過ぎていた。
新政府に仕えるわけでもない、実質無職であったから長くこの地にいることで困ることはなかったが、さすがにこのまま世話になり続けるわけにもいかなかった。
しかし不慣れなこの地で職を見つけることも難しく、またここに来ることを告げた永倉も心配しているだろうと、原田は一度戻ることを考え始めた。

「なあ、千鶴。俺と一緒に江戸に戻るつもりはねえか?」
「江戸、ですか?」
「ああ」
原田の言葉に一瞬困惑するも、千鶴はゆっくり首を振る。

「私はここにいます」
「……ずっとあの人の菩提を弔って生きるのか?」
「…………」
沈黙が答えなのだろう、千鶴に眉を寄せる。
千鶴をこのままここに残していくことは出来ない。それならば――。

「――なら俺もここに腰を据えるか」

「原田さん?」

「戦も終わったからな。ここで余生を過ごすのも悪くねえ」

「だ、だめです。永倉さんが心配されます!」

「野郎に心配なんざされても嬉しくねえよ。気になりゃあいつも来んだろう」

原田がこの地に留まる原因が自分にあることをわかっている千鶴は、きゅっと唇を噛みしめるとまっすぐに見据えた。

「どうして……ですか?」

「千鶴?」

「どうして私を構うんですか? 私は自分から望んで新選組に残りました。だから、原田さんが悪いと思う必要はありません」

始めは確かに無理やり連れてこられた。
しかし、その後何度か新選組から離れる機会はあった。
それでもずっと共にいたのは、千鶴自身が彼らといることを望んだからだった。

「悪いと思ってるからじゃねえよ」
「だったらどうして……」
「お前だからだ」
「わかりません」

どうして千鶴だから構うのか?
幼いから?
頼りないから?

「私はもう幼子ではありません。だから、原田さんに守ってもらわなくても大丈夫です」

「……なんでそんなに頑ななんだよ。俺にはお前を守る力なんてねえって言いてえのか?」

「違います……! 原田さんが強い方だってわかってます。だけど私は……っ」

いつだったか、愛した女と静かに暮らすのが夢だと聞いたことがあった。
戦が終わった今ならば、彼はその夢をかなえることができる。
だからこそ、自分のためにその夢を捨てるようなことはして欲しくなかった。

「……何を言われようと、俺はお前から離れるつもりはねえ」

「どうして……わかってくれないんです!?
原田さんには望むものがあるんでしょう? だったら――だったら私のことなんて放っておいてください! 自分が願うもののために生きてください……!」
 
いくら言ってもわかってくれないことに憤りにも似た感情が溢れ出す。
自分に縛られずに、原田自身の幸せを掴んでほしい。
それが千鶴の願いだった。

「……そんなの、決まってんだろ。俺が守りてえのはお前なんだよ」

言われた意味を掴みかねて、茫然と原田を見上げる。
その瞳には、確かに自分が映し出されていた。

「俺が惚れてるのは、お前だ。だから、ここに
一人残しとくつもりはねえ」
「私……は……」
「千鶴」

琥珀の瞳に宿る真剣な色に目をそらせない。
逃げられない。

「俺は一度お前を諦めた。お前の瞳に映っているのが俺じゃねえってわかってたからな」

「…………」

「だから、離脱する時もお前を連れて行かなかった」

「原田さ……」

「だがもう諦めるつもりはねえ。――千鶴、俺と一緒になってくれ」

「…………!」
抱き寄せる太い腕。 その腕の強さに、向けられた瞳の色に、自分への想いが真実であることを悟り言葉を失う。

「俺はお前を放さねえ」
「…………っ」
それは土方が言った言葉と同じ。
放さないと、そう言いながら一人で逝ってしまった。

「いやあああぁ!!」
「千鶴!?」

荒れ狂う感情に飛び出すと、あてどもなく駆けていく。
ぐるぐると巡る言葉。
それが悲しくて、切なくて。
着物が乱れるのも構わずに、千鶴は走り続けた。
足がもつれ、地面に転がる。
寝転んだ先に映る、葉の落ちた木に、あの日の桜が蘇る。

「土方さん……っ」
決着がついた瞬間、がくりと崩れた身体。
青ざめた顔から次第に弱まる呼吸が悲しくて。
でも、土方に心配かけたくなくて、千鶴は必死に涙を堪えていた。

「生きるって……放さないって言ったじゃないですか……っ」

責めたいわけじゃない。
土方が心からそう思っていてくれたのは、千鶴にも分かっていた。
それでも、彼を失った空虚は大きくて、吐き出さずにはいられなかった。

あの時、亡くなった土方を前に、千鶴に悲しみに暮れる時間は許されなかった。
もしも敵に彼の遺体が見つかったら、さらし者にされる危険があったからだ。
だから、千鶴は桜の根元に彼を埋葬した。
女の身で他に運ぶことも出来ず、それが千鶴に出来る精一杯だったのだ。
千鶴に残ったものは記憶だけ。
確かに彼と過ごしたのだと、心に刻み込まれた想いだけだった。

「千鶴!」
「来ないで下さい!」

土方と同じ逞しい腕。
優しさ。
そそがれる想い。

「私は土方さんを……土方さんだけなんです!」
「そんなことわかってる!」
肯定された想いに呆然と見上げると、ゆっくりと原田が近づく。

「あの人のことを忘れる必要なんざねえ。あの人のことを覚えたままでいい」

「原田さ……」

「あの人のことを刻んだまま……俺と一緒になってくれ」

無理やり忘れさせるのではなく、そのままを受け入れる。
どこまでも懐深い原田の愛に、千鶴の瞳から涙が溢れ出す。

「どうし…て……っ」
土方を愛しているのだと、そう告げる千鶴を求めるのか。

「お前に惚れてるんだよ。だから放したくねえ」
「…………っ」
痛みを伴う言葉。
土方以外受け入れたくないと、必死に反発する想い。
原田が嫌いなわけではない。
ただ……土方への想いが消せないのだ。

「……っ……っ」
「千鶴……」
抱き寄せる腕を振り払おうとして、でも出来なくて。
泣き崩れる千鶴を腕の中に納める。

「……私では……原田さんを幸せに……できないんです……」

「俺の幸せは俺が決める。俺はお前といれば幸せなんだよ」

どんなに突き放しても、原田が引くことはない。
どう言えば諦めてくれるのか……千鶴は一人問答を繰り返す。

「……俺が嫌いか?」
「……いいえ」
「だったら……」
「原田さんは……他の方を慕う女を嫁にして本当に幸せですか?」
土方以外を胸に住まわせない千鶴。
そんな女と共に過ごしても、原田は不幸なだけだろう。

「惚れた女と一緒になるんだ。幸せに決まってるだろ」
「……………」
まっすぐ向けられる想いを受け入れることができず、ただ千鶴は俯く。

「今すぐでなくていい。けど、俺はお前の傍を離れねえ。いいな?」
「…………はい」
どんなに拒んでも受け入れない原田に、千鶴は半ば諦め頷く。

「お、おい。血が出てるじゃねえか」
「これぐらい大丈夫ですから」
鬼の血があっという間に治してくれるから――。
そう自嘲気味に笑うと、眉をしかめた原田が懐から取り出した布で傷口を巻く。

「原田さん?」
「すぐ治ろうが痛えもんは痛えだろうが。女なんだ、自分をいたわってやらねえと」
「……………」
男装をしていた頃からこうして千鶴を女扱いしてくれた原田。

「――ほら」
「え?」
「いいから乗れ。帰るぞ」
「だ、大丈夫です! 歩けますから」
「いいから、大人しく言うこと聞きやがれ」
「………はい」

先程からずっと彼の言葉をはねのけていたので申し訳なく、千鶴はおずおずとその背に身を委ねる。
広くて大きな背中。
そのぬくもりに寄り添いながら、千鶴の瞳から暖かな涙がこぼれおちた。

4話へすすむ
Index Menu ←Back Next→